今日、なかわだ9条の会で懇親会が開かれた。高齢の皆さんが多い。ということは戦中を生きてこられた方々で、お話の端々に「戦争は嫌です」と言われる証言の重みがある。こういう方々の声を聞くことができるうちに聞いておかないと、いけない。そういう意味では、今後10年が大事な時になるだろう。
懇親会では、今回は南相馬から放射能の被害を逃れてこられたTさんのお話を聞いた。避難先がたまたま泉区だったことで、出会った方である。御主人はなお現地にとどまっておられるとのこと。避難準備区域という得体のしれない土地にとどまる思いは、いかばかりか。Tさんは、あの3月11日直後のことを中心に話されたが、聞きながら、安全神話を作り、情報を市民には何も伝えない国の体質こそ、末恐ろしいものだと感じた。あの日、職員の家族だけが、バスを何台も連ねて土地を離れていったという。しかし、地元には何も伝えられなかった。御主人は行政にかかわる立場から、しかし情報は何もないまま現場に赴いたところ、遺体を目にしても手を触れてはいけないと言われた。意味が分からなかった。1年後、そこに行ったら、白骨化していたこと。これが日本なのだと思ったら、涙が出た。

おりしも、映画 「渡されたバトン  ~さよなら原発~」が近くに上映されることに気づいた。ここに案内を載せておこう。「日本の青空」シリーズの第3弾である。

以下、制作委員会のホームページから、そのまま転載する。

昨年 3月11日に発生した東日本大震災。
あまりにも多くの尊い命と生活が奪われ、いまだ多くの被災者が不自由な生活を余儀なくされています。
とりわけ、東京電力福島第一原発の大事故は海と大地と空に放射能を撒き散らし、多くの人々が被曝を強いられ、いまだ収束しない原発は、福島をはじめ放射能に苦しめられ家族が引き裂かれる過酷な現実、いのちへの脅威をあたえ続けています。

私たちは「日本の青空」「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」の製作・上映運動を全国の皆様と展開してまいりました。そして「日本の青空Ⅲ」を企画しようという矢先、この原発事故がおきました。
原子力発電所の‘爆発’‘メルトダウン’という未曾有の大惨事、「安全神話」の崩壊にも関わらず政府や電力会社は本当の情報を流そうとしません。その顔色を伺いながらのマスコミ報道も、さらなる放射能被害を拡大させています。
いったい、“いのち”より優先させるものがあってよいのでしょうか?

この状況に、私たちにしかつくれない原発の是非を問える劇映画を企画製作しようと決意しました。

本映画は、全国で初めて住民投票で「原発建設NO!」を選択した新潟県巻町(現新潟市)が舞台です。投票率88.3%。推進派も反対派もみんなで投票した住民投票がなぜ実現できたのか。
史実に基づき、巻町民の住民投票に至るまでの紆余曲折、波乱に満ちた様々なドラマを、ある家族の視点を中心に描いていきます。

この小さな地震国に原発が54基。世界は脱原発に急速に向かっています。‘映画の力’が原発の是非を問う運動や問題を考える一助となることと信じ、あきらめず、ご賛同、ご協力いただける皆様と共に、希望をもって原発のない平和な未来を残しましょう!


映画 「渡されたバトン  ~さよなら原発~」 
( ↑ クリックしてください)

6月14日(金) 二俣川 サンハート・ホール
上映時間 ①10:00 ②14:00 ③19:00


f0086426_15511028.jpg


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-22 10:05 | Comments(0)

去年の区民クリスマスの一部映像(下記)をYouTube にアップしました。
短い時間だけのアップですが、すばらしさがわかります。このURLを知っている人だけの限定公開なので、観たい人は希望を知らせてください。下のコメントに希望を書き込んでください。後日、メールでURLを送信します。

賛美ダンス

ハンドベル(リハーサル)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-20 23:08 | Comments(2)

今回の3日間のコース(草津宿~愛知川宿)の地図を、下に添付する。他の人と同一コースがあったので、サイトから拝借した。3日間で、約30キロであった。

今回のコース

武佐宿

今回は近江八幡のホテルに連泊し、JRと近江鉄道を使って、行ったり来たりした。旧街道の歩行距離をどのように決めるかというと、近くに駅があるところまで、ということだ。旧街道はバスも通っていないところが多いので、駅を通り過ぎると、ホテルに戻れなくなるわけである。1日目は現地まで行くのに時間がかかり、歩行時間は3~4時間くらい、2日目は時間はあるが、6時間(18キロ)が限界。そこで、駅に到着する距離とすり合わせなければならないわけで、パズルのような行程作りとなる。これがまた、楽しいのだ。(妻はそのあたりは無関心なのだが)
さて、写真は武佐の郵便局にあるポストである。愛知川でも同じものを見かけたが、「書状受箱」と書いてある。こういうアイデア(ユーモア)は歴史ロマンを感じさせて、さすがだ。そういえば、この宿の案内板は、地元小学校の「卒業生」と書かれたものであった。歴史を学ぶことで、自分の町へのアイデンティティがおのずと育つのだろう。
さて、中山道は象が通った道である。武佐宿には、昔、象が泊まったという看板があった。8代将軍吉宗が1728年にベトナムから輸入、長崎から江戸を目指したのである。初めて象を見た人々の驚きも分かるが、そんな距離を歩かされた象もかわいそうなあ話だ。

愛知川宿

今回の目的地、愛知川手前に五箇荘という町があった。街道から少し逸れなければ行けないが、そこに近江商人の町がある。しかしこの五箇荘も「てんびんの里」と書かれてあった。ここは、てんびんを担いで物を売り歩く近江商人の発祥の地のひとつである。
4日に降ったという雪が、この辺りまで来ると溶けずに残っているのが目につくようになった。彦根に近づくと、草津辺りとは気候がずいぶん違うのだと感じていると、そうこうするうちに愛知川に着く。商人の町を意識してか、駅までロマンチックな駅舎であった。
電車は1時間に1本しかない、いきおいこの駅も無人駅である。電車が到着したら、運転士が客車内に出てきて、「バスの乗り方と同じです。そこから整理券を取ってくださ~い。あ、お客さん、取りましたかあ。そこ、ですよお」と、後ろのほうに走って行った‥ 私たちは「え!?」という感じで、何とも、のどかな風景であった。

今日の歩行時間:4時間(推定12キロ)
f0086426_105583.jpg
f0086426_1061488.jpg




にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-09 23:32 | Comments(0)

きのう、守山宿の先、近江鉄道の野洲駅まで歩いた。きょうは、その野洲駅から街道の続きに進む。はたしてこの区間は、時間が古墳時代までさかのぼる、まさに「歴史街道」であった。

歩き始めてしばらくすると、その古墳群が見えてきた。「桜生(さくらばさま)史跡公園」というのだそうだ。せっかくだから見学、トイレ休憩。一つの古墳の中をのぞいたが、説明によると、この辺りはいくつもの古墳があるそうである。ここは、豪族が住んでいた一帯だったようである。

さらにその先に、「平家終焉の地」の看板。平清盛の子、宗盛とその子が源義経に殺され、こうして平家が滅亡した場所だそうである。街道から100メートルくらい入ったやぶの中である。隣は工場の塀が巡らしてある。栄華をきわめた平家の末路がこんなところかと、「おごる平家、久しからず」を噛みしめた。
この辺りは「鏡宿」というのだそうだ。鎌倉時代に使われた宿駅で、江戸時代は宿場にはならなかったとはいえ、間の宿のような機能を果たしていたとか。案内板に「江戸時代の宿場」と書いてあるのを見ると、この土地には宿場であった自負があるのかもしれない。

やがて、「住蓮坊首洗い塚」というのがあった。浄土宗の開祖、法然は伝道に熱心で、後鳥羽上皇の女官2名を尼にしてしまったために、怒りをかって島流し、その弟子の住蓮坊は、ここで処刑されたそうである。当時の興福寺など既成教団から浄土宗は弾圧を受けた。なるほど、主イエスも既成教団のユダヤ教から弾圧を受け、十字架に殺されたのであった。

旧道は、国道を出たり入ったりしながら続き、やがて武佐駅に到着。この駅の先が武佐宿であるが、先に進むと次の駅がないので、きょうは、この駅まで。

残りの時間は、せっかくだからというわけで近江八幡の市内観光とした。近江商人の街並み、そしてそういう古い町で伝道した宣教師ボーリスの業績(教会をはじめ、学校、近江兄弟社という事業)がそこかしこにある様子に感動。このように、町に入り込む伝道がしたいと、つくづく思わされた。

今日の歩行時間:4時間(推定12キロ)
f0086426_134789.jpg

にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-08 22:28 | Comments(0)

ついに、この日を迎えた。
‥‥と言うほど、そんな大げさなものではないが、思わぬ神経痛に悩まされた昨年を思えば、奇跡の感がする。そんな気分を味わうのも、たまにはいいことではないか。というわけで、1月7日、お誕生日祝いも兼ねて(兼ねていようがいまいが、この日しか調整がつかなかったが)、ついに、中山道初日を迎えることになった。一昨年11月に東海道(旧道)で京都に到着して以来、13か月、再び「街道人」になった。東名高速の米原から、琵琶湖東岸を南下、しばらくは雪景色だったが、琵琶湖南部は、雪はない。同じ滋賀県でも北と南ではずいぶん気候は違うようだ。空気こそ冷たいが風はなく時折、陽も差す3日間、快適な道行きであった。

草津宿

朝6時前に家を出て、草津に12時に立った。東海道と中山道の分岐点「追分」だ。1年前、東海道で「京」に向かっていたとき、ここを通ったのであった。何かしら感無量という言葉が頭をよぎった。
写真は、草津の道標脇にて撮ったもの。上が草津川。天井川だ。トンネル手前方向が「京」、右から、東海道が合流している。トンネルを抜けて、向こう側に中山道は始まる。草津川のトンネルを抜けると、まずは商店街のアーケードに迎えられた。
さて、このトンネルが掘られたのは1886年(明治19年)というから、江戸時代は、土手を上って、この上にある草津川を(水量が少ないため)歩いて渡ったのである。ところで、いくら説明を聞いても、どうして川が町の上を流れるようになったのか理解できない。

守山宿

守山宿に薬屋があって「京都まくり」と書いてある、と街道案内書に書いてあった。ちょうど、ほしい漢方薬があるかもしれないと思って立ち寄ったが、今は漢方はおいていないというところから、「まくり」とは何か(海藻のことで虫下し薬)、そのほか、店の歴史など、話し込むことになった。
また、かつて宇野という総理大臣がいたが、守山に生家があると言う。行ってみると、そこは今、地域や旅人に開放されていて、中には歴史的な遺物が展示されており、見ることができた。
ところで、その宇野家は、今は市の管理下になっていると言う。隣に、「街道歴史文化交流館」があって、町の人たちが運営している。なるほど、ここが違うんだと(勝手に)思った。我らが宇野元総理大臣となれば、それがどんなに短命内閣であろうが)NPOとかに渡さず市が乗り出し、こうして管理、運営する。権威という話をきのうの礼拝でしたばかりで、思い過ごしだろうか。

今日は野洲駅まで。駅に行くには、中山道から、「朝鮮人街道」に入る。
江戸時代、将軍が上洛するときには、中山道を外れて、鳥居本からこの野洲までは琵琶湖岸に近いルートを取ったという。家康が勝利して上洛するときに通った縁起の良い道で、野洲から見れば近江八幡、安土、彦根を経て、鳥居本に抜ける。参勤交代の大名には通らせなかったらしいが、将軍が交替したときに派遣されてきた朝鮮通信使一行だけは、このルートを通したそうだ。だから、この琵琶湖沿いのルートは、「朝鮮人街道」と呼ばれている。

写真は、中山道起点「草津道標」前にて。手前方向が「京」、中山道は、トンネルの向こうに続く。右に折れれば東海道である。
中山道の起点は京であるもの(約534キロ、69次)と、草津を起点とする考え方のもの(507キロ、67次)がある。

今日の歩行時間:4時間(推定8キロ)
1年ぶりということもあり、そして話し込んだり見学したりで、距離はたいしたことがないのに、予想外の時間がかかってしまった。
f0086426_23452518.jpg


にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-07 23:48 | Comments(0)

「年賀」

先の国政選挙の結果を受けて、重苦しい年明けとなった。将来と希望が失われたと感じる中で与えられた聖書の言葉が、エレミヤ書29章11節の御言葉であった。そして、これが元旦礼拝の説教となった。(説教原稿は、毎回、希望者に配布している。)
元旦礼拝は23人の皆さんと共にまもることができたが、普段おいでにならない方が、その中に8人はいただろうか。漆間家(身内)も含めて(笑)。年明け最初の(今度の)主日礼拝は、昼食は、もちつきとなる。そして、7~9日、いよいよ中山道に。今年の祈りの道と重ねて。今のところ、体調万全。問題なし。

f0086426_23385643.jpg


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-04 12:54 | Comments(0)

「伝道の情熱」

昨年、永見兄が出版された『わが故郷 宇和』に、同兄が青年時代(まだ洗礼は受けていなかったが)宇和島教会の聖歌隊に属し、讃美歌「山路こえて」をまさにその作詞の現場で歌ったことが記されていました。

改めて、この讃美歌のことを書いておきます。作詞をしたのは西村清雄(にしむら すがお)。1871年(明治4年)松山藩士の長男として誕生しました。旧制中学時代にカトリックの洗礼を受け、のちに大阪基督教会でプロテスタントの信仰を持ちます。松山に帰郷すると、宣教師のコーネリア・ジャドソンが進めていた夜学校の設立に協力して「普通夜学会」を開きます。1892年に「松山夜学会」と改称(後の松山城南高等学校)、21歳で初代校長となり、昼働く勤労青年達の為に学問の門戸を広げました。彼は寄宿生と寝食を共にして苦労を重ねながら、その生涯を教育に捧げました。1962年には松山名誉市民第1号、1964年(昭和39年)没。
この歌は1903年(明治36年)宇和島教会の伝道を応援して松山に帰る途中、まだ鉄道がない頃だったので、ひとり、わらじがけで法華津、島坂峠の道をたどった時、その思いをうたったものです。作者自身の述懐によれば、

「日はすでに西山に傾いていた。山頂には残雪が輝き、梢には松の嵐、谷には渓流のささやきがきこえていた。やがて冬の日は暮れて、木の間を漏れる星あかりで、やっと山路を辿ったが、大洲までなお5里もあるかと思えば心細かった。その時ふとかねて三輪源造君が新作賛美歌を見せてくれたことを心に浮かべ、私の最も好きなゴールデン・ヒルの歌調に合わせて、一句一句作り、一節できれば、歌って見て又次の一節にうつるうち、感興次第に加わり、今までの淋しさもどこかへ去り、夜の山路を楽しみ、『されども主よ、ねぎまつらじ、旅路の終わりの近かれとは』との句が、自然に出て来たのである。」(注:ねぐとは、祈り願うこと。祈ぐ)

宇和島から松山までは道のりは100キロ。地図でみると大洲市はちょうど宇和島と松山の中間にあり、暗くなって大洲まで山道で5里(20キロ)もあるのでは、大洲到着は早くても夜10時とか11時になったことでしょう。

明治時代の信仰の先駆者の伝道への情熱を感じざるを得ず、年頭にあたり、思い至ってこの讃美歌の紹介を書くことにしました。

『讃美歌21』466番

山路こえて ひとりゆけど、/主の手にすがれる 身はやすけし。

松のあらし 谷のながれ、/みつかいの歌も かくやありなん。

峰の雪と こころきよく、/雲なきみ空と むねは澄みぬ。

道けわしく ゆくてとおし、/こころざすかたに いつか着くらん。

されども主よ われいのらじ、/旅路のおわりの ちかかれとは。

日もくれなば 石のまくら、/かりねの夢にも み国しのばん。

ところで曲のほう『GOLDEN HILL』は、1817年出版の『ケンタッキー・ハーモニー』で発表されていて、旋律は19世紀のアメリカ南部で盛んであった歌唱スタイル(シェイプ・ノート方式)をいかにも連想させる、と書かれたものがありました。
私たちの教会、カンバーランド長老教会はアメリカ南部、ケンタッキー/テネシー州辺り(当時はカンバーランド・カントリーと言われていた)で、1810年に生まれているから、この曲はカンバーランドの人たちがまさに親しんだ曲想をもっているようです。なるほど、一気に親しみが湧くではありませんか。
さらに、はからずも西村清雄がプロテスタントの信仰を持ったという大阪基督教会は、カンバーランド長老教会の宣教師ゴードンが洗礼を授けた信徒たちによって設立された教会です。こうしてみると、「山路こえて」は、カンバーランド長老教会を確実に背後に感じる曲なのです。

写真上:法華津峠。こうしてみると美しい景色だが、日が傾き、なお5里もある一人旅は、いかに心細かったか。伝道への情熱を持ってここを通ったのだ。
写真下:テネシー州立公園内にあるカンバーランド長老教会発祥の地に付けられたテネシー州の歴史的遺産標示。1810年当時は、やはり伝道の情熱燃えるリバイバルの時代であった。

f0086426_22425272.jpg

f0086426_10412533.jpg

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2013-01-03 22:36 | Comments(0)