食事の時に、娘夫婦や孫たちも一緒に食べることが多い。いきおい、最近の体調不良のことが話題になる。なる、というより、自分から言い出してしまう。神経痛がどうのこうの、用意した教会のチラシが思うように配れない、云々。
突然、5歳の孫が言い出した。「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない」「わたしの目にはあなたは値高く、貴く わたしはあなたを愛している」。聖書の言葉だ。教会で、子どもたちは聖書の言葉を覚えるように指導されている。それにしても、このタイミングの良さ。4歳の子どもだって、聖書の言葉がどういう意味をもっているか、分かるのだ。

「おじいちゃん、言える?」「言えないの? 牧師さんでしょ?」

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by rev_ushioda | 2012-06-30 20:26 | Comments(4)

パソコンを新しくした。今までのものが相当、動きがおかしくなってきたので、遅くならないうちにと、早めに手当てしたわけだが、何という動きの軽快なことか。

ところで、まだ操作がよく分からないまま使っているが、ワードは、どうしてこれほど操作が分かりにくくなってしまったのか。土曜日になるというのに、操作が分からずあせるばかり。今まで使っていた「道具」がいったいどこにあるのか、分からない。甘く見すぎていたようだ。週報が出来ないでは困るので、ついに断念。古いほうを持ち出して来て、とりあえず間に合わせた。
今日、近くにいる姪に来てもらって1時間ばかりの講習を受けた。彼女は、パソコンの勉強をしてきたので教えてもらうことにしたわけだが、なるほど、なるほど。聞いてみれば、いたって簡単に、今まで使っていた「道具」が取り出せた。

さて、聞けば、姪はまだ古いワードを使っていて、新しいものは使っていないと言う。私は驚いて、どうして使ったことがないのに分かるのかと訊いた。すると、新しいものを持っていなくても、だいたいの見当がつく、と言うのだ。そういうものか、と思った。一度、勉強しておくと、新しい環境に入っても、だいたい見当がつく。そうだった… と思った。

私たちは、礼拝をまもり、礼拝から新しい生活に進んでいくわけだが、日常のことは日々新しい課題で、途方に暮れるようなことばかりなのだ。しかしそれでも、礼拝を守っている人には、だいたいの見当がつく。それで道に迷うことはないのだ。
しかし、パソコンと向き合うのとは決定的にちがうことがある。私たちが人生の課題と向き合うときの「見当」の後ろには、私たちの経験ではなく、聖霊の導きがある、ということである。聖霊が、礼拝で読み続けている聖書の言葉を思い起こさせ、だからこそ、出会ったことのないような課題にも、「見当」をつけさせてくれるのだ。聖霊に導かれ、キリスト者がつける見当は、この世の中に埋もれている信仰の道を、再び、発見させるものであるに違いない。

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by rev_ushioda | 2012-06-25 21:55 | Comments(0)

「投稿停滞」

記事を投稿した最近の日付を見て、すっかり投稿の回数が減った、ということは、創造性を失っていることに改めて気づいた。いうまでもなく、神経痛のためである。もう3か月になる。あちらの病院、こちらの病院と、すっかり病院通いが日課ともいえないが、週に一度は病院である。痛み止めの薬を飲んで、しばらく調子がいいかとみえた昨日、今までのような走る痛みとは違った、ズーンというような痛みで、足を動かせなくなった。

楽しみにしている「街道」には、しばらく立てそうもない。健康に自信をもてず、記事も停滞気味である。

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by rev_ushioda | 2012-06-22 06:07 | Comments(0)

「最後は」

最近、教会員のN兄が、「故郷 宇和」という本(B5 80ページ)を自費出版された。
一読して、よく調べられているし、何よりも故郷を愛している思いが伝わってきて、私自身は宇和については何も知らない者ではあるが、郷里を愛するという思いが、今日に至るまでずっとかわらないということが何か、うれしかった。
郷里には法華津峠というところがある。そこは、何と讃美歌「山路超えて」が作られた場所であるという記述があって、見開き2ページにわたって、その詩、曲と共に書かれている。合わせて、高校生の時、卯之町キリスト教会との出会いがあったこと、その経緯、また、教会の聖歌隊に所属し、法華津峠にその讃美歌の記念碑が建てられた折、除幕式典に聖歌隊員として参加したことなどが書かれている。
1ページにわたり書かれている経歴を見て、うなった。華々しい活躍の最後は、次の一文で閉じられている。
「現在 カンバーランド長老キリスト教会 泉教会所属/横浜市泉区在住」
すべての時を経て、その活動や、所属したすべてが過去のものとなった時、ついに自分の所属をこのように書かれることに、深い感動を覚えた。

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by rev_ushioda | 2012-06-21 18:00 | Comments(0)

「べてるの家」

ある時の新聞の社説に、北海道浦河町にある「べてるの家」が紹介されていました。聖書で「神の家」という意味がある「べてるの家」は、日赤病院精神科と連携して、キリスト教会が運営する作業所やグループホームです。100人を越す元精神科の入院患者が昆布の産地直送事業を行い、年商1億円。地元の大企業になりました。年に一度の総会の時に、町ではもう有名になったと言われる、幻覚妄想大会が行われます。「今年のグランプリは…」と、ユーモアたっぷりにその年の際立った妄想や幻覚を表彰していくのです。「あなたは昨年のクリスマスイブの夜に、2階から宇宙船に飛び乗ろうとして転落、両足首を骨折。病院まではってたどり着きました。もし再びUFOにお乗りの際は、主治医である私も誘っていただき、一緒に宇宙のかなたに飛び立とうではありませんか」。
幻覚妄想のない、人格のたとえば1割を相手にするのではなく、幻覚妄想がある9割と、丸ごと付き合ってしまおうというものです。ユーモアを交えて、マイナスを個性として受け止め、隠すことなく、地域の人々も含めてみんなと共有し合って、笑い、いきいきと生きている人の姿が、ここにはあります。
キリストは人々の中で、人をそのまま、あるがままに受入れ、人を、その人に一番ふさわしく生かしていきました。そのように、今、教会は浦河の町に溶け込んでいるのです。
賛美歌に、キリストの招きの言葉が歌われています。「ここに私はいます、ホームレスの眠る街。ここに私はいます、凍える子の涙にも。あなたは?」
キリストはホームレスと共に、凍える子どもの涙と共に、そして、幻覚妄想に生きざるを得ない人々の中に、今、共にいてくださるのです。その時、私たちはいったいどこに立とうとしているのでしょうか。あなたも日曜日、泉教会でイエス・キリストに向かって心を高く上げてみませんか。

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by rev_ushioda | 2012-06-15 10:35 | Comments(0)