「また不調が続く」

前回、秀子さんがアメリカに行っている間、眼の出血と頭痛で内科、眼下、脳神経科をハシゴし、最後にはMRI検査まで受けた。結果は、異常なし。
今回は、(何で秀子さんがアメリカに行くたびにこういうことになるのか)どうしようもなく脚(太腿内側の神経?)が痛み、脚を引きづりながら病院に行ったが、原因不明で、とりあえず痛み止めを処方された。

だれに話しても「秀子さんが、いないからねえ」。

そういうこと? 皆、簡単に精神論で片付けようとする ^^; 1ヵ月後にはついに中山道への最初の3日間を予定し、楽しみにしているというのに、このままではキャンセルになりかねない。今夜も湿布をし、痛み止めを飲む  ┐(´~`)┌

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by rev_ushioda | 2012-03-29 20:02 | Comments(9)

教会のすぐ横を「大山道」が通っていることから、興味が出て、「ホントに歩く大山街道」という本を買った。残念ながら、これは「赤坂御門」からスタートするほぼ国道246を行くルートであった。私が期待したのは、もちろん和泉町を通る、東海道から戸塚で分岐する「柏尾大山道」である。
しかし、欲しかった本ではなかったが、思いがけない発見をした。この本にある「大山街道」は、246号線と重なっているということは・・・ 私が前にいたさがみ野教会の横を通っていた旧道となった246号線。まさにそれが「大山街道」だった。ああ、あの道がそうだったのか、今さらながら、驚いた。座間にいても、和泉町に来ても、横を大山道が通っている。大山道は、そんなに何本もあるのかと言えば、確かに、あることはある。しかし、そんなに、どこに行ってもあるかと言えば、そうでもない。それがたまたま両方にある、というのは、なかなか面白いではないか。

ところで、

私がなぜ大山道とか、大山街道に関心を持ったかと言えば、それが信仰の道、庶民の道だからである。県内に何本もルートができたくらい、それは、庶民の信仰の道であった。私は牧師として一つの町にとどまり、そこで伝道する者であるが、こうして信仰の道を作る生き方があったことに、いろいろと考えさせられるものがあるのだ。「点」を「線」にする生き方、さらには「面」にもしていく生き方があり、しかも信徒がそういう道を作る。これはいったい何か。もちろん、礼拝への道を作っていることは事実である。彼らの言葉で言えば、それは「お参りの道」「巡礼の道」というのだろう。そういう道作りがある。大山道は、なにやら大事なことを訴えている気がする。

『いずみ いまむかし(泉区小史)』という本の中に「暮らしと信仰の道・大山道」という記述がある。

大山道や大山街道と呼ばれている道が、神奈川県内には幾筋かある。その中で泉区を通っているのは「柏尾通り大山道」と呼ばれ、東海道の柏尾を起点とすることからこう名付けられた。
この道は横浜や東京東南部の人たち以外に、千葉方面からの人たちが舟で海を渡って神奈川の港や杉田あたりにあがり、武相国境を越えて柏尾から利用した人たちが多かったようである。
大山は丹沢山塊の東端に聳える1,246mの山で、円錐形の端正な山体は山岳信仰の対象になるに相応しい美しさを持っている。また相模湾から上がってすぐの山岳であるため、海からの気象的影響を受けやすく、雲が巻き起こって雨を降らすことに由来して、雨降山(あめふりやま)や阿夫利山の別名があるように、農耕を営む人たちには、水を司る水分(みくまり)の神としての信仰があり、また伊豆から湘南一帯、千葉方面の漁労民には、船からの方向を確認する山であり、また山林にかかる雲の様子で、気象の変化を知るなど、航海安全の守護神としての信仰もあつかった。
この道が使われた時代の庶民の信仰は、物見遊山の言葉を生んだ時代にふさわしく、現代のように複雑ではなく明るくおおらかであった。大山信仰は歴史も古く、関東の名山として庶民の厚い崇敬を集めてきたが、江戸期には山頂にあった巨岩を男根に見立てて子授けの祈願をしたり、遊女はこれに商売繁盛を祈ったり、また任侠の徒は刀に見立てて一家の守護神として崇めたりもした。
「商売繁盛」「家内安全」「大願成就」「豊漁祈願」「航海安全」「病気平癒」「武運長久」と、余りこだわりもなく賑やかであった。

以下、さがみ野駅/さがみ野教会(S)~ 厚木(G)
戸塚(S)~ 泉教会(「中田町」左)~ 長後(G)
クリックすると拡大可





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by rev_ushioda | 2012-03-26 23:11 | Comments(0)

「伝道師任職の意味」

3月25日、関伸子教職志願者が、伝道師に任職されます。伝道師とは、教職志願者が中会が定める伝道師試験に合格し、伝道師に任職された者で、教職者の任職(按手)の備えをする者を言います。『礼拝書』によりますと、伝道師任職の際、次のような祈りがされます。

司式者:教会を造り上げるため、人に霊的な賜物を豊かに与えてくださる主よ。
    あなたは(    )を選んで、教職志願者として神学校において、
    研修教会において今日まで必要な訓練を与えてくださいました。
礼拝者:あなたの選びと、変わらない導きを感謝します。
司式者:今日から(    )は伝道師となり、御言葉の説教を通して教会に仕えます。
    遣わされる現場で語るとき、一人一人と向き合うとき、
    あなたの御言葉こそ力であり、慰めであり、希望であることを、
    明らかにすることができますように。
礼拝者:伝道師が御言葉に仕える働きを、祝福してください。
司式者:パウロは、テモテに勧めました。「雄々しく戦いなさい、
    信仰と正しい良心とを持って」。
    主よ、今、任職される伝道師が、信仰の先達の良き証しと模範にならい、
    教会の宣教によく仕えることができますように。
礼拝者:伝道師が、宣教に仕える働きを、祝福してください。
司式者: (    )は、今日から、按手の日まで、一定の準備の期間を過ごします。
    私たちもまた、あなたに期待された教会の豊かな働きを担うため、
    伝道師と共に祈りの道を歩む者としてください。
礼拝者:今日の任職式を、私たちの新たな献身の始めとしてください。
司式者:主の御名によって。
一 同:アーメン。

伝道師任職は、教会の大切な献身の日であることが、分かります。

伝道師は、今後、教職者(牧師)にならなければなりません。そのようなステップを踏んでいくのは、もちろん本人ですが、教会もまた、祈りの道を共に進む者として、そして伝道師を育てるという意味で、教職者を生んでいくという意味で、献身の歩みを共にしていくのです。一人が神の召しに応えたら、教会全体もまた、献身へと引き出されるのです。それが教会です。
ですから、「おめでとう」と言うと思いますが、それを誰に言うか考えなければなりません。「今日の任職式を、私たちの新たな献身の始めとしてください」と祈る自分に向って、そのように言って新しい物語の中に進み出ることが出来た、「おめでとう」と言うのです。
特に関伸子姉は、日本におけるカンバーランド長老教会の歩みの中で、初めて、女性として伝道師になる人です。また、レセプションではブラジルに派遣される宮島熱示伝道師の、中会への移籍と派遣を祝いますが、これも意味はまったく同じです。主の召しは日々新しく、そこには私たちの献身の物語も日々新しく作られるのです。

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by rev_ushioda | 2012-03-23 10:12 | Comments(2)

今日、秀子さんが10日間のアメリカ旅行に発った。
毎回そうであるが(と言っても、今回が2回目)、英会話クラスの自発的発案による旅行で、秀子さんも成り行きというか、行かざるをえないことになるわけだ。英語の先生親子も含め、総勢11名、行き先は、ランカスター。今まで、アメリカと言えばテネシーであったが、今回は異色。ワシントンDCにも行くということで、カンバーランド長老教会のない地域である。それでも、ホームステイ先はキリスト者宅なので、全員、礼拝には出席する。
そういえば、昼間は行動を同じくするが、ステイ先へは一人ひとりバラバラだそうだ。もちろん、秀子さんも。「信じられない」を、幾度、言ったことか。英語クラスで英語をしゃべらないで、日本語でぺちゃくちゃしゃべっているのに、どうして、一人でホームステイできると思えるのだろう。「信じられない。」
ホームステイ先は ランカスター(ペンシルべニア州)のShirley Tuzi さん宅である。ご迷惑をおかけすることになるのだろう。さっそく先方にメール。「お世話になります。彼女は、多分、目とか指とか、手とかで何か話そうとするでしょう。英語以外で。」とメール ^^;

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by rev_ushioda | 2012-03-20 21:32 | Comments(2)

来週、妻は英会話教室の旅行で10日間、アメリカに行く。

折りしも、次のようなメールが入ってきた。

Dear Customer,

FLIGHT NUMBER 0942-349DATE/TIME : MARCH 24, 2011, 14:15 PM
ARRIVING AIRPORT: LOS-ANGELES AIRPORT
PRICE : 405.90 USD
Your bought ticket is attached to the letter as a scan document (Internet Exlporer File).To use your ticket you should print it.

JENNIFFER VELASCO,

日付が、24日、しかも2011? 航空会社名もない・・・ 妻は20日の出発だ。というわけで、これは添付を開いてはいけないというメールである。メーラーはちゃんと迷惑ボックスに分類してくれていた。
それにしてもなぜ、タイミングよくこの時期に、この類の迷惑メールが送られてくるのだろうか。摩訶不思議。生活をのぞかれているようで気味が悪い。まあ、偶然なのだろうが。

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by rev_ushioda | 2012-03-15 18:19 | Comments(0)

「震災1年の祈り」

1.
あの震災から1年目の日を迎えました。私たちは、この1年をどう過ごしてきたでしょうか。
衝撃的だったひと言があります。「<死も来た>半島」。核燃サイクル基地を持つ青森県六ヶ所村のある「下北半島」をもじって言う言葉です(『原発とキリスト教』14ページ以降)。企業は大きなお金を過疎地に落とし、引き換えに迷惑施設を受け入れてもらう。しかし、一度、そういうお金を受け取った過疎地にある自治体は、もう元には戻れない枷をはめられる。「死も来た」と言いながら、死と向き合わざるを得ないのです。そして、そういう過疎地から送られてくる電気を、都会が、都会に生きる私たちが、消費しているのです。私たちが使う電気は、過疎地に生きる人々の命の犠牲によって送られてきたものだったのです。そういうことを今まで何も考えずに来たことに愕然としたのです。果たして今回、原発周辺の多くの人々が自分の住みなれた町を追われているのです。私たちが電気を使うために、彼らは故郷を追われる。「死も来た」と言う。キリスト者として、こういう事実を見過ごしにしてきたことが大いに悔やまれます。
また、津波は自然災害といわれますが、結局、その危険性を知らせなかった人々、組織による人災である、という見方もあります。「地震の発生とツナミの高い蓋然性について・・・認識しながら、自国の観光業を壊滅させないために、わざと警報を発しなかった」(『ツナミの小形而上学』46ページ)。これはタイの話ですが、日本でも同じであったといえます。原発事故は、政府と原発関連企業がいろいろな思惑で作り上げた安全神話で「わざと警報を発しなかった」結果、日本全体にもたらした「災害」だったのです。
余りにも知らなかったことが、顕わになったのです。そして、これだけ大事なことにキリスト者として余りに無頓着であったことを恥じます。私は、まずは一市民として「9条の会」に加わり、駅前で少しづつですが原発反対のチラシを配っています。「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4・16) 都会の私たちが「光」を享受している間に、「闇」が生まれていたのです。私たちは今、何をすべきでしょうか。

2.
震災1年を迎えた日曜日はまさにその日でしたが、中会では祈りのプログラムがもちました。礼拝のあと、それぞれの関係者が、この1年間の活動を報告、その後、近くの2~3人で祈りました。このために200人くらい集まったでしょうか。
その前日でしたが、泉区でも、区内の全教会とYMCAの皆さんが一堂に会して、礼拝と、祈りの会がもたれました。そこには30人が参加しましたが、参加できなかった多くの方も、それぞれの場で祈りをされたであろうと思います。この世の痛みにどう向き合うかは、信仰に生きる者の中心的なことと言って良いと思います。そこから、このような祈りの集会が生まれたのです。
時間的、体力的な賜物を持つ人は、この1年間、奉仕の手を必要としている人々のところに、そして悲しみや痛みに寄り添うため、ボランティアに出かけました。
さらに、今回の災害では原発事故が誘引され、様々な問題が露呈されたのですが、それを放置してきたキリスト者の悔い改めが生まれて、たとえば原発再稼動反対などの行動をする人も出てきました。私も駅前で40分ほどですがチラシを配布しましたが、聖クリストファー教会の姉妹もおられました。これらはすべて、地を治めるように主から命じられた責任を果たす、きわめて信仰的な事柄だからです。キリスト者の祈りなのです。3.11以降、そういう関心なくしてキリスト者であるということが出来なくなったのです。一人の人を救うため、あのゲラサの地にイエス・キリストは上陸されましたが、弟子たちはどうしたのか、聖書には書かれていません。おそらく、舟を降りることができなかったのではないか、従いきれなかったのではないかとも想像します。主イエスは今も、主のなさることに関心を持つように、私たちキリスト者を引き出すのです。私たちが自分の問題の中だけで信仰を完結させてしまっているからです。

「モーセは・・・言った。『同胞が戦いに出ようとするのに、あなたたちは、ここにとどまるつもりなのか。なぜ、・・・人々の心を挫くのか』」(民数記32章1~7節)。

3.
K先生のブログに本の紹介があります。
キリスト者として“原発”をどう考えるか

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by rev_ushioda | 2012-03-14 13:10 | Comments(2)

「3つの卒業式」

昨晩、漆間君の神学校(目黒)の卒業式に出席した。彼は、これで4年間の夜学の学びが終わり、Y女学院聖書科の講師は続けるが、いよいよ補教師(伝道師)としてスタートすることになる。とにかく、大変な2重生活から、一旦、解放される。お疲れさまでした。
というわけで、わたしは今春、3つの神学校の卒業式に出席することになった。日本聖書神学校、東京基督教大学(東京基督神学校)、そして聖契神学校である。三者三様というが、まさに。卒業生は順に8人、54人(神学校17)、12人であり、式の運び方は、同じ礼拝なのに、ずいぶん違っていた。
この3校は、そもそも背景が違う。まず、日本基督教団、そして超教派とは言うがどちらかというと同盟基督教団、そして聖契キリスト教団と3つに分かれる。神学的には、自由な立場といわゆる福音主義(福音派)と対極化される。背景にともない、卒業式での説教者の選び方や、説教の傾向が見える。当然、卒業生の派遣先も違う。
こういう違いを背景としながら、教会一致を進めていくのが日本の宣教の現場なのだ、と改めて思う春であった。

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by rev_ushioda | 2012-03-13 09:21 | Comments(2)

ショック!

南林間に出かけ、夕礼拝までに戻るはずだった。
出先で、「夕礼拝があるから6時50分にはここを出なければいけない」と話した。礼拝は、7時からである。南林間を6時50分に出て、どうして7時の泉教会の礼拝に間に合うはずがあろう! 完全にどうかしていた。1時間間違えていたのだ。
今日は早く終わったと思って余裕で帰ったはずが、途中駅で時計を見たら、すでに7時20分!

えっ? /何? /何が起こったのだ?

そこで、やっと、1時間間違えていたことに気づいたのである。結局、夕礼拝に来られた3人をずっと待たせてしまい、40分遅れで礼拝を始め、30分だけの短縮礼拝となった。

17時(5時)開始という集まりを7時開始と思い込み、まだ時間があると思ってのんびりしていたところ、電話を受けて初めて勘違いに気づいたこともある。
どうやら、老化現象のようである。大ショックである。あと10年は現役でと言っているが、大丈夫なのだろうか。3.11の大激震が、私を襲った。

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by rev_ushioda | 2012-03-11 23:34 | Comments(0)

「3.11泉区祈祷会」

昨年の3月11日を覚える祈祷会が、泉区においても行なわれた。
泉区民クリスマス実行委員会の主催で、祈りを目的に集まった初めての集会である。クリスマスの実行目的で集まるのではなく、常設のキリスト教協議会のようなものがほしいと思っていたが、震災を機にはからずも単発ではあっても、こうして祈りの集まりが実現した。
今回は、泉中央キリスト教会がプログラムを準備してくださった。次のビデオにはその一部が収録されている。特に、賛美ダンスというものだろうか、すばらしい映像が収録されているので、ぜひ、見て欲しい。



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by rev_ushioda | 2012-03-10 23:57 | Comments(0)

「神学校閉校」

今日、東京基督教大学の卒業式に行ってきた。卒業生がいたわけではない。「卒業式・東京基督神学校閉校式」とあったからだ。
私は、東京基督神学校の前身「日本基督神学校」の卒業生である。しかも、この神学校にカンバーランド長老教会として初めて入学の道を開いたのは私である。長老主義にのっとった神学の学びが出来るということで、私が選択した学校であるが、その後、何人もがここで学ぶことになった。合併/移転によりその名称がなくなった時点で(伝統は維持してきたが)、私は、気持ち的には母校はなくなったと思っていたが、実際はそうもいかず、千葉に移転した後も評議員をしたり、折々に足を運んできた。
しかし、いよいよここで4年制大学プラス2年間の大学院修士課程と一緒になった「教職者養成課程」ということになった。発展的ということではあるが、ここでついに出身神学校の名前が消えることになったのである。この節目に際して、ぜひ記憶にとどめたいということで、出かけたのだ。
改めて認識した。1949年の神学校設立時は「東京基督神学校」であったが、2年後の1951年に「日本基督神学校」に名称を変えている。私が生まれた年である。62年半で卒業生540人。特に私が勉強したのは東久留米にあった校舎であったが、そこに校舎があったのは12年間だったそうである。そこで62人が卒業しているが、(端数の)2人というのは、私と、石塚先生である。
その後、国立に移転して東京基督神学校と名前を変え、さらに千葉に移転した。自由主義神学に対して「福音主義」という言い方があるが、そういう伝統は当初からあったようである。しかし、それは神学する上で問題にはならなかった。宗教改革の伝統を大事にするということだけを前面に出していたからだ。今、建学の精神は福音主義であると、はっきり打ち出している。それは「福音派」と微妙に重なって理解され、特徴となっている。卒業生の出身教会を見ても、それを裏付けている。福音主義の立場に立つのは、時代の要請でもあったが、しかし、だから時代に制約された立場でもある。神学校が、それを建学の精神にうたってよいものであろうか…宗教改革の伝統を大事にするということでよかったはずである…と思う日々である。そういうこともあって、3校合同で国立に移転して以降、気持ち的には、母校はなくなった、と思うようになった。昔を懐かしんで言うのではない。私の母校は、東久留米の「日本基督神学校」である。

昨年の卒業式(2011年3月11日)の映像(下)
今日も、ほぼこれと同じであった。地震がなかった点を除いては・・・
http://www.youtube.com/embed/POR-2oDi80c



配布された資料 「東京基督神学校の62年6ケ月 ― 神のことばとイエスのあかしとのゆえに」黙示録1草9節

 1949年10月16日、東京基督神学校、杉並区堀ノ内に設立(理事長・渡辺連平、学監・長谷川真)。1950年予科を併設、1951年に日本基督神学校と名称変更(校長 J・ヤング)。堀ノ内時代19年間の卒業生は37人(平均2人)、予科の卒業生47人。1966年、ヤング校長が退任
 1968年に東久留米市氷川台へ移転。1966年から73年まで、小畑進、宇田進、A・P・ソルトー、堀越暢治が教授会議長を務め、1974年、同職に就任した丸山忠孝が1980年から校長となり85年に至る。1980年に東京都の専修学校となり、東久留米時代12年間の卒業生は62人(平均5人)。
 1980年、国立市に移転。東京キリスト教短期大学、共立女子聖書学院と合同し、東京キリスト教学園が設立された。翌年、校名が東京基督神学校に戻る。国立時代は9年で卒業生は106人(平均12人)。
 1986年、下川友也校長が就任、AsiaTheological Association(ATA)の学位(M.Div.)授与資格を得る。
 1989年に千葉県印西市に移転、千葉県の専修学校となり、2000年には音楽科が設置された。2004年に山口陽一が校長となり、2005年、東京基督教大学共立研究所共立研修センターを神学校に移管し共立研修コースとする。
 2009年、学園理事会は神学校の東京基督教大学との統合を決定、翌年に学生募集停止、東京基督教大学への三年次編入が開始された。印西時代23年間の卒業生は288人(平均13人、内音楽科15人)。

 62年半の間の本科卒業生は481人、本科修了生12人、予科卒業生47人、計540人である。

 2009年の神学校は、神学科教職コース(3年課程 ATA・M.Div.)、神学科共立研修コース(2年課程 ATA・M.A.)、音楽科(3年課程 ATA・M.A.)に在校生57人。
 教授会は、宇内千晴、大竹海二、柴田敏彦、山口陽一、油井義昭。講師は、朝岡勝、嵐時雄、伊藤明生、伊藤僚、稲垣俊也、岩田三枝子、宇田進、岡村直樹、木内伸嘉、金換、木森隆、倉沢正則、郷家一二三、小林高徳、櫻井園郎、清野勝男子、天田繋、内藤真奈、飛田喜功、広橋嘉信、丸山忠孝、松原洋満、三浦譲、水草修治、山田泉、大和昌平、米沢陽子、ランドル・ショートであった。
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by rev_ushioda | 2012-03-09 20:57 | Comments(0)