「読んでほしい」

ここを読んでほしい

二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。
  以下、ページをお開きください。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-28 13:59 | Comments(0)

「神学校卒業式 祝辞」

f0086426_21551622.jpg

卒業生の皆さん、今日は、幸いな良い日を迎えられました。心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。

また、神学校の先生方には、いつも、私どもの神学生を受入れ、ご指導いただいておりますことを、カンバーランド長老教会日本中会を代表して、心から感謝を申し上げます。
日本中会は、国内には自分たちの神学校を持たないため、永年にわたり、こちらの学校に教育をお委ねしてまいりました。卒業後、一人ひとりは、良く教会に仕えて、よい働きをしていることを、この場をお借りしてご報告できることをうれしく思うと共に、先生方のご指導のおかげと思って、改めて、心からの感謝を申し上げる次第です。

さて、卒業生の皆様方には、月並みではありますが、「お体を大切に」ということを申し上げたいと思います。
皆さんは、神学校では先生方を相手に、先生方の「胸を借りて」、ずいぶん頑張ったわけですが、卒業すると、しかし、やはりそこでも頑張らなければなりません。生涯、教会にお仕えするなかで、これからはもう、神学校の先生相手ではありません。向き合うのは、信徒の皆さんであり、いまだ聖書を読んだことのない人であり、様々な問題を抱えている人です。今も、そう言うのでしょうか、ウルトラ・シーを、しょっちゅう使わなければなりません。当然、頑張り方ということを、考えなければならない、と思うのです。
私のことで恐縮ですが、私は教会に遣わされた当初の20年の間に、4度、今思えば、心理的な不調を経験しました。
① 最初は、めまいでした。神学校を卒業して最初の年の秋、寝ても起きても部屋中、ぐるぐる回って、数日間寝込みました。
② 何年かたって、最初に中会の議長に選ばれたとき、十二指腸潰瘍になりました。ある長老から「委ねなければダメだ」と言われ、「委ねてますよ」と、少し、むっとして言いながら、そうか、委ねてなかったのかと、内心、幾分かは反省して、委ねようとしたら、委ねるってどういうことだったかよく分かってなかったことに気づき、余計、ストレスになった。
③ ある時、一人の女性が、顔を腫らしてきました。息子の暴力だ、と。その方を1週間くらい教会にお泊めした時は、家族には「ここにはいません」と言わなければならないわけで、水が飲めなくなった。牧師はうそをつけないと思いました。
④ また、別のある時は、電話に出ることができなくなって、さすがにヤバイと思って、カウンセリングに行きました。この時が一番、お金がかかりました。

色々ありますが、振り返ってみれば全部、心理的な不調でした。そして、全部に共通して言えるのは、頑張っていた、ということです。そして後から分かるのですが、「妙に」頑張っていた時です。「委ねてますよ」とその時は言い返した、と言いましたが、実は、くやしいけれど、当たっていたのです。
主に委ねるというのは、「そうしよう」と思って、出来るものではないことは、後で知りました。自分が頑張っていては、委ねられないのです。委ねるというのは、その前に、頑張っている自分に、まず気づかなければならなかったのです。そして、そこを解放しないと、委ねることができないという、当たり前の順序があることは、頭で分かっていても、体では分かっていなかった・・・ようです。どうして体でわからないかというと、牧師は、十分頑張っているのに、まだ頑張り足らないと、どこかで思ってしまうから、です。

ある時、タコを揚げようと、子どもが広場で走り回っている。「タコを揚げるのは、そうじゃないんだ、こうだよと、と糸を長くして、風が来たら、糸を引く、そしてタコを握っている手を離すんだ」と、教えたことがあります。
その時に、そうだ、と気づきました、自分だって走り回っていたじゃないか、と。何かいい方法はないかと、風を感じるというより、こうでなければ、ではどうしたらいいかと。人がこう言えば、そうか。ああ言えば、また、そうか、と。状況を改善するためにどうしたらいいかと、気持ちが、走り回っていた。そういう時は、タコを「握り締めていた」ようなものです。握り締めていたら、揚がるものも揚がらない。私は、委ねるということを言葉で知っていましたが、体で知っていなかったことに、気づきました。握り締めていたものを解放することが大事だったのです。
その作業には、少しカウンセリングの力を借りなければなりませんでしたが、それ以来、気持ちが軽くなって、「今日は、どんな風かなあ・・・」なんて思えるようになりました。
皆さんには、いい風を受けて、すっと手を放す、そして風の中で、みこころのままに主の御用に用いられる、そのような牧会に立っていただきたいと思います。
祝辞にはなっていないと思いますが、今日は、主のために用いられる人生の旅立ちです。教会にお仕えする、出発の日です。この道は、先の長い道になります。どうぞ、不必要な頑張りから解放されて、主に委ねて、・・・お体を大切になさっていただきたいと思います。

関連ブログ記事 ⇒ K先生のブログ (上の写真は、ここから拝借いたしました。撮っていただいて、ありがとうございます!)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-27 11:45 | Comments(0)

「殉教者の血が私にも」

ネットで検索、入手した原稿。ただし、現在は削除されており、出典は不明。
ここに出てくる「竹入悦夫」先生は、私に洗礼を授けてくださった牧師である。

心解かした「教団の謝罪」
 
戦時中に死んだ父にあてて1通の手紙が舞い込んだのは、その死から40年以上がたった1984年12月のことだった。「信仰の仲間をこのような形で切り捨てた罪を心から反省しております。…教団がおかしたあやまちを40数年も放置していたことをここに深くおわびいたします」
差出人は、キリスト教の団体である日本基督教団。戦時下では唯一の、プロテスタントとしての合法的宗教団体だった。国家に迎合し、治安維持法違反で検挙された牧師らに辞任を強要したなどとして、謝罪を表明したのだ。
読み終えた竹入悦夫さん(69)=神奈川県横須賀市=の胸に、複雑な思いが去来した。
京都で牧師をしていた父の高さんは、42年に逮捕された。獄中で感染したとみられる結核が悪化し、1年3カ月後に突然保釈されると、すぐに命を落とした。かかわりを恐れてだろうか、京都では葬儀を引き受けてくれる牧師は一人もいなかった。
残された家族は辛酸をなめた。皆で内職に精を出したが生活できず、横浜に住み込みの仕事を見つけて京都を離れた。生活難は戦後も続き、悦夫さんも母の琴さんを助け、中学を早退して夜中まで働いた。
新憲法の下、キリスト教は息を吹き返し、勢いを増していた。それなのに「なぜ、うちの家族は忘れられているのか」。若い悦夫さんの胸にはくすぶる思いがあったが、琴さんは愚痴を言わず、黙々と働き続けた。
40年の歳月を経て届いた謝罪の文書には、「今さら」という苦々しさと、「忘れないでいてくれた人がいる」という思いが交錯した。謝罪の集会も開かれた。高齢となっていた琴さんは感情を表に出さなかったが、「出席したい」と言って悦夫さんを伴った。
日本基督教団は67年に戦争責任の「告白」を表明。さらに17年後、この謝罪を行った。
一方、牧師が検挙され教会を解散させられた側でつくる日本ホーリネス教団は、97年になって戦争責任に関する「告白」を発表する。
被害者意織が強かった同教団だが、歴史を検証した上で、自らも「軍国主義と、それを支えた天皇制を支持した」などと表明したのだ。率直にそう告白するまでには、半世紀以上の歳月と指導者らの世代交代が必要だった。

f0086426_23414986.jpg

写真説明文 「摘発された竹入高牧師が亡くなった後、京都で最後に撮影した家族の写真。手前右が悦夫さん、後ろが母・琴さん(ご家族提供)」

参考 「日本キリスト教団京都復興教会の教会案内」には、以下の一文がある。

1946年2月12日創立。戦前の朱雀(すざく)教会は弾圧により解散し、当時の朱雀教会牧師であった 竹入 高(たかし)牧師は殉教されました。戦後、緒形乙枝牧師により山科の地に復興。「朱雀」の名は京都の一地域名のため、現在名に改称され、京都復興教会となりました。

私は、上の写真の竹入牧師から洗礼を受けた者である。私には、殉教者の血が流れているのだと思っている。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-22 23:39 | Comments(4)

「大山道」

今、新型の教会案内を作っている。まあ、見たらびっくり、教会案内とはおよそ分からない編集である。出来上がるのが楽しみだ。
f0086426_2352975.jpg

さて、その編集に入れるのが、「大山道」の記事である。教会のすぐ近くを通っている古道なので、取り上げようと思った。そもそもこういう編集が、「新型」の意味である。さて、記事の内容をそのまま転載する。

見出し:
 和泉町は旅人で賑わった!

小見出し:
 和泉小学校から いずみ中央駅に抜ける細い道は、「大山道」という古道で、江戸時代に大山詣と遊山を兼ねた旅行をする人たちで、たいへん賑わった。

本文:
 この道は、戸塚(不動坂)から始まり、国際親善病院横から住宅地を抜け和泉小学校入口信号~和泉小学校~いずみ中央駅~長後を経て大山に至る道です。江戸から東海道で来た人々は、戸塚の柏尾から「大山道」に入り、和泉町内を通って行くわけです。なるほど、写真の庚申塔から、元ナリタヤさん辺りまでだけでも、探せば4つもの古い道標、供養塔が見つかります。
江戸から来た人々が私たちの和泉町内を往来したと考えると、ロマンを誘います。
東海道などは、時の権力によって出来た政治と産業の道。そういえば東海道四百年を機に一気に東海道ブームで、東京(江戸)から京都まで歩いていこうという人が多いのですが(筆者も完歩!)、一方、大山道は大山詣と遊山を兼ねた旅行目的の道で、「庶民の道」と言って良いでしょう。
写真は「和泉小学校入口」交差点にある庚申塔。
f0086426_0101218.jpg


にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-22 00:07 | Comments(2)

「中山道は命がけの道」

中山道、起点となる近江の国「草津」を出発するのは、いつにしようか、考えている。
ところで、街道全体をガイドブックでぱらぱらと見ていて、相当な区間が山の中である。隣接する鉄道がない区間も相当ある。車と鉄道をどのように使おうか、これは東海道にはないパズルのようなおもしろさがあるなあ、と思った。そして、ある文に釘付けになった。
「いよいよ峠越えである。・・・登山靴をはき、飲料水は必ず持参したい。また熊や猿が出没することもあるので、熊除けの鈴を携行しよう」。
f0086426_22232134.jpg

エ~!!!と思った。軽井沢宿から坂本宿に至る道のことである。そんな大事なことをさらっと書いてもらっては困る。楽しみにしていた気持ちが、急に萎える思いがした。以下の文章のように、熊のことでは、私にはトラウマがある。

ちょうど今頃のことでした。子どもたちのために計画した夏のハイキングの下見のために、私は、西丹沢の山を歩いたことがあります。雨が降っていたのですが、3時間位の山道を、私はその入口から歩き始めることにし、一方、妻にはひと山越えたコースの出口に車をまわして、そこで待つようにと打合せして、一人で歩き始めたのです。
雨の丹沢は、さすがに歩く人は誰もいません。1時間くらい歩くと、一つの看板が目に留まりました。正直言って、あの時ほど背筋が寒く感じたことはありません。その看板には、こう書かれていたのです。「熊に注意」。
注意と言われても、どのようにしたらいいのでしょうか。山で熊に鉢合わせし、格闘の末、大怪我をした、死んだ、という人のニュースが頭をよぎります。恐怖のため、まったく途方に暮れてしまい、引き返そうにも妻が先で待っていますから、戻るわけにもいきません。途方に暮れながら、おそるおそる歩いて行くと、行く手で「ガサッ」と音がしたのです。「出たっ」と思った瞬間、私はすぐ近くの木に登っていました。様子をうかがうこと数分、やっと、それは笹の葉に落ちた雨垂れの音だとわかったのです。

さて、熊と聞いて気持ちは相当萎えたわけだが、そうは言っても止めるわけにもいかない。これは「冒険」なのだ。東海道のようなわけにはいかないぞと、気持ちを入れ替え、草津発ちは4月30日と決めた。

後日:

念のため、他の人のブログを見たら、次のように書いてあった。信濃路は鳥居峠のこと。
「中の茶屋跡の先も草道や沢に架かる木橋を渡り、つづら折りの道を登っていくのだが、ちょっと気になることが。動物の糞があちこちに見られるのである。犬の散歩などあるわけが無い。とすると、イノシシ? 鹿? それとも熊? 熊除け鈴をガンガン鳴らしながらの登坂でした。・・・明治の道に入ると、恐れていたことがついに現実に。熊です熊。『熊除けの鐘』と大書されたカンバンと小型の鐘が。『熊も人が怖いので、鐘で知らせてあげよう』と書かれている。熊さん、鳴らすから聞いてね。この先にも何箇所も『熊除けの鐘』がある。」
f0086426_2225353.jpg

この時点で、相当、ビビリが入ってきた私である。で、調査開始・・・

2006年 岐阜県恵那市
「現在、恵那市では10月5日の新聞折り込みにおいてクマに会わないための対策などをお願いしています。」

2007年 ブログ記事
「塩尻峠に向けての旧中山道ルートを、店先で話し込んでいる男2人に確認する。すると『つい先日も熊が出没したと有線放送があった』と言う。以前の新聞記事も塩尻峠だったのかと背筋が寒くなる。」

2011年 長野県・長和町観光協会
「5月上旬に和田峠を越えて中山道を歩かれた方から、下諏訪町側の西餅屋下、垂木坂(53番目の一里塚跡下)付近で、熊に遭遇したとの情報が長和町役場産業振興課に寄せられました。中山道を歩かれる際は、鈴やラジオなどの鳴り物を携帯し、熊と遭遇しないよう注意してください。」
f0086426_22281790.jpg

f0086426_22283614.jpg

f0086426_22285157.jpg


う~ん、熊の生息地を通るのは間違いなさそう。気持ちを引き締めるだけでは、対応できそうもない。恐怖心で山中を歩くのは不本意である。これはもう、根本的に見直す必要がある。雪だけが問題だと思っていたが、思わぬ「敵」が現われたものだ。

ん?

熊の生息地に幕府は街道を作ったのか?

にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-16 16:15 | Comments(2)

「受難節を迎える」

来週の水曜日から、教会のカレンダーで「受難節(レント)」に入ります。受難節は、別名「四旬節」(40日間という意味)と言います。復活祭(イースター)前の日曜日を除く40日間だから、「四旬節」です。日曜日を含めると、実際は46日の期間ですが、毎年、水曜日から始まって復活祭の前日まで、教会はこの期間を大事にします。
元来、この期間は、求道者が洗礼を受けるための準備に用いられたようです。
4世紀の終り頃のエルサレムでは、復活祭前の7週間、毎週3時間の受洗準備が行われていたという記録があるらしいのです。その後、この期間を求道者だけでなく全教会がまもるようにしたのですが、伝統的には、祈り、断食、慈善が勧められたようです。そのような節制の意味するところは、キリストの苦しみを分かち合うということです。ですから、結婚式などの祝い事はしなかったのです。しかし大事なのは、そういう内面的なことで終わりではなく、もう一つの、慈善へと昇華させたのです。受難節は、そういう期間でした。
そうすると、この期間は、言ってみればキリスト者の「修行」の期間と言えるのかもしれません。普段、いい加減な生活をしてきた人も、この期間は襟を正して礼拝に出るようにする。寄付などしたことがなかった人も、たとえば東日本大震災を覚えて義捐金を送る。身近では、礼拝での献金を大事にする。こうして、キリストに従い、新しい出発をするのです。それが受難節の意味なのです。
「受難節」を、なぜ「レント」と言うのかというと、「日が長くなる季節(つまり春)を意味するlengtenが変化した語とされる」(岩波キリスト教辞典)からだそうです。日本でも、まさに春を迎える良い季節に、キリスト者は「キリストの受難」を思いめぐらす(かつては断食もした)ことになります。それは、実にふさわしいことだったと思います。罪にまみれた人間は、放っておいて「春」を迎えられるわけではないからです。主イエスの十字架と復活によってこそ、私たちに「御国の春」が訪れるからです。
まず、どうか、これからの7週間、必死で礼拝を求めていただきたいと思います。大事にするためには、何かを捨てなければなりません。そういう「修行」していただきたいと思うのです。そして、春を迎えましょう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-15 17:39 | Comments(0)

「ツナミの小形而上学」

いつの間にか手元にある本。

「原発を終わらせる」石橋勝彦著、岩波新書
「日本の大転換」中沢真一、集英社新書
「原発が許されない理由」小出裕章著、東邦出版
「原発と憲法9条」小出裕章著、遊 社
「ツナミの小形而上学」ジャン・ピエール・デュピュイ著、岩波書店
「原発とキリスト教」新教出版社

ツナミの小形而上学」は、現代社会の暴力や悪の問題についての哲学的な考察で、原書は2011年ではなく2005年に、スマトラ沖地震を受けて出版されたものである。私には難しく、ほとんどわからない本だったので、読むというより、斜めにページを繰るしかなかった。しかし、心がひかれるテーマを追いかけていたので、印象に残っている。
人は、未来の破局にどう向き合ったらよいのか、というテーマである。本文は、とにかくわからなかったが、23ページにわたって書かれている「解説」が助けてくれた。それによると、著者の関心事は、

「確実な破局」を、いかにして避けるかというより、むしろ、「確実な破局」を「非現実」の領域に押しやって、目の前の現実に身を委ねてきた道をそのまま進もうとする世界の趨勢を、どのような意識転換によって変えられるのかである。

それで気づいたのは、本文に次のように書かれていたことだ。

「(スマトラ沖)地震の発生とツナミの高い蓋然性について、タイの当局がきわめて早い段階から可能性を認識しながら、自国の観光業を壊滅させないために、わざと警報を発しなかった」

自然災害といえども、社会的なもろさのために引き起こされるのだという指摘。東日本大震災の悲劇の多くは、企業間の癒着、安全神話がそれである。多くの生徒を失った学校だけでなく他の学校の多くも、ツナミを想定していなかったという、非現実思考。今回の災禍は自然災害なのかという問いが発せられている。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-13 11:27 | Comments(0)

「あと10年」

現役で牧師としていられるのは、この1月で最長10年を切った(通常5年)。
たまたま、N聖書神学校の卒業式で祝辞を中会議長としての立場で頼まれた。何を話したらいいのだろうか、などと思っていたら、なぜか、自分の後ろはどうだったか、どういう道を歩んできたか、という思いにもなる。

私のパソコンのデスクトップ画像は、神学校の卒業式の写真であるが(下に添付)、丸山校長(その頃は教授会議長と言っていたと記憶する)の派遣の言葉が響いた、あのホールから出発したという思いがあるからだ。

しかし、記憶は、もっとさかのぼる。赤軍派の拠点校、K学院大学で、学生運動の嵐が吹き荒れる中、それを横目で見ていた、いわゆる「ノンポリ(政治に無関心)」学生であった頃。神学校に入学して、まるで塾のような神学校生活の後、派遣された「伝道所」は、バブル期ではあったがそんな世の中とは無関係のような貧相な借家。そこで伝道した頃。そこに仕えた約20年の間に、周りは気がつかなかったようであるが、心的な不調を少なくとも4度、経験した。めまい・・・十二指腸潰瘍・・・水が飲めなくなったこと・・・電話に出れなくなったこと。皆、心的原因である。4度目の治療は相当お金がかかった。そういうことを経て、15年前、もう一つの開拓を志した。思い出せばいろいろある。

大きく見れば、団塊の世代の直後に属する。戦禍を経験していない、平和な時代に生を受けた。学生運動に乗れずに、しかし、召されたところは、伝道の場であった。牧師になっても、別にとやかく言う人はいない。まあ、その時は、牧師がどういうものか知らない親にとっては唐突な話で、親を泣かせてしまったが。その父も、自分の葬式をキリスト教ですることを許し、15年前に逝った。93歳の母は、去年のクリスマスに息子の手から洗礼を受けた。こうして、キリスト教と言っても、迫害を受けるわけではない。そういう時代に牧師に召されたことは、自分にとってどういう意味があったのだろうか。
はっきり言って、牧師になってから、そこから思索の旅が始まった。出遅れた者を、主は召された。依然として、よちよち歩きを脱し得ない。あと10年と言っても、あっという間に過ぎるだろう。還暦を越えたからといって、あせらないと言ったら、うそになる。何をすべきか、考えるべきか、そして、何をすべきでないか。
f0086426_12202338.jpg

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-06 12:01 | Comments(0)

「権力の道」

街道の旅も、今度は中山道に移ることになるが、前々から、こういった街道は何のために作られ、そして使われたのかと思っていた。伊勢参りとか、商業用にとか、もちろんそういうことのためにも使われたが、しかしよく考えると、幕府の権力行使の道具だった。
道路の代表的なものとしてのローマの街道も、「全ての道はローマに通ず」と言うが、これも紛争鎮圧のための軍用道路だったとか。その結果の「ローマの平和」である。江戸時代の五街道も、参勤交代など権力維持のために整備されたものなのだ。その結果、江戸時代の「天下泰平」の世の中が実現した。たとえばすでに歩いてきた東海道など、川に橋をかけないところが何個所もあり、それは首都防衛のためであった。街道に立つと、権力維持の執念を感じる。

そういう、権力の臭いがする道を歩いてみることも、歴史から学び、先を見るためにはまた大事かと思うこのごろ。

写真は、ローマ、アッピア街道。やはり石畳で、両脇には何と松(日本の松とはどうも違うようだが)が植えられていて、1里塚ならぬ1000歩ごとの里程標「マイルストーン」もある。日本の街道とそっくりではないか。
f0086426_22234416.jpg

にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-04 13:25 | Comments(0)

私は、もうずいぶん前から、自分の牧会スタイル、牧師としての生き方を定めてきたように思います。というのは、それまでは、試行錯誤と言えばまだいいのですが、途方に暮れて、人の意見を次々聞いてはやってみようとしたことがありました(実際、すべてやってみたのではありませんが)。しかし、自分にあわないものを取って付けても、「うまく」いくはずがありません。それで、決めました。どんなに良いと思っても、人の意見にその都度、動かされるのはやめよう、と。それは、その時はよくても、自分の牧会にはならないのです。つまり、責任が持てない。そういうことではいけないと思ったのです。
しかし、実際、人の意見には動かされやすいわけです。聞かなければ、どう思われるだろうかという、恐れが付きまとうからです。だから、人の意見にその都度、動かされるのはやめようと、「決め」なければならなかったのです。そして、聖書、信仰告白、また、教会の歴史が証言するところに従っていこう、とも決めました。そして何よりも、自分で説明できないことは、自分の中で消化されるまでは、簡単には聞かない(動かない)と決めました。私なりの責任の取り方を学んだのでした。
その結果、結構、人の意見を聞くようで聞かない。頑固になったかも知れません。うまく合わせなかったために、失わなくていい人を失ったかも知れないのです。それでもいいと決めました。自分の足場を持たない優柔不断な人に、本当に信頼してくれる人はいない、と思ったからです。この牧会姿勢に頑固であるなら、それはそれで信頼してくれる人がいると信じました。それも、もうずいぶん前のことです。
私は、規定では「定年」まで満5年となりました。しかし、規定にはただし書きがついていて、教会との関係では2年、2年、1年と延長できます。すると、私の現役は、今年の1月の時点で最大であと満10年となりました。いよいよ頑固になって、信仰の仲間たちの中で、私に託された役割を全うしたいと思っています。神さまの前に立った時、仲間たちの信仰の責任は私が引き受ける覚悟を持って。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-02-03 13:02 | Comments(0)