日曜日、夕礼拝が終わってから(8時過ぎ)出発。1時間半くらいで、つまり夜10時前に、箱根湯元に着く。
ホテルでゆったり温泉につかり、朝もゆっくり過ごし、月曜日の昼頃には帰宅する。1泊朝食付きのプラン(わけありプラン、5500円/ひとり)を見つけたことをきっかけに、2ヶ月に一度くらい、夫婦でこんなことをし始めた。疲れた心身を癒し、リフレッシュするには、今のところ、いい方法だと思っている。
いいホテルでも、自分たちの生活パターンに合ったプランを見つけると、安く泊まれるわけで、どういう「わけあり」かと言うと、部屋が、箱根の景色が見える開けた側ではなく道路側に向いていて、部屋からの景色は期待できない、という「わけ」である。夜10時、暗闇の中で到着する我々には、まったく関係ない。
そろそろ61歳、結婚35年になろうとしている。なぜか最近、体の疲れが非常に取れにくい。妻のほうは来年、一足先に65歳定年の年・・・ ここで先に辞められても困る。というわけで、日常に「隙間」を見つけては、“ちょこっとの”リフレッシュで、召しに応える長い道を、これからも歩んで行きたいと思う。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-31 20:48 | Comments(2)

「立ち止まってみる」

ある日、私が駅の自動改札を通ろうとしたらピンポーンという音がして、バタンと扉が閉まったのです。あれは、経験した方は分かりますが、とても嫌な感じですね。出てきた切符を見ると、どうも私が買った切符ではない。駅員さんに尋ねると、どうも前の人の切符が機械に詰まっていたらしいということで、無事、通らせてもらったのですが、しかしあのドキッとした感じは、まだ消えません。
私は、人生の終わりの時を考えました。自分では「これで良い」と、そういう自負を持って誰も生きているわけですが、しかしその自分の目には良い人生も、別の目から見ると、結構違う評価というのがあるのかも知れない。通れると思って行く、その最後の門で、警告音と共に急に扉が閉められる。
私たちは自分なりに真面目に人生を生きており、だから人からとやかく言われたくないという自負があります。でも、一生懸命というのは、たとえば高速道路を一生懸命に走る車を考えるといいと思いますが、極端に視野が狭くなり、周りが見えなくなるのですね。同じように、真面目で一生懸命であればあるほど、自分が中心の価値観を作っているのかも知れない。立ち止まって、視野を広げる必要があります。
聖書の中に、律法に従って真面目に生きている、いわば「善良な市民」が出てきます。彼らは、罪を犯した一人の女性をキリストのところに連れてきて、こういう奴は法律をきちんと適用して死刑にすべきだと、血走って言うのです。ところが、キリストは地面に何か書き続けていました。─ 沈黙の時が流れ、そして言われるには、「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。すると、一人去り、また一人去り、こうして皆、その場を去って行きました。キリストは、沈黙の時間を大事にされた。真面目で一生懸命になっている人々を立ち止まらせる、この「無駄なような時間」が大事だったのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-27 09:20 | Comments(0)

「被災地訪問」

ようやく、多賀城のH姉を訪問できた。座間にいた時、洗礼を受け、その後、ご主人をなくされ、郷里の多賀城に帰られた方である。

震災後、連絡がとれずにいたところ、T牧師が宮城に行かれると聞いて、住所を渡し、ぜひ探してほしいと願いを託した。津波で被災、妹さんの家に避難していたために連絡がとれなかったのだが、たまたま家の片づけにきていた彼女に会うことができたとT牧師から聞いて、まずは安心した。以後、携帯電話を通じて連絡がとれるようになり、また、教会の仲間たちが再三訪問してくださり、中会からも義捐金を手渡すことができた。そういうことの後の訪問であった。

もう、30年も前に神奈川から送り出し、10年ほど前に一度、私の家族でお訪ねして泊めてもらったこともある彼女の家は、建物の形はあるものの人の高さ以上の波をかぶり、ここに戻ってきて住み続けるには、かなりの迷いがあると思われる状況であった。近所を見回すと、そういう家が、新築の家であっても何軒もある。今、仮住まいされているアパートから見えるご実家も、地震で壁が崩れ落ちている。
「こっちの川から、そして、まさかと思ったのは、向こうのあの林を越えて、水が来たんです」。見ると、その向こうは石油コンビナート。林の向こうにあるタンクは、次々、爆発したそうである。

私が聞いたのは、話としてである。実際、この場にいた方々は、生きた心地がしなかったであろう・・・

止まらない話であったが、帰る時間もある。「(神奈川で亡くなった)主人のお墓を、10年近く前に建てたんですよ」と言われる、お墓に案内してもらった。その途中、海岸沿いを通ってもらった。ニュースを通して見て来た、家の「土台」が、そこかしこにあった。「土台」の隣に、流されずに残った家があるが、よく見ると損傷がひどい。夏草がはえ、ただのただっ広い空き地かと思うと、「ここも、あそこも、ずっと、家があったんですよ、ずっと、ずっと・・・」 「あそこに海は見えなかったのに、今は、見えるんです」 「しばらく、この道は、私は通れませんでした」。車の中は、じっと外を見つめるしかない私たちの中で、彼女が説明する言葉だけが続く。良く見ると、草原のあちらこちらに、めちゃくちゃに壊れた車が置き去りにされたままになっている。その向こうには、「瓦礫」が1ヵ所に集められた「山」が見える。7ヶ月前まで人の住処であった所は、今、草に覆われ、家などなかったかのように、災害など何事もなかったかのように静まり返っていた。

朝6時出発、帰宅は24時半であった。日帰りにはきつい行程であった。疲れた。いや、まざまざと見せつけられた被災地の現実による精神的疲れのほうが、大きかったか。災害は、物が失われることではない。そこに生きた人間の日々の生活が、また、家族が、仕事が、希望が、そして命が、失われることだ。歴史は、「2011年、東日本大震災」と記録するだろう。しかし、そこには語っても語りつくせない、溢れる人間の言葉があった。

お墓は、津波に襲われた海岸を眼下に見下ろす高台にあった。墓石を見ると、「いこいのみぎわに伴われる」という言葉が刻み込まれていた。「みぎわ」とは、水際、水のほとりである。「主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる」という聖書からの言葉であった。被災地の海岸線に立って、天の「みぎわ」を深く想起した。
f0086426_20472164.jpg

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-18 10:35 | Comments(0)

「弱さを認める」

北海道のアルコール依存症の社会復帰施設で働く友人から送られてきた本は、施設で出会った人々との交流を、暖かな目線で描いています。アルコール依存になると、そこから抜け出るのがものすごく大変なのですね。その本にはアルコール依存者自身が書いた話も、載っていました。その人は、今度こそ、今度こそと本当に真剣に思いながら、しかし同じ事を繰り返して10回、20回と入院することになる。そのうちに家族、親族から見捨てられたと思う。あるいは本当に見捨てられる人も多いのですが、こうして居場所をなくして、私の知人が館長をする施設に入所してきたのです。
けれども、彼はいつもこう言っていた。「ここは宗教くさい」「世界で貧困や戦争戦争を起こしている原因は、宗教だ」「あいつが悪い」「ここのやり方が悪い」すべて悪口になる。万事そんな具合だったそうです。今は自分を見つめるのが大事な時に、いつも自分以外に目を向け、批判してきたというのです。

なぜ素直になれなかったかというところで、彼は「たぶん自分が弱い人間だと認めたくないからだと思います」と言います。回復するためには、どうしても「自分はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなった」と認めなくてはならないのですが、そのところでひっかかっている自分がいた。20回も入院を繰り返しているにもかかわらず、その弱さを認めたくない自分がいる。それで、自分を守るために周りを批判していた、と言うのです。

これは、しかし私たちの問題なのではないでしょうか。自分は弱い。しかしどこかで自分の弱さを認めるのが怖い。それで、人を批判する。批判しているうちは、自分に目を向けなくて済むからです。
この「からくり」に、私たちも早く気づいて自分の弱さと向き合うときに、私たちは本当に強くなれる。独り立ちできるはずなのです。そのために、教会という場は、きっとあなたの助けになるでしょう。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-10 21:47 | Comments(0)

「出発の仕方」

あるとき、事情があって教会に2週間ほどお泊りになった親子連れがいました。そのお母さんは仕事を探していて、ある夕方、これから人と会って来ると言って出かけました。こんな時間に? と思いましたが、案の定、それはどうやら風俗関係の仕事の面接だったのです。この方の場合、軽い知的障害があってそれで離婚され、教会に一時的に転がり込むことにもなっていたのです。社会生活に適応する力が不足していたので、この時も自分がしようとすることがどういうことかは、分かっていない様子でした。だから説明もできなかった。ところが、不採用だったのです。どうして? と聞き返しますと、何か宗教を持ってるかと聞かれたので、とっさに泊まっている教会を思い出して、クリスチャンでもないのに「キリスト教です」と答えた。すると相手から、「じゃあ、あなたには無理だ。できないよ」と言われたというのです。
私は、この人が自分で判断する力がないまま、その仕事に就かなかったことを本当によかったと思いました。そして、教会から出かけて行って本当に良かった、とも思ったのです。
出かけて行って何でもできるなら、それにこしたことはありません。しかし、「それはできない」と、道を閉ざされる出発の仕方だって、大事なのではないでしょうか。何でもしよう、と思った瞬間、心にきちんとブレーキがかかるような出発の仕方があるのだと思います。パウロという人は、自分は「イエスの焼き印」を身に受けていると言いました。自分はイエスの命に生かされている、恵みに捕まえられている、という意味です。イエスの命に生かされ、恵みに捕まえられている人、「イエスの焼き印」を身に受けている人は、できないことがあるのです。しかし、これは不自由なことなのでしょうか。決してそうではないのです。
私たちは、いったいどこから出発しているのか考えたいのです。そして願わくは1週間ごと、初めにご紹介した女性のように、教会という、祈りの場所から出発してみていただきたいのです。もう一つのドラマがきっと生まれます。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-04 09:59 | Comments(0)

「2枚の写真」

ローソクが、夏の暑さで曲がった。
下を削ってまっすぐにしようとか、いや、削らずに下に支えを入れればまっすぐになるのではないかとか、皆でしばらく言い合った後、このままにしようということになった。傾いたままの存在でも主は受け入れてくださったと、私たちは信じるから。
f0086426_20505498.jpg


宮が瀬湖畔にある、歩行者用大吊橋(橋長315m、高さ21m、吊橋の長さでは全国3位)を、真下から見たもの。今、歩いてきた橋を、下に回って撮ってみたもので、この位置からでは吊っているロープは見えない。
・・・上の写真との関係は、答えは見る人の中に。
f0086426_2134087.jpg


日曜日の夕礼拝のあと、体に疲れがたまったので箱根に「いっとき休養」に行くことにした。急遽「じゃらん」で、安く、しかも口コミ高評価のホテルを探して予約(B&B 5,500円)。夕礼拝後に教会を出たので、着いたら夜の10時となった。それでもゆっくり温泉につかり、ゆっくり朝食をいただき、朝食後ホテルを出て11時頃には家に帰着のはずだったが、厚木まで来たときに左手の山々を見ながら、気が変わって宮が瀬に行こうということになった。上の写真は、そこで撮ったものである。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-03 21:08 | Comments(2)