「岩の上に」

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

この聖書個所の説教を準備していたら、こんな記事と出あった。

 →牧師所感

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by rev_ushioda | 2011-08-25 12:59 | Comments(0)

「街道を歩く」

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(聖書)

地図を見ると、いくつかの「直線」が引かれています。新幹線、在来線、高速道路、そして国道だ。そういう「直線」が延びているのがわかるでしょう。出来るだけ早く、目的地に行かれるようにすると、直線になるのです。
その陰に隠れて、旧街道が国道を入ったり出たりしています。
いや、もともとは、そういう街道しか、なかったのです。人が歩く道は、山を避け、谷を避け、くねくねと延びていましたが、しかしトンネルを掘り、橋を架け、まっすぐな国道が出来、高速道路となりました。鉄道もどんどん直線化して、新幹線になりました。
今、私は年に1、2度、旧東海道を歩いているのですが、最初の道を見付けるのに、苦労する所が多いです。歴史、人の動きは、「真直ぐ」な方に動く。少しでも速い方に、動いてきたのです。そして、最初の道は、忘れ去られます。廃道になります。くねくね曲がったもの、遅い道(もの)は、忘れ去られていくのです。
しかし、旧東海道を歩きながら発見するのは、そこに生きた何千、何万人の人々であり、そこに生み出された何百年の歴史です。直線と、速さの中では、決して見ることのない、生活の営みが、見えてくるのです。
旅でお世話になっている『歩いて見て楽しむ 平成東海道五十三次』の最後に、著者は、次のように書いています。

「東海道が敷設されて400年。人は文明を発展させ、便利な世の中にすることで多くのものを手に入れた。しかし、私はこの旅を終えて気がついた。多くのものを得るということは、同時に多くのものを失うということではあるまいか。旧東海道を歩いていると、実に多くのものが目に飛び込んでくる。古い家並み、一里塚、道端の石仏、道祖神。しかし新幹線に乗る、または自動車で走りすぎると、これらのものは一切視界の外である。さらには、これらの鉄道を通す、自動車用の道路を敷くのは、これら多くのものを押し潰すことによってしか、なしえないのだ。新たなものを得るために、人は便利さを追及した。しかしこれは、多くのものを失った上に成り立っているのである。・・・私たちは、この便利さによって多くのものを得たとき、同時に多くのものを失っているかも知れない・・・」

多くのものを得るために、人間は、まっすぐな道を建設し、「広い門」「広々とした道」を作ってきた。しかし、その結果が、たとえば、原子力発電所ではなかったでしょうか。原発事故という人災につながったのではなかったでしょうか。原発もまた「広々とした道」ではなかったかと思うのです。原発は、便利だ、安全だと言われてきました。しかし、一旦、事故が起きれば、人間のコントロールが効かないところで100年単位で、勝手に放射能を出し続けるのです。止められない。放射能で、町に人が住めなくなる。いくつもの町が無人化する。・・・便利さを追求するあまり、こうした「広々とした道」は、人間の生活を奪い、命を脅かすものだと、ようやく気づいたのです。
「新たなものを得るために、人は便利さを追及した。しかしこれは、多くのものを失った上に成り立っている。」 街道を歩くというのは、色々なことに気づきますが、結構、「哲学的」なことなのです。

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by rev_ushioda | 2011-08-24 10:29 | Comments(0)

「何とか家族旅行」

下の娘が家族旅行したいと言うので、動けるのは月曜日しかない。日曜日の午後からということで、河口湖に行くことに。まずK家族と先に行ってもらい、私は日曜日の午後は委員会があり、夕礼拝もあるので、夕礼拝が終わってから合流とした。私たちが着いたのは夜の10時半。忙しい1日だったが、まあ、それでも家族旅行には、なったか。河口湖畔、根場いやしの里などで散策し、それでも結構、気分転換にはなる。
宿は、この時期、あいているところを急に申し込んだので、大人にはイマイチ感が残ったが、孫はと言えば、和洋室の広さに大喜び。お風呂も、これがかなり広く、ぜいたくに出来ていて、そうとう気に入ったらしく、私たちもお風呂には満足したが、孫などは4回も入って大満足。私たちには忙しさの中で掴み取ったようなせわしい旅行だったが、こんなでも喜んでもらえれば・・・
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by rev_ushioda | 2011-08-22 23:00 | Comments(2)

「あなた危篤ですよ」

私は、牧師として病院に行く機会が多いのですが、ある時、こういうことがありました。一人のご婦人が心臓を悪くされて、救急車で運ばれて入院されたのです。ところが、この方の家は古い団地でした。団地というのは何かあるとすぐ人のうわさになりますが、まして救急車となれば、窓という窓から見下ろされるわけです。このご婦人は、とにかくそれが嫌だった。具合は悪かったのですが、ようやく近くにいる息子さんのアパートまでたどりつき、そこから電話して救急車を呼んだのです。
病院に着くと、ドクターは言いました「あなた、危篤ですよ」。
何と、危篤であったにもかかわらず、このご婦人は、恥ずかしいとか、嫌だとか、そういうことを言っていたのです。
いかがでしょうか。実は、これは私たちにも当てはまることだと思うのです。私たちの感覚や、考えること、行動は、結構、当てにならないのではないかと思うのです。狭い知識や限られた経験の範囲で、いいとか悪いとか、言っている。専門家からすれば危篤なのに、私たちの方では結構、流暢に時間をもてあそぶことがあるわけです。
聖書の人間の見方は、決して楽観的ではありません。それは、私たちも薄々、気付いていることなのです。不安な気持ちになることがあり、言い知れない恐れを感じることもあります。その割に自己中心で、人をねたみ、嫉妬を持ち、敵意や怒りを抱きます。危篤の兆候が明らかであるにもかかわらず、専門家のところに行きません。主イエス・キリストはこう言っています「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
自分は丈夫だ、正しい、また先ほどのご婦人のように恥ずかしいとか見栄を張るのはもう止めて、適切な治療をして人間を回復してくれるキリストのもとに、一日も早くあなたの荷を降ろしていただきたいのです。

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by rev_ushioda | 2011-08-21 23:58 | Comments(0)

「伝道するわけ」

チラシ配布、郵送、声かけなど、私たちは今、9月の伝道集会に向けて全力を注いでいます。皆さんの手ごたえはいかがでしょうか? 家族は、来てくれそうですか? 8月も後半に入りました。年に1、2度ですが、今回も家族や友人に教会に来てもらえるチャンスです。さらに頑張って誘ってみましょう。
パウロは書きました。「わたしは、ギリシァ人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」(ローマの信徒への手紙 1章 14節) 「責任があります」という言葉は、「負債者」「借金している者」というような意味の言葉です。ですから、新改訳聖書は「返さなければならない負債を負っています。」と訳しています。借りがある、ということです。
皆さんは、借金があっても、放っておくでしょうか。そんなことはありませんね。ちゃんと返します。ここで、「果たすべき責任」「負債」とは、いったい何でしょうか。それは、それほど大きな神の恵みを受けた、ということです。「借り」がある、ということです。
神は実に、その独り子イエスをこの世に与え、十字架につけて死なせ、三日目によみがえらせることによって、この方を信じる者はだれでも救われるという道を開いてくださいました。そのおかげで、私たちは、魂の救いを得ることができました。果たすべき責任は、そこから生じたのです。なぜ伝道するか、という理由は、ここにあります。
パウロは、どうしても返さなければならない負債を、神に対して負っている、と感じていたのです。私たちは、どうでしょうか。主イエスの命をいただいておきながら、借りはない、伝道しない、と言っていたのでは、恩知らずになってしまいます。
9月11日、この日に、負債を返すチャンスが巡ってきます。

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by rev_ushioda | 2011-08-19 22:25 | Comments(0)

「50周年おめでとう」

希望ヶ丘教会50周年の記念行事の一環で、教会から送り出した出身牧師を今年の礼拝説教者として順に招こうという企画が立てられ、私も、呼ばれることになった。
希望ヶ丘教会には、初めて行ったのは高校3年生のときであった。今思えば、教会の草創期に、門をたたいたことになる。その時の私を知る年長の人はほとんどいなくなり、当時の子どもたちが(自分も子どもみたいなものだったが) ― 当時の小学生たちが、今は「おばさん」「おじさん」になっている。その子どもたちが社会人になっていると聞けば、隔世の感がする。

妻が幼稚園で教えた子どもたちは、今は長老として、教会を支えている。
いろいろと思いが巡る一日であった。

希望が丘教会50周年、心からお祝い申し上げます。
50年とは、「半世紀」ということです。これを折り返したら、100年、1世紀になる。ですから、昔からおられた方も、最近来られた方も、今、この時を共にしている、そういうことに意味があると思います。ここから始まる物語は、「世紀」を作る物語になるからです。1世紀の教会を作るそのわざに、皆さんは、今から共に参加するのです。その皆さんに、主にあって心からおめでとう、と申し上げます。
さて、希望ヶ丘教会が、建築中の礼拝堂で最初の礼拝を行なってから5年後、すなわち1968年(昭和43年)その年は、教会設立礼拝が行なわれ、めぐみ幼児園が開園した年でしたが、高校3年生の私は、初めて、教会というところ(希望ヶ丘教会)に、行きました。その年の9月に教会は特別伝道集会を開催したのですが、その時、駅前で配布した1枚のチラシ、それを手にして、私は教会の門をくぐったのです。チラシには「あなたの悩みは解決できたか」と書いてありました。私には、悩みなど何もありませんでした。しかし、私はそのチラシで導かれたのです。講師は吉崎忠雄先生。お話は、何も覚えていません。ただ、高校生の私を、教会の「おばさんたち」が玄関まで見送ってくれたことが嬉しくて、以来、毎週日曜日、礼拝に出席するようになり、次の年に洗礼を受けました。
1968年と言えば教会設立礼拝が行なわれ、めぐみ幼児園開園の年でしたが、統計を見ると、礼拝人数が22人、最低を記録した年です。「あなたの悩みは解決できたか」と、教会が自分に向かって言うような状況だったと思います。当然、「今は教会の内側を整えるべき時だ」という声もあったようですが、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの手紙 二 4章2節、口語訳)の言葉に励まされて、出て行って配ったチラシの1枚が、私を捕えたのです。
こうして、それから神学校に入学するまでの、おもに大学生時代、私は希望が丘教会の礼拝に出席しました。
考えてみると、「時が良くても悪くても」と言うのは、その後、希望が丘教会の姿を良く現す言葉ではないかと思います。私たちは色々計算して、その「時」を選びますが、しかし、すべての「時」は、神の中にあるのです。神の「時」にお任せして、人間の都合を優先しない、という牧会が、その後もずっと希望が丘教会でなされて来たのではないでしょうか。その結果、一人ひとりが成長を与られ、その賜物を生かして、それぞれの分野で力強く働く者になりました。こうして50周年を迎えた今、皆さんは、今度は次の50年に向けて、つまり、「世紀」を作る者として、今、ここで召されたのです。ですから、心からお祝いを申し上げます。(本日の説教導入の言葉から)

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by rev_ushioda | 2011-08-14 09:02 | Comments(0)

「つながりに生きる」

娘の学校の山荘が、清里にあります。
行ってみると自然観察指導員の方がいて、ネイチャー・プログラムというのをやってくれました。ゲーム感覚で自然を見つめるプログラムなのですが、これが楽しかった。その一つに「ミクロ探検隊」というのがあります。虫眼鏡を持って、クモの巣を探しましょう、ジャングルのような苔の森を探しましょう、次は妖精の現れそうな場所を・・とグループごとで探していくのです。虫眼鏡で見る森の中は、肉眼で見るのとはまるで違った世界になります。なぜ、そこが妖精の現れそうな場所なのか、あとで他のグループに説明しますから、それなりの理由を考えるのです。私たちは、こうして、「森」と出会った。
そこで改めて気づいたことがあります。森の中は、小さな苔や、虫たちでいっぱいだということ。そしてその小さな苔や虫たちは、倒れた大きな木を分解して、時間をかけて、やがて大地に返しているのです。小さな生物によって、しかし、大きなすごいドラマがそこには展開されていました。そこで体験したことを漢字一文字で表しましょう、という時間が最後にありました。私は「繋」、つなぐ、つながりという字を書きました。どんなに小さな苔も、虫も、ここでは大事な主役を演じている。脇役などない。そしてその小さな主役たちによって、繋りが生まれている。虫と苔と木と森と、そして大地と、空気とさえも繋がりがある。もっと言えば、過去と今と未来が繋がっている。すばらしいことだと思いました。
私たちは分断化された社会に住み、いつのまにか細切れにして、ものを考えています。国と国、人と人が対立して、お互いの繋がりを考えません。今の時だけは大事にしますが将来に繋がる発想ができません。あのネイチャープログラムを通し、私は次の聖書の言葉を心に留めました。「ユダヤ人もギリシャ人もなく・・あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つ」。私が「繋がり」ということを森の中で気づいたように、キリストの眼差しの中で、私たちは繋がりのある関係を発見し大事にすることができるのです。

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by rev_ushioda | 2011-08-13 21:30 | Comments(0)

「被災地で花火大会」

東日本大震災で大きな被害を受けた被災地10個所以上で、きのう、花火が打ち上げられたと、ニュースが流れた。プロジェクト名「LIGHT UP NIPPON」。このプロジェクトは、震災後、東京では次々と花火大会の自粛が決定する中で、東京の若者たちが、その花火を被災地を元気にするために役立てられないだろうかという思いから、計画されたものだという。打診を開始したのは、被災1ヵ月後。被災地ではどこも、そんな気分ではないと断わられる中で粘り強く交渉して、実現に至らせた。
本来、花火は、「追悼」の意味があったとテレビで報道されていた。そうだったんだ・・・

被災地、多賀城でも打ち上げられたそうだ。Hさん、花火を見ましたか? 花火を見て涙が出たのは、私は、初めてでしたよ。
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by rev_ushioda | 2011-08-12 09:58 | Comments(0)

「暑い」

暑い!
今日も特別集会「講談」のチラシ配布に出かけたが、どうも体調が、いつもと違う。顔中から汗が溢れ、体力を奪われるという感じである。そういえば、今日は横浜35度になるとか天気予報で言っていたことを思い出し、このまま続けたらまずいのではないかと思った。一緒に別のところを配っている妻に電話し、今日は止めよう、ということにした。
教会に戻っても、体中がほてっている。水で、扇風機で冷ましても冷ましても、体から熱が出てくるという感じ。熱中症って、こんな風にしてなるのかなと、頭をよぎった。私は、しばらくしたら回復したが。
この時期、外を歩くときには、冷却機能付き帽子、クールタオル、クールマフラー、サングラスが欠かせない。すごいいでたちになるので、写真は、カット。

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by rev_ushioda | 2011-08-11 18:35 | Comments(0)

去年の11月から動きが取れなかったが、やっと出発することができた。今回は、いよいよ鈴鹿峠を越えて、近江の国に入る。琵琶湖の国、滋賀県である。すると、目的地「京都」は、もうすぐそこだ。
今回の記事には、いろいろ見所がありますよ! まず、このビデオから (ビデオでは 「さかした宿」と言っているが、正しくは「さかのした宿」)。
 


(拝借した地図なので、「現在地」は消せなかった・・・私たちの現在地は、草津手前である。京まであと30キロ!)

今回のトピックは、
1.ついに近江の国(滋賀県)に
ついに、鈴鹿峠を越えた。すなわち、伊勢の国から、琵琶湖がある近江の国に入った。9ヶ国目である。食事をした店で「おおきに」といわれた。初めて、自分に向かって言われた「関西弁」であった。
私たちの歩いたコースは上の通りであるが、 坂下宿~土山宿~水口宿~石部宿~草津宿手前まで、42キロくらいか。もう、琵琶湖の下である。石部は、「京発ち石部泊まり」と言われ、京を朝早くに発てば、その日の最初の宿となる。ついに我々は、京に手が届く地点に立ったということだ。
コース →ルートラボ
(ここを開き、大きくした上で、「写真」モードに切り替えると、家並みまでわかり、旧道の雰囲気がよく見えてきて、私たちが歩いているのも見えますか? 嘘です、見えません。)

2.交通の難所、鈴鹿峠をクリア
鈴鹿峠は、「東の箱根、西の鈴鹿」と言われるくらいの難所である、と言われてきたが、峠自体はまったくたいしたことはない。ネットで事前にどの程度の難所かときいたら、「裏山をちょっと登るくらいですよ」。本当にそんな感じで、「坂道は顔中から汗が出るね」とか言っていたら、峠に出てしまった。難所の意味は、昔、山賊が出たことらしい。現代は、本当にたいした峠ではない。しかし、鈴鹿峠は、現代は交通の難所である。鉄道も大きく迂回しているし、バスも通ってない。通常、車を置いて歩き出し、10~20キロ先から、電車やバスで元の場所に戻ってくるが、しかしここは鉄道もバスもないのである。今回、この交通の難所をどのように越えようかと頭を悩ましていたら、妻が、娘夫婦が夏休みだったこともあり、さっさと「一緒に行こう」と誘って、結局、そうなった。車があって、どこでも自在に迎えに来てもらえることで、交通の難所は難なく越えることができた。

3.孫と一緒に街道歩き。
そういうわけで、一緒に行った娘家族は、甲賀忍者の里に行ったり、近くの牧場で遊んで、私たちは街道を行く。適当なところで車を回してもらい、ホテルにと、今回は交通の難所でありながらも、今までになく楽な行程を組むことができた。車は、有難い。いや、家族は、であった。
おまけがついた。時間が少しあまったので、前回、取り残した亀山から関宿の間を、孫と娘と一緒に歩くことができたことである。距離も1時間半の距離、途中の景色も良い。いろいろ好都合が重なって、思わぬ街道歩きが実現した。
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その他の写真は アルバム → http://animoto.com/play/1IS0YFnpQWmLFkI9wSV0nA
(英語のページになるけれど、びっくりしないでね。写真は、日本語です ん?)

孫と歩いたコースルートラボ 
(これも「写真」モードで。位置としては、上の1.のコースに入る手前になります)

4.いよいよ、草津(4キロ手前)
今回は、上に書いたように交通の便が良かったため、思いのほか、距離を延ばした。もう、琵琶湖の下である。
いよいよ草津。ここは中山道への分岐があり、何よりも、ここは京都に届く距離だ(残り30キロ)。まる5年かかったが、あと1回ここにくれば、いよいよ京都にゴールする。感動的ではないか。(が、私の思いは早くも草津から延びる中山道に・・・)
その他の写真は アルバム → http://animoto.com/play/g4IuvAtPOidqJO0A2aobjQ

5.ノルディックポール
今回、大きな助っ人を手に入れた。妻が手にしている「ノルディック・ポール」である。被災地でこれを普及させている人がいるとテレビで紹介されていたが、これはいい。軽快なリズムが維持できる。全身運動になる。長く歩くと、手が重くなるが、それがない。試しに1本だけ購入してみたが、帰宅後、さっそくもう一本購入した。

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→ http://item.rakuten.co.jp/hatalabo/wh5024/#wh5024

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by rev_ushioda | 2011-08-08 11:51 | Comments(5)