「津波に注意」

今日から3日間、鈴鹿峠から滋賀県に入る予定だった。楽しみに予定していたが、しかし、東北関東大地震の後である。さすがに休暇どころではない。その分は義捐金にまわし、今日は、たまった疲れをとるために、鎌倉辺りを散策することにした。
カトリック雪ノ下教会から、材木座海岸を経て逗子方向に3.5キロの海沿いの道をぶらぶらと歩く。しかし、至るところにある「津波に注意」の看板を見ると、今まではそれほど気にも留めていなかった看板であるが、さすがに、落ち着かない。その時にはどこに逃げたらいいのかと、遠くの丘を見ながら、あそこまで、短時間で走って間に合うのだろうかとか、あの津波の映像が頭をよぎる。
それにしても、少年野球の子どもたちが浜辺で練習している。犬を連れて散歩する人もいる。日常の光景がそこにあった。その時はその時、とでもいうかのように。地元の人は、逃げようがないからね。海に生きた人々は、海の災害に遭っても、海を離れず。三陸の猟師さんたちの思いだったが、これからも、そうなのだろうか。

そういえば、原発の恩恵を受けた地元の人々も、事故があったからと言って、原発は二度と来るなとは言わない。「ただただ、残念です」と。

そこに生きる人は、そこに生きるしかないものを背負っている。私たちは、何をどう言ったらよいのだろうか。

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by rev_ushioda | 2011-03-28 20:18 | Comments(0)

福島原発のために多くの人が献身的に働いているが、まさに放射能との戦いの中で命をかけて、「献身的」に働く方々に、心から感謝である。その中にはクリスチャンもいる。この時のために、という彼らの思いに旧約聖書のエステルを重ねながら、必ず良い結果が出るようにと祈っている。

以下の記事が目に留まったので、ぜひ、共有したい。

「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ-定年前に自ら志願

 福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。(2011/03/16-05:16)
→ 時事ドットコム ニュース

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by rev_ushioda | 2011-03-22 11:33 | Comments(0)

「ぱっと光が射す」

後藤栖根(からね)という人が書いた「めだかの学校」という本があります。

「終戦直後、茫然自失していた」と言うように、第二次世界大戦後の日本人は誰も皆、その生きる目的をなくし、疲れ果て、一日一日をただ惰性で生きているような有様でした。そんなある日の出来事でした。道端にバラックの果物屋があって、その店先で主人らしい人が木箱から柿を出して積んでいたのです。後藤さんにとって、何年ぶりかで見た、美しい柿の実でした。思わず、足が止まりました。と、その時、一つの柿の実が、ころがり落ちたのです。そこをちょうどジープが通り過ぎ、転がっていた柿の実を、ピシッとつぶしました。柿の実は、無残につぶされましたが、しかし、そのつぶれた実の中に三つ四つの柿の種がつやつやと光っていたのです。それを見て、後藤さんは言います。「私の心の中に、ぱっと光がさした」。

戦後の廃墟の中にたたずみ、虚無感に押し潰されていた後藤さんでしたが、しかし、そのつぶれた柿の実に、形を変えた、新しい「命のかたち」を見たのです。そして「ぱっと光がさした」ことを感じたのです。
聖書で言っていることは、こういうことなんだと思います。柿の実がジープでひかれるように、私たちの人生にも、幾度か、自分の意志ではなく、外から踏みつぶされるようなことがあります。そして無残につぶれ、もうだめだと思う。でも、ここが大事で、私たちには「種」があるのです。
どういう種かというと、復活のキリストです。キリストは、死によって無残にもつぶれたのですが、しかし死を越えて、ちゃんとつややかに光っている。私たちの問題は依然としてあり続けたとしても、キリストの命が、そこにつややかに光っているのです。私たちは、この方によって、つぶれたままではない。神の可能生の中に芽生える。引っ張り出されるのです。あなたも!

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by rev_ushioda | 2011-03-21 09:33 | Comments(0)

「ガソリン」

何と、2時間半、ガソリンを入れるのにさっきからずっと並んでいる。ちょうど「計画停電」が重なってしまったのであきらめて帰ろうかと思ったが、ここでチャンスを逃したら、今度はいつになるか分からないので、並び続けることにした。
それにしても、何台待っているのだろうか。30台、いや40台か。海外では、ガソリンに限らず、日本のこうした整然と待つ姿が、驚きをもって報道されているとか。文句も言わずに並び続けている車列を見ると、そうだろうなと思う。

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by rev_ushioda | 2011-03-17 15:31 | Comments(0)

「原発災害」

私が大学を出て勤めた会社は、主に放射線によって非破壊検査をする会社であった。民間の、この種の検査会社では大手であった。
入社後すぐ、1週間程度の社内研修の後、各地に派遣されていったが、そのうちの一つに、福島第2原子力発電所の何号炉だったか忘れたが、その建設現場であった。一人で出向したら、すでにそこには一人の上司がいて、その人の下、二人で2週間ほどの仕事をした。原子炉のどこの部分だったかわからないが、その検査をした一人、私は、大卒の研修1週間、経験のない者であった。そういう人間が、実はたくさんいて、発電所が作られ、検査されていたのだ。考えても恐ろしい話である。

以下、その通りだと思って読んだ。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

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by rev_ushioda | 2011-03-17 09:15 | Comments(0)

「主の涙」

「東日本大震災」の被害の大きさには目を覆い、言葉を失います。ともかく、被災者に一時も早い救援の手が差し伸べられることを祈りつつ。
15日の「天声人語」に国文学者の歌人、窪田空穂(うつぼ)が関東大震災の直後、残した歌が紹介されていた。「妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく」「梁の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後(のち)も聞く親」。そして、88年前に被害を甚大にしたのは燃えさかる「火」だった。今回は津波による「水」である、と続きます。
ところで同じ日の新聞に、東京都の石原慎太郎知事が、今回の大震災について“天罰”という言葉を使い、「津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と言った記事があった。憤りを覚える発言ですが、しかし、うかうかすると「キリスト教界」の中にも、神の審判を口にする人が出てくるのはどうしたことか。韓国のチョ・ヨンギ牧師が、これは偶像礼拝をする日本への神の警告だと言って、物議をかもしている。そうでなくても、愛の神なのに…という話題になってしまうのに、歯痒さを覚えます。
そういう議論は決まって、濁流に飲まれる人々を、安全な丘の上に立って見ている時に起こってくる議論、評論なのです。主イエス・キリストがすでにその火の中、濁流の中、悲しむ嘆く人々の中に立っておられる時、これは裁きであろうか、神の愛はどこにあるのかと言うならば、私たちは、いったいどこに立っているのかを考えてみなければなりません。「憐れみ深い人々は、幸いである」と聖書に書いてあります。これが私たちの話題にすべきすべてであるはずです(ちょうど大震災直後の説教個所が、まさにその個所でした)。しかし私たちは、目前の苦しみを受け止め、どうしたら援助ができるかを語ることができないで、神学の分野でも考え方がいくつもある、答えが出ない領域の話にすっと入り込んでしまうのです。
確信できることがあります。それは、主イエスが涙する人々の傍らに立ち、一緒に涙されている、ということです(ヨハネによる福音書11章35節)。私たちは、議論ではなく、知りえないことは主の涙にゆだね、涙する人々の涙を受け止めることが大事なのです。
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by rev_ushioda | 2011-03-15 10:13 | Comments(0)

「大きな地震だった」

今日の地震は、すごかった。

M8.8とニュースで言っている。横浜での揺れもすごかった。ド、ド、ド、ドという、足元から突き動かされるように響いてくる振動と、音が、最初だった。そのうち、家全体が揺れる。そして家中の鳴りそうな音という音が全部、鳴る(これが、地震の怖さを増幅させることが分かった)。発表された周辺市町村の震度から判断すると、自宅は、震度5弱のようだ。60年、生きてきて、最大だったかな… 正直、ちょっと危機感さえ持った。被害は、家が大きく破損、、、、と言っても、中学時代に作った模型の家だが。50年近く、大事にとっておいた作品が、本棚の上から転げ落ち、屋根が大破してしまった。
実際の被害は、私の部屋にあった本、特に、机などに「ツンドク」中のもの(笑)が、床に散乱状態。地震で一番危ないのは私の部屋だということが分かった。

体の不自由なKさん、ほかの家に電話。電話は通じにくかったが、無事を確認。

その後、ニュースで刻々と伝えられる、特に津波による被害は、想像を絶するすさまじいものである。唖然とする。現地の教会は、この事態にどのように向き合おうとするであろうか。私たちは、何ができるのであろうか。突然の被災に、横浜の揺れでさえ、私はどうしていいのか、結局、その時は何もできないということがわかった。現地の方々は、茫然自失というところであろう。

これからである。


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by rev_ushioda | 2011-03-11 17:51 | Comments(2)

「永遠の明日」

私たちは、時として、病院にお見舞いに行くことがあります。骨折とか、直る見通しがある場合と違って、内科的な病気の場合は、言葉に ずいぶん気を遣うのではないでしょうか。

ある人が、明日が手術という、その人のお見舞いに、病院に行ったのです。しかし、翌日、その人は帰らぬ人になってしまった。お見舞いに行ったその人は、神学生、まだ牧師の卵でした。見舞った人が亡くなってしまったために、「自分は何もできなかった・・神学生でありながら、何の慰めも語れなかった」と落ち込みました。しかしその時に、先輩の牧師がその人に言ったそうです。「君は別れる時、何と言ったのか」「では、また明日会いましょう、と言いました」「それなら、君は“永遠の明日”を指し示したのだ。君が普通の人として“明日”と言ったのなら、それは単なる挨拶に過ぎなかった。しかし君は信仰者として病人のところに行ったはずだ。だったら、“また明日”と言ったその明日は、亡くなった人にとって、永遠の明日になっている」。
私の好きな話です。同じ言葉でも、相手にとって永遠の明日を指し示す言葉になるというのです。私たちは、つたない言葉しか知りません。いえ、その言葉さえ失ってしまったり、かえって人を傷つけることもしばしばです。しかし、そのような無力を感じるしかない中にあっても、私たちは人間として心を高く上げることができるのです。そして、もしそうできるなら、― その言葉は、意味を持ってくるのです。その言葉は、もう違った意味になってくる。人に対して、もちろん自分に対しても、「永遠の明日」を指し示すことにさえ、なってくるのです。

私は、礼拝の終わりの祈りを、次のように祈ります。「主イエス・キリストの恵み・・が、あなたがた一同と共にあるように、今、そして明日も」。永遠の明日に向かって、さあ、共に立ち上がって行こう。これが、教会の祈りなのです。

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by rev_ushioda | 2011-03-08 20:59 | Comments(0)

日曜日夜、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」4回シリーズの最終回を観た。驚くべき(そんなことは周知のことだろうが、当のNHKの番組紹介にそうあるのだから、そうなのだろう)、実態が紹介されていた。番組紹介のホームページには、次のように書かれていた。

以下、全文引用

なぜ日本は無謀な戦争への道を選択したのか。太平洋戦争70年の年に問いかける大型シリーズ。最終回は、いよいよ開戦を決定した1941年をとりあげる。
今回見つかった当事者たちの戦後の証言テープからは、驚くべきリーダーたちの実態が明らかになった。日本の国策決定の場は、全ての組織の代表者が対等な権限を持つ集団指導体制で、全会一致が建前。常に、曖昧で、玉虫色の決定が繰り返された。各組織のリーダーたちは、戦争に勝ち目がないことを知りつつも、戦争できないと言うことが自らの組織に不利益を与えると考え、言い出すことができない。海軍、企画院、陸軍、首相、それぞれが互いに責任を押しつけ合い、重大案件は先送りとなっていく。しかし、日米交渉が暗礁に乗り上げ、妥結の見通しがみえない中、首脳部は、国力判断、すなわち国家の生産力・戦争遂行能力のデータを総動員して、譲歩か、戦争かの合議を行う。結論は、各組織の自壊を招く「戦争回避」より、3年間の時間を稼ぐことのできる「開戦」の方に運命を賭ける。
日本のリーダーたちは、国家の大局的な視野に立つことなく、組織利害の調整に終始し、最後まで勇気をもった決断を下すことはなかったのである。
:引用終わり

リーダーたちはどうみても勝算のない戦争を皆、止めようとしていた。にもかかわらず、世論を恐れて、勇気をもって決断できなかった。そのうち、時勢に流れて、結局、開戦となった、と。決意なき開戦。何ということか。そんなことで、あれだけの犠牲を生んだというのか。もちろん、開戦の決意があればよかったという話では、毛頭ない。(戦争を回避するという)勇気をもった決断の、何と必要なことか、ということである。それは、先に紹介した、佐々木中氏の「人間だからこそ、なぜと、問おう」に重なる。そうしなかったために、動物に成り下がり、あれほどのとてつもない犠牲を生んでしまった。犠牲だけではない。兵士たち自らが、感情を失った野獣と化してしまったのである。「戦争と在籍」野田正彰著を読みながら思う。

非常にショックな内容の番組であった。

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by rev_ushioda | 2011-03-07 21:07 | Comments(0)

「世界祈祷日 2011」

今年の世界祈祷日は、会場が渋沢教会。真っ白な富士山を正面に見ながら東名を走って、参加した。そして、プログラムは、大山の姿を礼拝堂の窓に見ながら進められた。

今年の祈祷文はチリの委員会が作成したものである。中会の礼拝書を共同執筆した者として、毎年、思うのだが、この祈祷文は大変な力作である。参加できなかった人も、ぜひ読んでもらいたい。
表紙には、「世界祈祷日 あなたはパンをいくつ持っていますか ―チリからのメッセージ― 」とある。中を読むと、「イエス・キリストは、私たちが住むこの世界で、自分たちの持っているパンを共に分かち合おうと努力するように、勇気を与えてくださいます」と。浜崎牧師は、マルコによる福音書6章30節以降の5000人のパンの奇跡から、以下のように説教された。

弟子たちは、手にしているものを、主に報告したのである。そのことを繰り返すことで、弟子たちは育てられたであろう。私たちも、手にしているものを、残らず報告することが求められている。そうすることで不信仰から守られ、祝されるのだ。

パンフレットをよく見ると、昨年度の献金先が「報告」されている。「女性神学奨学金」として20万円、何と、その献金先には、私たちのS神学生の名も記されているではないか。私たちの手にしているものが、このようなことのためにも用いられていると、説教者は指摘していた。

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別にわざわざぼかしたわけではないが、今日は携帯で撮った動画なので、こんな感じである。
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by rev_ushioda | 2011-03-04 19:42 | Comments(2)