「健康第一」

今年の冬は、異変が起きている。体調が、つまりおなかの調子が、「いい」。風邪をひかない。
11月頃から始まって数ヶ月間、おなかの調子がダウン、微熱が続くという状況が、ここ何年も続いていて、 柴胡桂枝湯(サイコケイシトウ)のお世話にならない時はなかった。おなかの調子の悪さと風邪の症状には、まったく辟易していた。ところが、どうしたわけか、今年の冬は、ずっと「普通」を維持している。

例年と何か違うことをしたかと言えば、ひとつだけある。

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http://item.rakuten.co.jp/saladcosmo/kuro_nin001/

を食べていることだ。黒酢にんにくについて、ネットを調べると、次のような説明に出会った。
・にんにくには強力な殺菌作用もありますので、インフルエンザや風邪、肝炎、0-157といった感染症の予防になります。これはにんにくの含有するアリシンの働きによるものです。
・黒酢のクエン酸が腸の活動を促します。オリゴ糖などと一緒にとって便秘解消して、いつも腸をすっきり快適にしておきましょう。腸が元気なら体の至る所が元気になりますね。

どうやら、私の体が実証しているようだ。
(今回は「楽天市場」になってしまった・・・ 良いものを紹介したくなるのは、福音と同じ。)

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by rev_ushioda | 2011-01-31 17:21 | Comments(0)

「献堂式」

今日は、市川グレース伝道所の献堂式です。
教会員の皆さん、大変な献身、努力を重ね、ついにこの日を迎えることができて、どんなにかうれしいことでしょう。
ところで、献堂とは何でしょうか。一般には「竣工」と言うところですが、そのようには言わず、「献堂」というのです。つまり、建ちあがった礼拝堂を神さまに献げ(献堂し)、「この建物をどうぞ御旨にかなうように用いさせてください」と祈るのです。こうして、礼拝堂のためにどんなに自分たちの努力や経済活動があったとしても、それを神さまに献げてしまうのです。そして、神さまから自分たちに委ねられたものとして、それを受け取るのです。
この、受け取る、という考え方が大事です。だから、これを私的に所有せず、私物化せず、用いさせてください、と祈ることになるのです。自分は献金をいくら献げたとか、この建物の何のためにこれだけの知恵を結集したとか、そういう、自分たちが努力したことや為し得たことは、もう、なくするのです。私的に所有しないのです。そうではなく、神さまが、神さまのお働きのために、ただそのために与えてくださったとして、受け取るのです。私物化しないのです。
礼拝堂に限りません。私たちは、地上のもの一切は、これを私的に所有せず、私物化せずに用いさせてください、と祈るのです。そういう意味では建物も、金銭も、時間も、命も、才能や能力も、あらゆるものが対象になります。これを「クリスチャンスチュワードシップ」と言います。
自分のもの(私物)があることは大事ですが、それを、私たちはいつの間にか私物化する。自分の中に囲い始めるのです。罪は、人生を我が物にすることです。
今、市川グレース伝道所は礼拝堂を献堂する。そして、神さまから受け取るのです。このようにスチュワードシップによって証される礼拝堂は、人がそこに集うたびに、神さまなしで生きられるという私物化の罪を指摘するに違いありません。人生は自分たちのものではなく、一切は主のもの、主の御用のためにこそ役立てられるものだというメッセージを、礼拝堂が語り始めるでしょう。

献堂、おめでとうございます。

「献堂式」序曲 ハ長調 作品124という曲がベートーベンの作品にあるのを見つけた。
演奏 → http://www.litutoryo.com/music/beethoven/be_wh_wein.mp3

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by rev_ushioda | 2011-01-30 06:44 | Comments(0)

「光輝く一瞬」

私が心にとめた言葉の一つに、平塚敬一先生(立教女学院)が新聞に書かれた言葉があります。今日はそれを、そのままご紹介します。以下、平塚敬一先生の全文です。
次女は6歳のとき、重い脳の病気にかかり、いのちを失いかけたが奇跡的に助かった。しばらく入院生活が続いた日々、病室で本を読むことに夢中になった。そして、ある日『アンネの日記』を読み、自分の誕生日がアンネと同じであることに気付き、驚きと共に深い感動を覚えたと、言ったことがある。私たちはアンネの誕生日が6月12日であることを知って次女を計画的に生んだのではないが、彼女に素敵なプレゼントができたように思っている。人はほんのちょっとした出来事との出会いで、自分の存在を誇りに思うようなことがある。そして想像の夢を膨らませ、その実現に向かって突き進むことができるようになる。
優れた小説や映画に出会うと、その瞬問、深い感動が押し寄せてくる場合がある。つまり、誰でもが、ある日ある時、ちょっとした光り輝く一瞬によって生きる支えが与えられる。それは他の誰とも違う、自分独自の感動であり、他人には説明できないものである。(聖書に出てくる伝道者)パウロについては、「彼の手紙は重々しく力強いが、会ってみると話は弱々しくつまらない」と言われている。外見上も障害があり、話もあまり上手ではなかったパウロである。そのパウロは、ダマスコ途上でイエス・キリストに捉えられ、自分の弱さや醜さをありのままにさらけ出しながらも毅然として生きる人へと変えられていった。ある日ある時、光り輝く一瞬によって生きる支えが与えられるのである。
今を生きる子どもたちが、ある日ある時、他人には理解しがたいものであっても突然に自分にとっての感動の一瞬が起こることを願う。(引用終わり)

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by rev_ushioda | 2011-01-25 18:31 | Comments(2)

「相談できる謙虚」

今日、一人の牧師から相談を受けた。教会員と意見が対立した。どうしたらいいだろうか、と。聞いてみると、相手の方は教会を離れることも考えにあるらしい、自分としては命がけで教会にお仕えしているわけだから、考えを変えるつもりはないし、かと言ってその人をつまずかせることは牧師としてできない。教会を離れると言われたら、これ以上、真剣な議論ができない。辛いものがある、と言われた。
私は、どこにでもある牧師の悩みだと、自分の経験と考えをお話しした。議論ができないまま、じゃ違う教会へ行く・・・と言われたとしたら、牧師として、これほど無力を感じ、辛いことはない。
それにしても、こういう話をしながら、こうして相談できるって偉いなあと、思った。自分の考えは曲げることはできないというほどの人が、しかし、悩みながら人に相談する。悩みがあるというのは、相手の人を大事に考え、切り捨てるような考え方をしていないということ。自分にとっても、相手の方にとっても、よい道を探っているということ。そして何よりも、相談できるということは、謙虚だということ。しかも、自分ひとりで頑張らないで、自分がつぶれないように安全弁をしっかり開いているということ。
私が年長者だからと思っていただいて相談に来られたが、私のほうはと言えば、気の利いた答えなどできようはずもない。多少の経験をお話させてもらったくらいで、むしろ、困った時にはきちんと人に相談できる謙虚さと姿勢に、私のほうが学ばせてもらった。

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by rev_ushioda | 2011-01-24 20:37 | Comments(0)

かつて、渋沢教会の週報に書かれてあった記事です。心に残ったので、保存してありました。ここに転載します。(転載のため一部修正)

書棚に、少年少女世界文学全集(学研)があります。その中の『ロビンソン・クルーソー』(デフオー作・三浦朱門訳)を読んでみました。しかし、どうも変なのです。いくら読み進んでも、あの聖書との出会いの出来事が、語られないのです。皆さんご存じのとおり、絶海の孤島にとり残されたロビンソン・クルーソーは、残された船の積み荷の中から聖書を発見し、その言葉によって慰められ、励まされたのでした。
私は、旺文社文庫の『ロビンソン・クルーソー』(佐山栄太郎訳)でその個所を確認してみました。そして、三浦朱門訳は、あの作品の一番大切なところを省略したのだということがわかりました。聖書の言葉によって支えられる人生などというものは、少年少女には理解できないという判断でもあったのでしょうか。それにしては、これもやはり同じ書棚にあるのですが、日本ブック・クラブ刊のこども名作全集『ロビンソン漂流記』(大平陽介作)には、ちゃんとそのことが語られていました。まことに、理解に苦しむ省略というはかはありません。訳者がクリスチャンであったということも皮肉な話です。
今年の教会活動主題は、『聖書を学び希望を持ち続ける教会』です。私どもの人生のドラマで一番大切な部分は、聖書との出会いの出来事です。このことは、大人だけに意味のあることではなく、こどもたちにとってもそうなのです。ロビンソンが孤独や絶望から守られたのは、彼の傍らに聖書があって、それが希望を与えてくれたからでした。
みなさん、わたしたちは、聖書や祈りを省略した人生にしないよう励ましあいましょう。今週の日々も、あなたの生活に聖書を読むことと祈りが見出され、あなたを見守っていてくださるキリストのお顔に、ほほえみが浮かびますように。(執筆 浜崎牧師)

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by rev_ushioda | 2011-01-20 16:19 | Comments(0)

「キリストが眠る舟」

私たちの人生は、考えてみれば、小さな船が大海原を行くようなものです。平安な気持ちでいられる日もあれば、大荒れに荒れる日もあります。どうしてよいかわからなくなると、私たちは、けっこう人に当たり散らしたくもなる。嵐の中で、人間関係がこわれていくのです。
聖書の中に、キリストと弟子たちが乗った小舟が、まさに嵐に遭遇した出来事が書かれています。舟は、波をかぶって、水浸しになるほどであった、と言います。弟子たちはさすがに、大騒ぎになってしまいました。ふと後ろを見ると、何と自分たちの先生が眠っておられるではありませんか。「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか!」
私たちの人生に起こる嵐のお話から始めましたが、そういう時、私たちは大変だ、大変だ、と走り回る。不安になり、恐ろしくなり、叫んで、人に当たったり、反対に泣きたくなったり、絶望的になったりするのです。しかし、ここが聖書の大事にするところなのです。その時に、キリストは同じ舟で眠っておられる。弟子たちが、ああ、大変だ、もうだめだ、と言っているその同じ舟で、キリストは眠っておられるのです! 眠るというのは、安全でなければできないことです。弟子たちの舟は確かに嵐の中だったでしょうが、キリストから見れば、こうして眠ることができるくらい安全なんだ、ということだったのです。
私たちの人生という舟も、けっこう揺れます。上がったり、下がったり、水をかぶったり…。でも、後ろを振り返れば、そこにはキリストが眠っておられる。私たちの舟はそういう舟、人生だったのです。それなのに、私たちは大騒ぎをしてしまいます。だから、聖書は、後ろのキリストを振り返るようにと言っています。そして、振り返るためには進みっぱなしではだめで、立ち止まらなければいけない。立ち止まる。それが日曜日の礼拝です。そこで、後ろを振り返る。キリストが寝ておられるのを見て、安心を確認して、また一歩、進めるのです。あなたも、この礼拝においでになりませんか。

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by rev_ushioda | 2011-01-17 15:12 | Comments(0)

「聖書通読」

これは、便利。

聖書通読表が紹介されているサイトがある。下記に関心があったら、ここを開くと、通読表を入手できる。→ 聖書通読表 ここで紹介されている「通読表」を使うと、以下のような自分に合ったいろいろなペースで、聖書が読める。たとえば、こんな感じである。

【1年 新約聖書通読表】
1日の平均所要時間: 4分。
1年(52週間)で、「新約聖書」を、通読する。

【1年 聖書通読表】
1日の平均所要時間: 新約4分、旧約13分。
1年(52週間)で、「旧新約聖書」を、通読する。
ちなみに、15分程度の所要時間というのは、1日の約1%で、つまり人生の1%くらいは、聖書のことばに耳を傾ける生き方も、悪くないであろう。

【いつでも 聖書通読表】  
ときどき休んだり、休日にまとめ読みしたり、ランダムな通読スタイルの方におすすめ。

【旧約年1回&新約年2回 聖書通読表】
1日の平均所要時間: 新約8分、旧約13分。
旧約を1年で、新約を半年で(つまり新約は年2回)通読できる。
クリスチャンが、初めて取り組むのに無理のない時間(約20分)と、分量である。

以下、ペースが上がっていく通読が紹介されているが、最後、極めつけは、これ。『聖書通読にチャレンジしよう!』の著者、下川友也先生が実際、されている通読だそうである。 ^^; 神学生時代に、研修先の教会に来ているおばあちゃんに数週間だけ聖書を貸したら、全部、読んで返してきたので、その時聖書通読をした事がなかった下川先生は恥ずかしくて、それで聖書通読に目覚めたとのこと。目覚めないと、何事も始まらないということかも。

【2週間 聖書通読表】
1日の平均所要時間: 新約1時間10分、旧約3時間42分。
2週間で1回(年26回)通読する。

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by rev_ushioda | 2011-01-13 17:53 | Comments(0)

「年賀状」

今頃になって、年賀状。
近い方には、この場を借りて、失礼します。

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by rev_ushioda | 2011-01-10 17:43 | Comments(0)

「基本形が大事」

私の「特技」は、餅つきです。ある時、子どもが、先生の趣味は餅つきだってね、と言うので、趣味ではない、「特技」だよ、と言い返しましたが、家で中学生の頃から餅つきを手伝わされていましたので、どこで力を入れ、どこで力を抜くか、見当がつくのです。杵(きね)を、腕だけで力まかせに打ち下ろしていては疲れるだけです。やはり、餅つきには基本形があるのです。
高校に入って、工業高校でしたから、鏨(たがね)で鉄板を切る、という作業をしました。左手に鏨(たがね)を持って、右手でハンマーを振り上げ、直径2センチ位の鏨(たがね)の頭に打ち下ろし、鉄板を切るのです。鉄のハンマーが誤って手に当たると、痛いどころではないわけです。だからといって、おそるおそる打ち下ろしていたのでは、鉄板は切れない。ハンマーは、思い切り打ち下ろさなければならないのです。そこで、体の向きは鏨(たがね)に対して何度、足の角度は体に対して何度で開く。ハンマーを振り上げる角度は何度…と、細かい指示がありました。そして、その体勢でハンマーを打ち下ろすと、不思議に、鏨(たがね)の頭に当たるのです。基本形が大事だと言われました。なるほど、餅つきの力の入れ加減と同じだと、気づきました。
重いピアノなど軽々運んでいる運送屋さんなども、基本形があるからこそ、あのような重いものも運べるのです。基本形なしにやれば、腰を痛めたり、手にけがをしたり、疲れるばかりですが、基本形でやれば、無理なく作業ができる。
私たちの人生にも、この基本形があるのです。神さまを第一にすることです。神さまと、しっかり向き合うことです。対話すること、祈ることです。その基本形を忘れたために、人は的を外し、自己中心的になりました。自分の見方も、人生の作り方も、人間関係も、仕事の質を高めることも、また自然との関係も、何もかも調和を崩してしまいました。聖書は、神さまと向き合う基本形に帰れと、私たちに呼びかけています。



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by rev_ushioda | 2011-01-10 11:09 | Comments(0)

「還暦」

吾十有五にして学に志し
三十にして立つ
四十にして惑はず
五十にして天命を知る
六十にして耳順ひ
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず

今日、60歳の誕生日である。思えば、どこかで待ち望んでいた「節目」であった。区切りというか、いや、折り返し点という意味かな。さて、人生、ここからだという思いと生活を、今日から、構築していこう。次の「古希」 (数えの70歳≒満69歳) を目指して。
それにしても、耳順か。そういえば、若いときは自分の意見を押し通してきたような気がする。最近は、人の意見をあわてないで受け止めることが、何とはなしにできているのかな。

娘たちからネクタイを贈られた。上が次女からのもので、下が長女からのもの。下の娘が意外と古典的感覚であることに意表をつかれる。
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by rev_ushioda | 2011-01-07 09:45 | Comments(4)