「老人会のお誘いを…」

教会周辺の老人会の方が、訪ねて来られた。

「老人会に関心があると近所の方からききましたので…」
「え~と、お誘いになっているのは、誰のことでしょうか」
「おたくです」
「えっ、わたしですか」

もう60歳、老人会の話が出る、そういう歳なのか、と思いを新たにした。年齢は関係ないのです、という説明ではあったが、老人会からの誘いを受けるとは、これはいささかショックな話であった。
しかし、まあ、教会と地域との関係を深めるには、いい話かも知れない。話をきいたら、実際は活動時間が礼拝と重なっているので、難しそうではあるが。

追記:私が 「老人会に関心がある」とは、近所の誰が言ったのだろうか?? 言った覚えはない。まあ、いいか。主が、そうされたのだろう。活動は無理でも、まずは名前だけでもということで、前向きに考えることにしようか…

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by rev_ushioda | 2010-09-29 18:45 | Comments(2)

めぐみ教会の皆さん、教会設立おめでとうございます。

めぐみ教会の数ある印象の中でも、私にとって記憶に残るのは、最初に借りていた場所で開催した中会会議です。あの狭さで、よく“あれだけ”の人が入ったと思います。いや、よく、あそこで中会会議をしようと思ったものだと。
しかし、それでも、教会だった。反対に、町でよく見かけますが、立派な教会かと思いきや、結婚式場だったというような建物がある。それは、教会ではないのです。
何が教会かと言うと、教理や組織神学の教科書などを見ると、「教会の標識(マーク)」ということが教えられている。カルヴァンの『キリスト教綱要』では、教会の「旗印」と訳されている。それは、御言葉の説教と聖礼典(洗礼と聖餐)の執行です。この二つがあれば、そこには確かに真の教会が存在していると言うのです。そういう意味で、めぐみ教会は、最初から教会だったのです。
なぜ、今、「教会」設立かと言うと、「種別変更」なのです。「伝道所」のときも、間違いなく教会だった。しかし、組織的に自立していなかったのです。「伝道教会」もまた、教会だった。しかし、会計自立していなかったのです。今、会計自立を果たした、それで中会では、種別的にこれを「教会」と言おうということなのです。

会計自立と言えば、二人の方を思い出します。私の前任の教会のことですが、Nキリスト教団の兄弟は、伝道所の最初の年にクリスマス感謝献金を届けてくれました。そして、絶えることなく毎年、献金を届けてくださったのです。今は、泉伝道所の開拓に伴って、泉区まで届けに来てくださいます。他教会のために、30年以上です。頭がさがります。また、中会内の一人の姉妹ですが、前任の教会が会計自立するまで毎月2,500円、必ずピン札で送金してくれました。この方も、10年以上、そうした送金が続いたと思います。
このような感謝献金に、何とも言いようがない感謝をおぼえ、本当に励まされます。私が申し上げたいのは、会計自立したから「教会」への種別変更のお祝いをするのですが、会計自立の後ろにある献げる姿勢ということです。誤解を恐れず言えば、人数が増えれば会計は必然的に自立するでしょう。だからと言って、それで教会になるかと言うと、違うと思うのです。
教会の「旗印」「標識」は御言葉の説教と聖礼典の執行と言われ、そのことを教会は大事にするのは言うまでもありませんが、教会を造るには、もう一つ、献げる姿勢があると思います。それが教会を作る。教会の実態となるのだと。荒瀬牧師のブログに、ようやく「成人式」を迎えました、と書かれていました。成人とは、この場合、献げる姿勢が整った、ということだと思います。献金は、献身です。キリストのために身を献げる、名実ともに信仰共同体となったのです。献げる姿勢を今後とも開拓し続けていっていただきたいと思います。

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by rev_ushioda | 2010-09-26 10:30 | Comments(2)

「自分本位の挨拶言葉」

 ほらせい春のたび立ち!
 まっかな太陽
 のぼる太陽
 でっかい太陽
 ほらせい春のたび立ち!
 でっかいあお空
 高いあお空
 まっさおな空
 ほらせい春のたび立ち!
 かなしい気がする
 うれしい気がする
 不安な気がする
 ほらせい春のたび立ち!
            (「ぼくは12歳」より)

「ほらせい春のたび立ち! 」と言いながら、 「かなしい気がする 」と続く。旅立ちに伴う不安は分かるが、悲しい気がするというのは、どういうことだろう。これはもう、本人にきくしかない。しかし、私たちは、自分の分かる範囲できこうとしているのではないか。わかる範囲には、「悲しみ」はないのである。だから、一瞬驚くか、えっと思うが、そのまま無視して通り過ぎようとする。
そういえば、私に孫が生まれたとき、皆さんは「うれしいでしょう?」と言われるのに、私の心のどこかを「寂しさ」「悲しさ」が通り過ぎていった。思いがけない感情であった。自分なりに思い返してみると、それは世代交代、つまり私の世代の終わりを見た瞬間であった。何とも悲しい、寂しい気持ちであった。

私たちは相手の気持ちを大事にするというより、聞き手の立場で他人を見ているのである。最近、新聞の取材を受けた。原稿を事前にチェックさせてもらったが、文章の中に「燃え尽き」という言葉があった。「途方に暮れた」とは言ったが、「燃え尽きた」とは言わなかった。なるほど、記者はそういう流行の言葉でまとめたいのかなあと思った。これもまた、聞き手本意である。

「お元気ですか」「ご健勝のことと存じます」「頑張ってね」「いいお天気ですね」もみな、聞き手の立場でものを言っている。元気と言われれば、その枠で答えなければならない。十分頑張っている人に頑張ってと言ったところで、どう頑張ったらいいのか。気持ちが沈んでいる人に、「いいお天気」はない。気持ちは、曇っているか、嵐か、なのである。

このように私たちの挨拶の言葉は、聞き手の立場でしか、ものを言っていない。
相手の立場に立ったら、どういう言葉になるのだろうか。青春の旅立ちに、「悲しみ」があるのである。それを聴かなければならない。

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by rev_ushioda | 2010-09-22 20:00 | Comments(0)

「問いかけられて」

私たちは、何を質問されるか(何をきかれるか)によって、人生の見方、作り方が違ってくるように思います。
お母さまたちでしたら「今日の夕食、何にする?」。中学生・高校生のメールでしたら「今、どこ?」。こういう質問、問いかけによって、自分は人生というものを知ったという話は、聞いたことがありません。
「今、何か気になっている?」このくらいになりますと、何かが気になっている自分、こだわっている自分と向き合い始めるわけです。どういう問いかけを受けるかによって、私たちの質が違ってくるのかも知れません。

ハイデルベルク信仰問答という本があるのですが、その冒頭に「生きるにも死ぬにもあなたの唯一の慰めは何ですか」と聞いてくるのです。どうでしょうか、私たちは、生きるにも死ぬにも、そこで慰めを受ける、そこで希望をもって生きられるものは何か、なんてことは考えたこともないと思います。しかし、聞いてくるから、考えたことのない自分自身を考えるのです。こうして私たちは、問いかけによって自分を見つめ、新たな自分と出会う経験をすることになります。ですから、私たちは、どういう問いかけを受けているか。どういう問いかけを自分自身にしているか。大事なことです。

イエス・キリストは「何をしてほしいのか」と、問いかけられました。してほしいことは山のようにあります。しかし、全部してほしいのだろうか。「何をしてほしいのか」と問いかけられて、では自分は何をするのか、と考えることになります。「何をしてほしいのか」。心を病んでいる方は、治りたいと言うでしょう。しかし治ったら、もう、人から援助を受けることができない、人の時間をもらうことはできない、ということです。「何をしてほしいのか」と問いかけられて、自分は本当に自立する意志があるのだろうか、と考えることになります。

キリストの問いかけによって、私たちは初めて、自分と向き合うことができるようになるのです。
泉教会は、相鉄いずみ中央駅、または市営地下鉄立場駅で下車、どちらからも歩13分。初めての方は、日曜日朝10時30分からの礼拝に、ぜひおいでください。

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by rev_ushioda | 2010-09-18 19:46 | Comments(0)

牧師たちによる賛美練習風景。
→  『カンバーランド プレスビテリアン』  → 残念、投稿者によって削除されました。「さんびのつどい」当日のお楽しみに!

作詞・作曲 浜崎 孝

1.テネシーの森のこかげ
  丸太小屋の徹夜の祈り
  主の耳は傾けられた

    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    わたしたちの泉

2.フロンティアの民の渇き
  神の人をつかわす願い
  キリストの手は伸ばされた

    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    わたしたちの使命

3.グローバルな愛の群れ
  形造る祈りの発露
  聖霊の雨そそがれた

    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    わたしたちの希望

    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    ああ、カンバーランド プレスビテリアン
    キリストの愛 溢れ

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by rev_ushioda | 2010-09-16 20:50 | Comments(3)

ゴスペルコンサートに協力いただいた皆様へ。

昨日のコンサート、心から感謝いたします!

結果的に40分オーバーの2時間10分になりましたが、ラッカーさんの歌と演出のすばらしさはもとより、
クワイアの皆様の歌声と演出は会場を大いに盛り上げ、大変すばらしいものとなりました。
また今回、舞台監督、音響、照明を、希望が丘教会の3人がしてくれました。彼らの働きは、舞台でご覧になったとおりです。すばらしい働きをしてくれました。

1教会の主催ということで色々、心配な面はあったのですが、結果は、2階から見てもほとんど空いた席はなく、満席でした。用意したパンフレット260部はまったく足らず、おそらく320~330人は来場されたと思います。用意したパンフレット数は前売り数からの予想でしたが、当日券が予想に反して、たくさん出ました。パンフレットが不足したことは来場者に申し訳なかったのですが、うれしい悲鳴でした。

経済的には、まず、その来場者の人数が200人越えで満たされたこと、有料コンサートとしては異例のカンパを募ったところ、こちらも目標額(5万円)を達成、また、別に献金もたくさんいただき、結果、実行予算35万円の必要はすべて、完全に満たされました。感謝です。

出演いただいた3つのクワイアの皆様(RMG、J-WAY、キッズゴスペル)はもとより、後援いただいたYMCA山手台センター、横浜西YMCA、そして4つの協賛教会(泉中央、JOYバプテスト、横浜シオン、希望が丘の各教会)には、心から感謝しています。

最後になりますが、当日裏方をつとめ、労してくださった皆様、本当にお疲れ様でした。
有難うございました。
私は、2階で満席の会場を見ていて、また、ゴスペルグループの歌、ラッカーさんの歌を聞きながら、これが泉教会の主催しているコンサートなのだろうかと、にわかに信じられない気持ちでした。神さまは、私たちの思いを越えて、すばらしいわざを見せてくださるということなのですね。

これは、ただのコンサートではありませんでした。伝道コンサートです。主イエスさまの名を伝えたいという思いから、実施しました。これからも、ただ、キリストの御名が宣べ伝えられるため、共に。

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by rev_ushioda | 2010-09-13 11:20 | Comments(0)

「講演会レジメ」

今日、地元の電話相談主催の講演に招かれて、若葉台地域ケアプラザというところに行ってきた。事前打合せでは30人来てくれれば、という話であったので35部の資料をお持ちしたが、51名の参加者であった。主催者側も大慌てで机を運び込んだり増刷したり、大変そうだった。
講演題だけでこれだけ集まるということは、下の題に関心のある人は、意外と多いのだ。以下、2時間のおはなしのレジメ

“聴く”という尊い奉仕
「若葉台何でも相談」研修 ・ 一般講演会
2010年9月7日 13:30-15:30

序.いい話には「裏」がある
  ・電車の高校生

1.受容・共感(確認)

  ・うなずき/あいづち
  ・内容の繰り返し   

(1)立場、環境、事実を受け止める
  ・林郁夫被告
  ・べテルの家
  
(2)感情を受け止める
  ・感情の反射     
  ・感情を開く質問   
  ・感情の明確化    
   
  ・外側・内側の理解  
  ・会話事例      


2.コミュニケーションを阻む障害
  ・ワーク
  ・百万円の値打ち


3. 会話事例


まとめ
  ・境界線争いと大岡裁き
   さしもの大岡裁きでも落着しない人の気持ち

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by rev_ushioda | 2010-09-07 17:40 | Comments(2)

「ハラハラドキドキ」

いよいよ、今度の日曜日が、ホールでの礼拝、およびコンサートである。
私は、泉教会の働きとか、教会の伝道とはどういうものかをここで教会の皆さんと共有したいと願い、このコンサートを祈り、計画してきた。参加できない方がおられるのは本当に残念だが、きのうの礼拝で、祈りをもって出発した。

チケットは、200枚を売るという目標に対して、現在125枚である。
人数的にはチケットから125人、泉教会25人、クワイア60人で、計210人となっている。1階300席に対して70パーセントの入りである。まだ委託先からの返事がないところもあるので、当日参加を期待して80パーセント(240人)までいけそうである。

大事なのは、これが教会の伝道だということである。高齢者がゴスペルに関心が持てないのは仕方がない。また、私たちの教会には、このような動的なことが苦手な人も多い。27人の会員がいても、実際は10人も動くことができるかどうかである。しかし、これは「教会」の伝道である。コンサートとは言っても、コンサートではない。ほかのコンサートとは訳が違う。一人でも、ゴスペルで歌われている信仰の言葉に出会い、福音に出会い、イエス・キリストに出会うことが、最大の目的、目標である。期待しよう。

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by rev_ushioda | 2010-09-06 11:08 | Comments(0)

「街道の難所」

「東京から下関・門司まで歩いたよ―夫婦で1200キロ」
という本を、知人からいただいた。知人と同じ団地(私の家からも近い)にお住まいの方が、出された本であった。へ~、東海道のあとは中山道(なかせんどう)に移る人が多いらしいけど、京都を越えて、向こうまで行っちゃう人もいるんだと思った。
それにしても、交通費がかかっただろうなと、そちらの方ばかり気になって仕方ない。私はようやく四日市まで行っただけで、交通費(車で東名高速往復2万円)と、そこまで行く時間(7時間)を考えただけで、腰が重くなっているのに… 私の場合は現地(前回の終点)までは新幹線ではなく車で行くので、交通費はともかく、時間がかかる。しかしこの方は新幹線利用なので、交通費がかかる。交通費を浮かせようとすると、車を使うから時間がかかり、時間をかせごうとすると新幹線を使うので、お金がかかる。いずれにしても、街道ウォークのためには、このために賭ける日ごろの節制と、踏み出す「勇気」がないと、できない。
東海道にはいくつかの難所があるが、私には、7時間も車で移動しなければならない閉鎖的車中が、一番の難所である。

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by rev_ushioda | 2010-09-02 09:19 | Comments(0)