「再び箱根」

娘が家族で旅行に行きたいと休暇を取ったので、一緒に箱根に行ってきた。ちょうど私も「疲れ」を覚えていたところで、ちょうど良かったと言える。一緒に行きたい、という意味は、全部出させるという意味ではあったが… 子ども孝行もできる時に、ということで、まあ、いいか…

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by rev_ushioda | 2010-05-31 19:02 | Comments(4)

ペンテコステ(聖霊降臨祭)。
泉教会では、子どもたちのパフォーマンスがある。赤いバラの花びらが宙を舞い、一人ひとりの上に留まるのだ。「あの日」の出来事を一瞬、思い描く。そして、それは今も継続している物語なのだと、皆が、心に記憶することができたらと願う。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。…人々は驚き怪しんで言った。…「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」(聖書『使徒言行録』2章)

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by rev_ushioda | 2010-05-25 08:38 | Comments(3)

今日は、久々に中会委員会が何もない日曜日だ。「龍馬伝」楽しみだなあなどと考えながら、教会からの帰り道を歩いている。自宅まで、約1時間の道のりだ。

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この写真は、途中のキャベツ畑である。田園風景が広がって、その遠くに丘陵が連なっている、私の好きな場所である。

歩いていて思い出した。そう言えば、先日、Kさんが挨拶に来られたのだった。京都三条大橋に着きましたと。
歩いてみませんか、とお勧めした方である。健脚の上、一人で歩かれたので、時間の調整など自由にでき、とうの昔に先を越されていたが、ついに京都に到着され、お嬢さんに出迎えてもらった由。
そうか、そうか、とうかがっていたら、何とか神社にお礼参りしてきました、と。(ガクッ)  クリスチャンではないからね^^:
都は都でも、神の都を目指しましょうとは言ったが、さてさて、「信仰の街道」を歩いてくれる道連れを探すのはなかなか…

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by rev_ushioda | 2010-05-16 15:19 | Comments(0)

「藪入り」

箱根に行ったとき、関所を見学しました。関所破りという言葉もあるくらいですから、そういう理由でかなりの人がここで処刑されたりしたのではないかという先入観がありましたが、思いがけず、関所破りで処刑されたのは、歴史上では5件6人だけだったようです。関所破りは、実際はもっと多かったのです。ところが、関所を管轄していた小田原藩が、寛大な措置をとったと書かれていました。どういうことかと言うと、関所を通らない、山を通り抜けようとした人に、お前は道に迷って山に入り込んだだけだ。そうだろうと言って、罰しないで釈放したと言うのです。これを「藪入り」と言うそうです。いい話だと思いました。幕府に知れたら、これはただでは済まなかっただろうと思いますが、小田原藩は、それがどういう意図であったかはわかりませんが、少なくともある犠牲を払いながらも、人を助ける措置をしたのです。
さて、聖書には、こう書かれています。「わたしたちは・・道を誤り、それぞれの方角に向かっていった」と。神と向き合う道をはずした。「神などいなくても生きていかれる」と言って。聖書は、ここに罪があると言うのです。このように道に迷った人に対してどういう「措置」がとられたかというと、「そのわたしたちの罪をすべて、神はキリストに負わせた」。十字架です。キリストの十字架という神の犠牲によって、私たちには「平和が与えられた」のです。
私たちは実際、確かに神さまの道から外れた歩みをしてきたし、これからも、していこうと考えています。「神などいなくても生きていかれる」「神など関係ない」と言って。それに対して神は、ご自分の方で犠牲を払って「罪をすべて・・キリストに負わせた」のです。ただ、なかったことにした、のではないのです。私たちに平和を与えるために犠牲が払われ、私たちは、今、この犠牲の上に乗っている者なのです。
このメッセージをお送りしている泉教会の最寄り駅は、横浜または小田急湘南台から、相鉄線 いずみ中央、地下鉄 立場で下車、共に歩13分です。電話番号は、045-803-1749。いつでも、あなたのおいでをお待ちしています。

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by rev_ushioda | 2010-05-14 16:17 | Comments(0)

「コンサートで眠る」

昨日、牧師会があった日、夕方に行なわれた天満敦子のコンサートに、妻に誘われて行った。
しかし、すでに行く前から疲れてへとへとだった。会場に入ってしばらくすると眠気も襲ってきて、体の疲れと、眠気でうとうとしているうちに、コンサートは終わっていた。良かったねと、妻は言う。私は、何を聴きに行ったのか… 
楽器のコンサートは、本来、私の性に合わない。言葉がない楽器からのメッセージを受け取るという、感性が私にはないようだ。これは、育ちの問題だろうと思う。農家に育った私は、教会に行って賛美歌を歌うまで、音楽に触れるという経験は、まったくと言ってよいほど、なかった。そういうわけなので、一つの椅子に2時間、何もしないで縛り付けられるのは、苦痛である。それがまた、眠気になる。こうなると、疲れとは別の話である。豚に真珠とは私のことである。
そういう私であるが、妻は懲りずに、よくコンサートに誘う。たいていは体のいい口実を見つけて行かないが、天満敦子のバイオリンの、あの細く伸びる音色には多少関心があって、それで昨日は、行くと言った。それでも眠ってしまったのは、昨日はやはり疲れていたのだろうか…

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by rev_ushioda | 2010-05-12 21:53 | Comments(2)

「フェイスブック」

最近、「フェイスブック」に登録して、恐る恐る感触をみている。 ^^
自分の写真は載せない、というのがネットの世界の常識みたいだと思っていたら、ここでは皆、自分の写真を載せ、誰と誰が「友達」かなどという、かなりの個人情報もオープンである。不思議な世界である。
私はこうしてブログを開いているのだが、人にここに来てもらわないと私の記事とは出会えない。しかしフェイスブックは、「友達」の関係から、私の記事の内容が見える。もちろん、私も人の友達関係が見える。あれ、これっていいのかなと、まだよく分からないところが多いが、思いがけない訪問者があったりすると、面白いと感じる。ブログにはない楽しみ方があるようだ。

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by rev_ushioda | 2010-05-10 21:56 | Comments(0)

レアンのお誕生会で、彼女の部屋は、「オープンハウス」。こうして15人ほどの人が集まり、楽しい午後のひと時となった。
日本に来て1ヶ月。それでも、お誕生会にみんなが集まってくれることを期待する、それだけ、気持ちが開かれているキャラクターであり、その証拠なんだろうなと思う。とにかく部屋に入れば、私たちが家具を運び込んだ日、とりあえず家具を置いた場所からそれはほとんど移動してあって、彼女のスタイルになっている。センスが違うというのはこういうことか。コーナーの照明、タペストリーなど、センスがいい。さすが美術系。ベッドルームも、いい感じにセッティングされていた。

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by rev_ushioda | 2010-05-07 21:01 | Comments(0)

「バーベキュー」

3日、連休はいいお天気だ。娘夫婦が庭でバーベキューをするというので、一緒に楽しんだ。高速道路は何10キロの渋滞だとニュースでは言っているが、庭先が最高。と言っても、この日、体力を消耗するほどの暑さだった。思えば、つい最近までの、あの寒さは一体何だったのか。

ところで、この炉は、シンクを利用したもので、大きさはちょうど良い。

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by rev_ushioda | 2010-05-04 21:52 | Comments(0)

「4畳半の拡がり」

泉教会は、ある時、4畳半を拡げる増改築工事をしました。

この工事をしてみて、ばかにできないのが、この4畳半という広がりだと気付きました。今までの広さに4畳半を足すと何畳になるという「足し算」では、決してわからない空間がそこに現われたのです。
たとえば、部屋の使い方から言って、中心の場所が変わる。礼拝堂の中心が変わるわけですから、これだけでも大きな変化です。そして、今までは二つの部屋がL字型になっていて、その二つの部屋が壁で区切られていました。集まっている人の半分しか顔が見えなかったのですが、今度は一つになれる。集まる人の顔が見える。当たり前のようですが、これは、すごいことなのです。
わずかのことが全体を変えてしまうというその感覚に、私は、とても驚かされました。そして思うのは、私たちの生活にも4畳半の拡がりを持ちたい、ということです。4畳半というのは、この場合、私はもう一つの時間の使い方、日曜日に教会に行くことを考えているのですが、そのようなわずかの拡がりを作ると、どんなにこの人生、変わって見えるだろうかということです。
聖書に、「神は、独り子(キリスト)を世にお遣わしになりました。その方によってわたしたちが生きるようになるためです」とあります。世界の片隅で起こった、キリストの出来事。世界から見ると4畳半以下の、ちっぽけな出来事でした。でも、その方を通して見ると、世界の見方がガラッと変わってしまうのです。失望は希望に、憎しみは許しに、対立は和解に、逃げてしまいたい問題は乗り越えるべき課題に、変わるのです。「わたしたちが生きるようになる」のです。キリストの出来事は、私たちの人生全体を変える力があります。たった4畳半、いえ、礼拝という1時間半の時間は、生活全体を豊かにする。

日曜日、朝10時30分に、初めてのあなたもお迎えしています。

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by rev_ushioda | 2010-05-02 23:39 | Comments(0)