「教会キャンプ」

日曜日からの教会一泊キャンプ。風邪による私の体調は、礼拝も何とか持ちこたえたようで、最悪の事態にはならずに済んだ。とはいえ、何と、キャンプ中、声が出なくなってしまったノデス! 必要以外、しゃべることができない、歌をうたうことは何もできない二日間であった…(今は他教会に移っている娘に、応援参加を頼んでおいてよかった)
で、やはり無理をしたのか風邪がぶり返したようで、帰宅後から再びダウン。今日の一日は起きてみたり、横になってみたりの様子伺いである。やるべきことはたくさん… 寝てもいられないが起きてもいられない、長引いてもいられない。というわけで、何とか起きてはみたが仕事にならないので、ぼーとしながら、メール確認のついでに、皆さん、キャンプの様子も知りたいだろうと、読者のためにアップを試みている。
教会キャンプは、17人が参加、会場は県立三浦ふれあいの村ということで、初日は、まず「入村式」から始まる。施設利用の説明だ。その後のプログラムは、午後と夜の2回の時間帯で大人が教会の現状分析(KJ法)をしている間、子どもたちは別プログラムを進めるという形をとった。以下、その順番の写真である。沖縄で寮生活をしている剛雄君も帰ってきて、キャンプに参加。久しぶりに一緒になって、子どもたちは楽しく過ごせた。大人たちは、、、この写真。楽しかったというより、有意義であったというべきか。
先週1週間のお天気の後なので、お天気が気になっていたが、日曜日、月曜日とも、ものすごい晴天。海水浴も大いに楽しむことができて、直前まで雨プロを本気で考えていたので、これはうれしかった。ところが、帰宅するやいなや、激しい夕立に見舞われた。間一髪であった。
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by rev_ushioda | 2009-07-28 18:22 | Comments(2)

「風邪」

ここで来たか、という感じで、昨日、今日と風邪でダウン。
最近は風邪をひく回数もずいぶん減って、今回、今年初めてだ。
ところが、今度の日曜日は教会の夏キャンプがあるので、
いつもの日曜日の二倍の元気が必要なのに、こういう時に限って、どうして…(~o~)
とにかく今日は木曜日だから、日曜日までまだ間に合う。
回復に全精力を集中して(と言っても、ただ寝ているだけだが)、
熱を下げ、咳と鼻水を止め、健康を回復させるしかない。
昨日は、南のほうで皆既日食が観察されるというので大騒ぎであったが、
こちらは、それどころではなかった。

…今日の木曜聖書会は妻に委ね、ふとんの中で

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by rev_ushioda | 2009-07-23 10:21 | Comments(4)

「1時間15分」

旧東海道をてくてく、休暇を全部使って歩いているが、2年前の春に「江戸」を出てから、今、三河(愛知県)に入ったところ。ここまでで実質、24日である。今後、8月に岡崎あたりまで行き、来年1月に名古屋に至る(それでまる3年、日数としては30日になる見通し)。
ところで、今日、教会員の一人が名古屋の教会で婚約式があり、妻と、もう一人の姉妹が教会の祈りを届けに行った。新幹線「のぞみ」では、横浜-名古屋間は1時間15分、横浜を出たら次は名古屋である。車では4時間かかるので、新幹線にしたのだが、たとえ車の4時間であったとしても、人間は便利を享受したらもう二度と後ろには戻れないのだと、改めて知る。もし、その鉄則を破ろうものなら、「もの好き」「暇人」…である。そういえば、IMAGINE に"H" をつけたら「暇人」になると、A牧師が言っていた。「暇人」は、IMAGINE につながる。「余暇」は「余った暇」などではなく、IMAGINE につながる。そこが大事なのだ。

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by rev_ushioda | 2009-07-19 16:21 | Comments(0)

「演技しなくてよい」

いつものように、私自身のことからお話を始めたいと思います。私が思春期を迎えた時のことです。高校生で、男だったら、友達と別れる時に普通は「グッバイ」と言いますが、私は、なぜか、それが言えませんでした。言いたかったのですが、「グッバイ」ではなく「さよなら」と言って別れたのです。それでもいいではないかと思うでしょう。でも、私は「グッバイ」を言いたかったのに言えないことで、とても苦しかったのです。
私は、小学校の時、常に、おとなしい、消極的という評価を受けていました。いわゆる真面目タイプです。中学になって、ある時クラスで物がなくなったことがあります。その時にどういうきっかけか、先生が「潮田はそんなことをする人間ではない」と言われました。そして、その辺りから、無意識の中で「いい子」を演じるようになったと思います。「そんなことをする人間ではない」真面目な人間を、作り始めたのです。真面目でないと自分の居場所を失うぞと、無意識の中で思ったのですね。そして、真面目な人間は「さよなら」と言うのだ。理由(わけ)もなく、どこかで、そうなったのです。
私は、無意識の演技をしていたのです。「グッバイ」が言えなかったのは、私の無意識からくる演技であって、本当の自分ではなかったから、辛かったのです。
私たちは、けなされたらもちろん、ほめられても、もしそれが正しい評価でないなら、苦しいのではないでしょうか。よく「がんばれ」と言われる。それも、がんばれない人には苦しいのです。あなたはどうでしょうか。まるで、人の入れるスイッチで上がったり下がったりするエレベーターみたいに、上がったり下がったり、演技しようとしていないでしょうか。かつての私のように。
でも、主イエス・キリストは、あなたを愛しています。愛するとは、そのままのあなたでOKと言って、受け入れてしまうことです。だから、キリストの前では、もう何も演じる必要はありません。あなたであっていいのです。そして、その愛された、愛されたゆえに力まないあなた自身から、すべてが始まります。

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by rev_ushioda | 2009-07-15 17:22 | Comments(0)

「蛇はきらいです」

今日、教会からの帰り道、細い山道で、蛇が車に踏み潰されていた。
動かないのは分かっていても、見た途端、足がすくんだ。細い道なので、その脇を通らなければ先に進めない。30秒くらいだろうか、遠くに蛇を見ながら途方にくれていたと思う。
ブログ用に写真を撮ろうかと思ったが、今にも動くのではないかというイメージが離れず、

何をしたか。

駆け足で、目をつぶってその横を走り抜けた。
蛇は、死んでいても苦手である。もう一つ、足がたくさんある、赤黒い、ムカデ。そして、先に書いた、熊。

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by rev_ushioda | 2009-07-12 17:49 | Comments(0)

プロテスタント宣教150周年の「記念大会」。きのうの「開会礼拝」は、5000人のパシフィコ横浜のホールは満席だった。出席して感じたのは、50年前の時はどうだったのだろう、という感想だった。

ところで、100年前であるが、1909年、「開教五十周年記念会」が、6日間、東京基督教青年会館で開かれている。この式典には、大隈重信が祝賀演説に立ち、時の首相桂太郎、小松原英太郎文部大臣、尾崎行雄東京市長らが、祝辞祝電を寄せている。6日間、多様な講演者が講演を行っている。

J・H・バラ「開会演説」、村上俊吉「懐旧実験談」、タムソン「障害の除去」、小崎弘道「五十年の回顧」、W・インブリー「五十年の回顧」、井深梶之助「基督教教育の前途」、原田助「教育者の養成」、松本益吉「教役者の養成」、クレメント(E. W. Clement)「日本に於ける基督教教育の情態及結果」、笹尾条太郎「基督教主義の大学」、柏井園「基督教文学」、ギュリック(S. L. Gulick)「基督教文学に関する吾人の問題及計画」、加藤直士「基督教文学」、別所梅之助「所感」、ミュラー(F.Muller)「基督教文学の必要及其供給の方法」、竹崎八十雄「基督教文学に就て」、田村直臣「基督教文学に付て」、海老名弾正「日本の倫理宗教思想及国民生活に及ぼせる感化」、新渡戸稲造「日本の倫理宗教思想及国民生活に及ぼせる基督教の感化」、藤沢利喜太郎「日本の教育並に文明に及ぼしたる宣教師の功績」、タルカット(E. Talcott)「婦人伝道学校」、本多貞子「教会に於ける婦人会」、ソール(S. A. Searle)「ミッション女学校」、和久山キソ子「開教五十年以来宗教事業としての幼種園及び小学校の略史」、小崎千代子「社会改良(イ)、矯風会、救済、工場事業」、林歌子「社会改良(ロ)、病院、孤児院、小児預所」、元田作之進「基督教と社会的観念」、M・C・ハリス「基督教と社会改良」、山室軍平「基督教と社会改良」、安藤太郎「基督教と禁酒」、平岩愃保「牧会事業」、植村正久「牧会事業」、ノルマン(D. Norman)「個人伝道」、ヘーガIー(G. E. Hager)「財政の独立」、星野光多「伝道事業」、小方仙之助「地方伝道」、ヘール(A.D.Hail)「田舎伝道」、波多野伝四郎「集中伝道」、貴山幸次郎「大挙伝道」、瀬川浅「九州に放ける伝道開始と讃美歌に就て」、留岡幸助「基督教と慈善事業」、デフォレスト(J.H. Deforest)「民族及信徒の自由に於るる基督教の影響」、島田三郎「民権及信徒自由に於ける基督教の影響」、山本秀煌「過去及将来に於ける宣教師の事実」、デヴィス「日本に於ける宣教師事業の将来」(大内三郎「日本キリスト教史」1970・日本基督教団出版局)。
ここに、カンバーランド長老教会のADヘールの名前を見出すのであるが、何よりも幅広い人脈に溢れていることに感動する。

さて、それから50年後、100周年について、ウィキペディアには、以下のように書かれている。

1959年は、プロテスタント宣教百周年記念行事が、エキュメニカル派と福音派で別々に開かれた。エキュメニカル派では日本キリスト教協議会、日本基督教団を中心として開催され、一方、福音派(聖書信仰派)はイムマヌエル綜合伝道団の蔦田二雄、ホーリネスの車田秋次、日本キリスト改革派教会のマキルエン、常葉隆興、岡田稔を指導者として、日本宣教百年記念聖書信仰運動を展開し、翌年、日本プロテスタント聖書信仰同盟の発足を見た。この働きが新改訳聖書(新約1965年、旧約1970年)の出版と日本福音同盟の成立(1968年)につながった。エキュメニカル派は世界教会協議会(WCC)と交わりを持ち、福音派は世界福音同盟、ローザンヌ運動と交わりを持っている。

なるほど、宣教50周年、宣教100周年の節目にも記念大会を催してきたが、前回は「分裂」型だったのだ。
今回、NCC(日本キリスト教協議会)系、福音派(日本福音同盟)系、聖霊派(日本リバイバル同盟)系の流れが組織的に連帯し、大規模な行事となる(実行委員会談)、というような報道があった。
しかし、参加してみた「感じ」とあえて言ったのは、雰囲気はキリスト教会の一つの流れに支配されているという感想を持ったからである。プログラムの組み立て方、普遍的ではない特別の用語、語り口調、雰囲気の作り方など、個々の教団としてはまったく問題ないものであるが、「超教派」の集会としてはキリスト教界を総合したものにはなっておらず、共同的なものにもなり得ていなかった。
賛同教会も、改革派教会、長老教会、ルーテル教会、正教会などの名前は、さっと見た感じでは、ほとんど見つからなかったと思う。しかし、これが、21世紀初頭の日本の「超教派」というキリスト教界事情なのだと思った。
「礼拝」の最後で、「献身」を表明するために起立が求められたとき、その場の空気になじまず(気持ちが引いてしまい)、5000人の中でひとり立ち上がらない人間がいたことを受け止めることができるなら、今回の大会は「一致」の実を刈り取ることも、できるだろう。(この感想は、あくまでも共同的一致の視点からの感想で、個々の教団・教派の特質を云々するものではない)。

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by rev_ushioda | 2009-07-09 19:02 | Comments(0)

「救急車呼ぶ」

今さっき、病院から帰ったところ。夕食後、さみが入浴中、けいれんで意識がなくなり、救急車…ということになった。
幸い、何事もなく、帰ってきたが、病院でもはっきりせず、風邪で少し熱があって、そのために食後に飲んだ風邪薬のせいか、何かほかの理由でか、お風呂で温まってけいれんになったらしい。
一緒にお風呂に入っていた妻が、何が起こったかわからず、一番、あわてていた。現場にいた妻がうまく説明ができないから、一緒に救急車に乗って行った娘は、質問に対して「~らしいです」「~らしいです」ばかりで、困ったと。
結局、検査ではよくわからず、点滴を打ってもらい、帰宅。帰りには、車の中でわれわれの疲れをよそに、空の星を見ながら、「♪ たなばたのよるはあ~」と、一人、歌っていた。そういえば、今夜は七夕だった。

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by rev_ushioda | 2009-07-07 23:54 | Comments(0)

「神学校クラス会」

神学校クラス会。1978年3月に東京東久留米市にあった神学校を卒業した7人が(7人のクラスだった!)、卒業して10年くらい経ってからだったか、年1回のクラス会を始めた。以後、毎年開いて、そのつど、連れ合いと共に参集する。今回は、1人(1組)が欠席で、何か教会の異動があると聞いているが、詳しく聞けなかったのが残念であった。
さて、今回初めて、千葉にある神学校の校舎を借りてのクラス会となった。広大なキャンパスを歩きながら、そして立派な施設を見ながら、たくさんの学生と食事を共にしながら、30年前、私たちが巣立った東久留米の神学校の様子が、どうしても思われてならなかった。その時は、20数人の学舎であった。
今は、そこを巣立った者も、ある者は還暦を迎え、ある者は孫がいる。ある者は母校で教える。何より、それぞれ自分の人生を背負ってここまできた、年輪が、感じられる。いまだ奮闘中であるが、若くはない。マイペースでいきたいと、再会のたびごとに思うのである。
今朝、場所が遠いから、始まりはゼッタイ遅れるだろうと思っていたら、時間前には皆、集まってしまった。それぞれの近況報告から始まって、その後、神学校のチャペル、食堂で学生たちと食事を共にし、再び近況の続きから始まって、今思うこと考えることに議論が白熱。こうなると、皆、まだまだ若かった。
締めは、神学校にある茶室でお茶をいただいて(私は、初めての茶道体験。足が痛いのしびれたの何のって、冷や汗が流れた。もうこりごり…)、とにかく、来年の再会を約して散会。
(写真は、インターネットだからと、わざとボカしたわけではないのだが、露光が足りなかったため、逆光で顔が分からないことになった。しかし雰囲気は、伝わるだろうか)
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by rev_ushioda | 2009-07-06 21:46 | Comments(0)

ちょうど今頃のことでした。子どもたちのために計画した夏のハイキングの下見のために、私は、西丹沢の山を歩いたことがあります。雨が降っていたのですが、3時間位の山道を、私はその入口から歩き始めることにし、一方、妻にはひと山越えたコースの出口に車をまわして、そこで待つようにと打合せして、一人で歩き始めたのです。
雨の丹沢は、さすがに歩く人は誰もいません。1時間くらい歩きますと、一つの看板が目に留まりました。正直言って、あの時ほど背筋が寒く感じたことはありません。その看板には、こう書かれていたのです。「熊に注意」。
注意と言われても、どのようにしたらいいのでしょうか。山で熊に鉢合わせし、格闘の末、大怪我をした、死んだ、という人のニュースが頭をよぎります。恐怖のため、まったく途方に暮れてしまい、引き返そうにも妻が先で待っていますから、戻るわけにもいきません。鈴を鳴らせばいい、ことくらいは知っています。しかし、音を出したら熊に気づかれてしまう。恐いときには、そう思うのです。音など、出せないのです。途方に暮れながら、おそるおそる歩いて行くと、行く手で「ガサッ」と音がしたのです。「出たっ」と思った瞬間、私は、その時には登ればいいと定めていた、すぐ近くの木に登っていました。様子をうかがうこと数分、やっと、それは笹の葉に落ちた雨垂れの音だとわかったのです。
あの看板、おそらく人のためにと思って一生懸命立ててくれたのです。しかし注意を呼び掛けるだけで、それを見た者がどうしたらよいか、そこまでは書かずにその場を離れてしまいました。その結果、私は命を縮める思いがしたのです。
私たちは、実はあの看板のようなことをいつもしたり、言ったりしているのではないでしょうか。これが「愛」だと言って、自分なりに一生懸命やって、満足しているけれども、しかし、相手が何を感じているか、までは考えないのです…。
聖書は、こう言っています。「イエスは私たちのために命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました」。私たちのため、命を捨てるほど自らの計画を変更し、徹底して寄り添うイエスという神がいる、と言うのです。ここに、愛があると。イエス・キリストの愛は、私たちのために計画を変えて、不安な人、恐怖におののく人、孤独な人の気持ちに寄り添う愛なのです。

参考に、ある町のホームページ:
もし出会ってしまったら!

遠くに熊をみつけたら
慌てず・騒がず・静かにその場を立ち去りましょう。小熊だからと云って決して近づかないこと。近くには親熊がいます。

熊がこちらに気付いたら
決して刺激を与えないこと。大声で叫んだり、物を投げつけたりしてはいけません。兎に角、じっと動かず熊が立ち去るのを待ちましょう。

それでも近づいてきたら
熊に向いたままそっと下がること。背中を向けて逃げると本能的に襲ってきます。荷物などをそっと置き、熊の気をそらしながらゆっくり立ち去りましょう。

いよいよ襲われることが確実なとき
「死んだふり」をしても噛まれたり引っかかれたりします。くぼ地や岩の間などの隙間に体を密着させ、頭や首筋、腹などを腕で保護し、熊が立ち去るまでじっと耐えましょう。


「じっと耐えましょう」ですって!! ひっかかれても、かじられても?

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by rev_ushioda | 2009-07-03 15:14 | Comments(2)

「パイプオルガン」

妻がパイプオルガンを習い始めて、初めての発表会が、今夜行われる。祈祷会なので私は行かれないが、教会や英語クラスの仲間たちが6人くらい聞きに行ってくれるそうだ。と言っても、妻は一番最初で、そのあとにいい曲が聴けるから来て、と誘っていた。
会場は、横浜馬車道の結婚式場「カサ・デ・アンジェラ」。写真のようにすばらしい内装で、ここにパイプオルガンが設置されている。イタリアのパイプオルガンメーカー「ZANIN」製のパイプオルガンで、日本国内ではここにあるだけだそうだ。妻にオルガンを教えてくれる先生は、ここの奏者であり、結婚式がない時間帯に練習したり、生徒を教えたりしている。そういうわけで本格的パイプオルガンを習うことができるのだ。妻は、この滅多にないチャンスを生かして、気分転換にもしている。あがらないでねと、皆が心配してくれているようだ。
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by rev_ushioda | 2009-07-01 17:58 | Comments(0)