「物語はつながる…」

カンバーランド・オークション。今年6月15日~19日、メンフィスで開催された総会(GA)における新しい試みとして、「メンフィス神学校」のための支援の一つとして行われたものである。
オークションの概要は、「出展作品は、カンバーランドの群れの皆さんから集められる、それぞれの文化を反映するような特徴ある作品(手作りの作品など)で、出展者の名前と共にオークション会場に展示されます」となっていた。
私たちの教会のM姉がこれに応募してくださったのが、写真の押し絵である。結局、日本からの出品は、この1件だけになった。しかし、写真のように点数が20余点におよび、圧巻? 大変好評であったと、参加した方から聞くことができた。以下の出品者のコメントと合わせると、作品には物語があり、その物語が海を渡り、大きな役割を果たしたことに、感動を覚える。

以下、出品者のコメント。

M家の誰が、母の作品が太平洋を渡ると想像した事でしょう。人生の思いもよらぬ展開に驚くばかりです。
この押し絵を作った義母の顔を、私は、写真でしか知りません。義母は50歳の若さで亡くなりました。教員をしていましたが、夫の誕生後は家庭に入り、もともと器用だったのか、子育てが一段落したころ押し絵を習い、教室を開いてご近所の女性に教えていたと聞いています。
作り方を夫から聞きました。
1. 図案をパラフィン紙に写し取る
2. 1.を厚紙にチャコペーパーなどでさらに写す
3. 2.を切り取り、それぞれのパーツごとに薄い綿をはさみ和装生地でくるむ
4. 3.を図案どおり並べて一枚の紙の上に乗せ、貼り付ける
5. 図案の外郭を切り取り、色紙に貼り付ける
幼い日、夫がどんな表情で母親の手元を見ていたのか、想像すると、なにやら楽しく感じられます。こうしてみますと、我が家の押入れに20年以上眠っていた作品が、息を吹き返したかのように感ぜられます。色鮮やかで、生き生きと見えます。美しく展示してくださったことも、望外のよろこびです。
ところで、義母の本棚にあった聖書を、私の手元に置くようになって27年になります。義母はキリスト者ではありませんでしたし、聖書をどれくらい読んでいたかもわかりません。しかし、私は、昨年受洗しました。27年間、大きな見えない力が義母から私に流れていたように感じます。
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by rev_ushioda | 2009-06-29 22:34 | Comments(0)

「何をしてほしいのか」

私が小学生の時、学校給食で、どうしても食べれないスープが出ました。なぜ、皆、平気で食べているのか不思議でした。私には、食べれないのです。どうしようかとあせって、そうだ、歯が痛くなろうと思ったのです。そうすれば食べなくても済む、と考えたのです。そうしたら、不思議に本当に歯が痛くなってきました。そこで泣いて、保健室行きです。スープは食べずに済みました。(でも帰ってきたら、飲みたかった牛乳まで、片付けられていたのにはがっかりでした)。
このように、病気であったら結構、得するということを「病床利得」と言います。たとえばいつも忙しく、また厳しいお母さんですが、子どもが病気になると、仕事を休んでくれる。優しくしてくれる。子どもは、うれしいです。しかし、もし健康な自分になると、また忙しく、厳しいお母さんに戻ってしまうのではないか。子どもは、このままずっと優しいお母さんがそばにいてくれたらと思うのですが、良くなったら、また一人ぼっちになってしまう。そういう無意識の不安があるために、私がしたように、病気の自分という「役回り」を、知らずに演じることがあるのです。
それが1回だけだったらいいのですが、この「病床利得」から抜け出せないで、大人になっても、こういう状態を引きずることがあります。健康になりたい、問題を解決したいのに、このままの自分でもいたいのです。そうしていると、いろいろと人が心配してくれるからです。自分の居場所がそこにあるからです。こうして、いつも自分には問題がある、というところをぐるぐる回ります。問題に気付いたら吹っ切ればいいのに、それができない。なぜでしょうか。本当は自分(まだ自分も知らない自分)と向き合うことが怖いからです。
キリストは言われました「何をしてほしいのか」。もう私たちを見抜いて言われるのです。だから、このキリストの前で、本当の自分と向き合えるのだと思います。

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by rev_ushioda | 2009-06-25 21:24 | Comments(2)

「教会音楽祭」

きのう、日曜日午後から、カトリック東京カテドラル聖マリア大聖堂(目白)に出かけた。カトリック教会・日本基督教団・日本聖公会・日本長老教会・日本同盟基督教団・日本バプテスト連盟・日本福音ルーテル教会、そしてカンバーランド長老キリスト教会の8教派・教団が参加した「教会音楽祭」があったからである。
「わたしたちを誘惑におちいらせずかえって悪からお救いください」をテーマとして、今回幹事を務める聖公会の礼拝形式により、教団教派を超えて、一つの礼拝を捧げた。約1100人が出席したそうである。カンバーランド長老教会の聖歌隊は、30人くらいの編成であったろうか。
私たちの教会(日本中会)が、外部の集会と連帯するのが、「世界祈祷日」と共に、この「教会音楽祭」である。共に礼拝と祈りの内容であるが、こうしてカトリック、プロテスタント、教団教派を超え連帯してささげる礼拝は、21世紀にふさわしい営みである。
帰りは、目白通りを目白駅まで30分、妻と共に歩いた。東京のどまんなかの、通りの景色を楽しみながら帰宅した。
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by rev_ushioda | 2009-06-22 21:59 | Comments(0)

「人数が少ない礼拝」

うわあ、あ、あ…

今日は、近年にない、最少出席13人の礼拝だった。葬儀で親族関係5人、他教会奉仕の関係で3人の欠席は、前もって分かっていた。そのほか病気、出産のため長欠の方々がおられる上、もろもろの都合が生じて休まざるを得ない方々が重なると、このような結果になる。少ない人数では、寂しさが、どうしてもただよってしまう礼拝であった。 ^^; 突発のことは別にして、仲間のためにも一生懸命、礼拝に出ることは大事だなあ…と特に思った一日であった。
都合がいろいろ重なったとはいえ、それにも増して、泉教会の課題は、新しい方がおいでになれる環境をどうしたら整えられるか、ということである。今日のことは事前にこのようになるのは分かっていたから、けっこうあちこちに呼びかけてはみたのだが、効を奏しなかった。「礼拝堂の問題」は、とりあえず横に置いておこう、とは言っても、置いておけないのが、人間の感覚から言えば、第一に建物の課題である。普通の家に、初めての人は行きにくいようである。前任の教会は10年目にして新しい礼拝堂を建てることができた。それを機に、礼拝に集う人が一気に増えた。教会らしい教会(礼拝堂)と、そこに集う礼拝人数は、さしあたって、比例することを、その時、学んだのであった。
さしあたってと言うのは、しかしそれがすべてではない、という意味である。そうは言っても、いやがうえにもそれに関係する。さて、さて、ここは祈りが肝要である。それにも増して、今、この課題を共有する仲間が、必要なのである。

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by rev_ushioda | 2009-06-21 21:57 | Comments(0)

「講演会」

明日、NPO法人 心を聴く市民ネットワークの講演会がある。講師は私 p(^^;
今まで12年間、講座を担当してきて、300人くらいの方々が受講したのではないだろうか。しかし、講演会は今回が初めて。もちろん、他の場所での講演は何度かしてきたが、ホームグラウンドでの講演は初めて。妙に緊張するのは、なぜなのだろうか。緊張を解くために、先に内容を公表してしまおう。

「小さくされた者の視点から」

序.
  
1.小さくされた者とは

  目の中にある丸太

  マタイによる福音書 7章1節~5節
  「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、
  自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
  あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に
  気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、
  どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
  偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、
  兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」

  「丸太」すなわち自分の価値観や感情、常識で、人を評価する。
  そうすると、正しく人と向き合うことが出来ない。小さくする、―される、というのはそういうこと。
  ① 社会的な常識で
  ② 組織の権力で
  ③ 差別用語/意識で
  ④ メンタルな面で
  ⑤ 自分を見たくない!?

  自分が弱い人間だと認めたくない。それで、自分を守るために周りを批判する。(防衛機制)
  「親」「男・長男」「教師・牧師」の立場を守る? だとしたら、人に問題があるのではなく、
  自分に問題がある。それで、「小さくされた」者が生まれる。

2.自分の中にいる「小さくされた者」
  
  ワークシート
  

3.あるエピソード
  
  山中湖ではなく河口湖になれ

  
4.いい話には裏がある!
  
  共感すること、受容すること
  

  金子みすず「大漁」
    朝燒小燒けだ/大漁だ/大羽鰮の/大漁だ。
    浜は祭りの/やうだけど/海のなかでは/何萬の
    鰮のとむらひ/するだらう。
  

5.会話記録から
    


まとめ.
  小ささ、弱さ、の中でも意味を持つ言葉を


後日談:
43名が参加された。ここに招く講師は、たいてい専門の、しかも大学の先生だったので、果たして私の話では聞きに来てくれるだろうか、という妙な心配から妙な緊張になっていたのかも、かな… (これがまさに自分を小さくしているのでは?という声が聞こえてくるのですが…)。テーマも、思いついてすぐ連絡してしまったので、少し難しく、一般的ではなかったかな、という反省もあった。そういうことではあっても、あれだけの方々が集まってくださったのであるし、とにかく、終わって、ほっとしている。心を聴く市民ネットワークの皆さん、よく準備してくださって、感謝。

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by rev_ushioda | 2009-06-19 10:21 | Comments(0)

「うれしい再会」

昨日、前任教会の仲間7人が、私たちの教会を(私たち夫婦を)お訪ねくださった。30年来のお交わりをいただいてきた方々である。何人かの方は、そのある時期、10年、20年と、教会を離れておられた。はずかしくて、来るのに勇気が必要であったとおっしゃった。そういうことも含め、30年というのは長い時間の流れである。いろいろなことがあった。そういうすべてのことを超えて今、こうして顔を合わせることが出来る恵みを思った。
何よりも、長い間教会を離れていた方々が再び教会においでになった背景には、それぞれに、人の死という、重たい事実があった。一人の死が、再び仲間を教会という場、主イエス・キリストのもとに連れ戻す契機になるのだ。

うれしい一日であった。

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by rev_ushioda | 2009-06-17 09:01 | Comments(0)

「X-JAPAN」という人気ロックグループがあります。その元メンバーの一人が亡くなった時、少なくとも4人が後追い自殺をし、葬儀には5万人が詰めかけたということです。そこに抜け殻のように座り込み、「あなたがいないと生きていけない」と叫ぶ者もいたとか。このグループのどこが好きなのかと聞けば、「生きる力を与えてくれた」という意味のことを話すそうです。そして、そのアイドルが死ぬとき、5万人が詰めかけ、抜け殻のようになる。後追い自殺する。
このようなアイドルは、人を自分に惹きつけることで確かに若い人に「生きる力を与えた」と思います。しかし、そこにまたアイドルの限界があって、人を自分に惹きつけるだけで、逆に自分らしく生きるようには押し出すことができなかったと、私は思います。これは「X-JAPAN」に限らず、アイドルというものは、いつもそうなのです。アイドルに惹きつけられている間、アイドルに委ねきっているとき、つまりアイドルと一体化しているとき、若い人は「力」が出るのです。コンサート会場の熱気はそのことを物語っています。だから、それが失われた時、抜け殻になるのです。
アイドルのもう一つの意味は「偶像」です。偶像とはそういうものなのです。偶像と向き合っていくうちに、いつしか人はそこに自分を委ねきってしまうのです。自分がアイドルに重なってしまう錯覚に陥るのです。つまり、自分がなくなっていく。
これは、聖書の言っている方向と正反対です。聖書を読むと、そのままの自分を見つめることができる。弱さがあるならそれでいい。無理して自分を大きく見せなくても、自分を元気に見せなくても、あなたは、あなたのままで十分すばらしいのだと言っています。強いもの、力のあるものに自分を重ねなくても、あなたはあなたですばらしい。何かの偶像に自分を委ねて、同じになろうとするな。違いがあるなら、あなたの持っているその違いを大事にしたらよいと言うのです。─ 聖書を読む時、キリストと出会うことで、私たちはそう気付いていくのです。

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by rev_ushioda | 2009-06-14 21:28 | Comments(0)

「さくらんぼ狩り」

教会の一日旅行で、さくらんぼ狩りに行った。(うん? 先日も、八木重吉記念館に行ったばかりのような?)。南アルプス市の観光農園。I 姉が10年来行っているという、お勧め農園である。参加者9人。写真は、説明を受けているところ。しかし、仲間はすでに、設定された40分以内に食べまくるぞ、、、と、すでに、さくらんぼよりも目が(らんらんとして)真っ赤に燃えていた。案の定、この銘柄は何々で…という説明は、帰りには何も覚えていなかった。
少し高いところに実がかたまっているので、脚立を立てて取った。上のほうがおいしい。お昼時間に重なって、昼食をどうしようかと考えていたが、何と、さくらんぼでおなかがいっぱいになった。清里で昼食をとる3時頃まで十分、満足したおなかであった。
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by rev_ushioda | 2009-06-12 19:42 | Comments(0)

「教会の台所」

使い勝手の悪い教会の台所を、今日、改造した。システムキッチンの一部をはずし、上に載っていた食器棚を半分に切断し(左の茶色の食器棚)、通販で買った食器棚を組み立て(中央の白の食器棚)、組み込んでみたら、こうなった。とても収まりがよく、大満足。これで、礼拝堂を少しでも広く使いたいという趣旨である。
ところで、この作業をしてくれたのが近所の婦人たち、そしてペンキ屋さんである。午後いっぱいを使ってわいわい言って仕上げてくれた。古い家具類もこの際、処分するのも、全部してくれた。教会のために、近所の人たちが一生懸命してくれる姿を見て、有難いことだと思った。また、不思議な光景であった。今度の日曜日、近所のノンクリスチャンの皆さんの奉仕によって使い勝手の良くなった礼拝堂で、クリスチャンたちは礼拝することになる…

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by rev_ushioda | 2009-06-10 23:20 | Comments(0)

「こりごり」

今日、一般健診だった。
5月に胃の膨張感があって二週間も食事ができなかった。最初の病院の薬は効かず、2個所目の病院で、逆流性食道炎らしいということで処方された薬が効いたのか症状は治まっていたが、今年の一般健診では、気になるので胃カメラを選択した。胃カメラは以前もしたことがあるが、口からの挿入方法では麻酔薬をしばらく口に溜めておくのが苦痛だったので、今回は鼻からの挿入方法にした。「経鼻内視鏡検査」と言うらしい。
結局、これは二度とやりたくないものだった。こりごりと言った方がよい。95パーセントの人が鼻からの検査を希望というポスターが病院に貼ってあったが、なぜなのか見当がつかないくらい、苦痛だった。ホームページなども、たとえば、こんなふうに書いている。→ここ  しかし私の場合、異物が鼻から食道を通過する違和感、吐き気で、力を入れないで、と言われれば、力が入る。口は開いているから、何でも話せますからね、と言われていても、話すどころではない。苦痛に必死に耐えるだけ。精魂尽き果てて帰宅、寝込んでしまった。YAHOO知恵袋を見たら、「嘔吐反射がある方がまれにいらっしゃいます....」とのこと。私は、「まれ」なのか。(そういえば、以前、歯の治療のときに麻酔が効かず、治療中に痛さで失神してしまったことがある)。しかし、こういう記事 →ここ を読むと、技術力だった??

ところで、肝心の検査結果は…
異常ありません。逆流性食道炎の痕もありません、とのこと。

では、あのときの症状は何だったのか…

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by rev_ushioda | 2009-06-08 11:27 | Comments(4)