いよいよ愛知県(三河国)に入った! この写真は、愛知県に入ったところ。道路標識は「愛知県豊橋市」となっている。
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ついに三河国だ。神奈川の人間にとって静岡は隣だが、愛知と言ったら、それこそ未知の国である。わくわくする。そういえば、乗った電車のアナウンスで、「…してください」の「だ」にアクセントがあったのが新鮮に聞こえた。静岡に入ったのが去年の1月7日だったから、1年半、静岡県にいたことになる。もっとも、静岡と言っても昔は、伊豆国、駿河国、遠江国の3国だったが。

さて、通常のコース取りをすると、3日目、帰宅の日に鉄道がないところに入り込んでしまい、ではバスなどうかと調べたら、国道沿いなのに何と一日に1本しかない。これは、頭を使わなければならない。考えた結果は、以下のとおり。
1日目、浜松から弁天島(浜名湖)まで。(車は浜松泊。われわれは弁天島泊) 2日目、弁天島から二川まで。これで静岡県を抜けて愛知県に入った。そこから電車で浜松に戻り(2日の距離を30分で戻ったのであった)車を移動して、浜名湖泊。 3日目、東名を使ってふたたび静岡県に戻り、前回の終点、袋井に車を停め、そこからスタートして磐田まで。袋井に電車で戻り、東名で帰宅。
結局、交通の便の悪いところと良いところの行程調整した結果、あとを先に、先を後にすることになった。しかも、磐田から浜松までの区間は次回に回し、とにかく愛知に入ったという、「ウルトラ・シー」となった次第である。

袋井宿-見付宿(磐田):http://chizuz.com/map/map52229.html
東海道の順番とおり書くと、まず、前回の終点、今回の起点となる袋井。ここは「東海道どまん中」として町おこしをしている。どの店にも「東海道どまん中 何々商店」「東海道どまん中 何々小学校」と、札が掛けてある。名物は自分で作り出すもの也。こういうことに気づいたのは今に始まったことではなく、私もあるとき、「教会のある街」というコピーを作ったことがあったなぁ…

見付宿(磐田)から浜松宿は、次回。

浜松宿-舞阪宿:http://chizuz.com/map/map52230.html
今までずっと海岸から遠のいていたが、ここで再び海に接近する。浜名湖である。多分、東海道最南端である。大井川もそうであったが、川を渡るとか、湖を渡るところというのは、かつての宿場らしい雰囲気を今に伝え、にぎやかさを感じる。
そしてここで泊ったBENTENKAN 都市型ホテルでこの料金(ポイント利用で7000円)は、東海道をくだってきて利用したホテルの中で、一番良かった。と言っても6泊目であるが。とにかく浜名湖を眼前にした景色といい、ベランダにテーブルまで置いてある部屋といい、おいてある家具といい、食堂の広さといい、大満足。いや~最高の気分を満喫できた。これで温泉があったら… 弁天島温泉と言うのに温泉がない!?

舞阪宿-新居宿-白須賀宿-二川宿 http://chizuz.com/map/map52231.html
今回の終点、この二川からが愛知県である。今まで1章 江戸から小田原。2章 箱根越え。3章 静岡県内としてきたが、次回から章を改め、第4章としたいと思う。未知の国である。
新居であるが、ここにも関所があった。関所は箱根だけではなかったのだ。しかも、ここの「今切関所」の建物は復元ではなく、当時からのものだそうだ。観光が目的ではないからお金を払って中には入らなかったが、やっぱり昔のままと聞いたら、至る所から昔の人の声が聞こえてくる気がした。歩いている旧東海道そのものが、足元からすでに歴史に生きた多くの人の言葉を語っていたのであるが。
二川までは、畑の中を通る国道をひたすら歩いたのであるが、途中のバス停で時刻を見たら、何と一日1本!!!車はひっきりなしに通るのにすごい道であるが、こういうところでしているのが、(ねずみ取り)。次々捕まっている横を通り過ぎたのであるが、現代の「関所」は、こうして突然、現れるのであった。われわれは、もちろん、何のおとがめもなし。めでたしめでたし。
二川宿には本陣の遺構がそのまま残っていて、中を見学することができた。東海道に残る本陣の遺構は、ここと草津宿だけだそうだ。さっきは観光が目的ではないと書きながら、ここでは三河国に入った記念に? 歴史的遺構を見学。旅先でも殿様が別格扱いされた部屋、トイレなどを見た。道中の駕籠もそうであるが、あんな小さな入れ物に入れられ、旅籠でも場所を決められていた封建制度を維持する殿様って、決して楽なものではないと思った。
旅籠で休憩。「いやあ、疲れたねえ」、私は、さっそく足を洗ってもらった。「さあ、次は秀子さんだよ」(写真)。
このような東海道ウォーカーは、途中の白須賀の統計では、記録に残して行った人だけでも月間600人だということである。(潮見坂の休憩所のおじさん談)

動画はここ → 動画

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by rev_ushioda | 2009-05-27 22:33 | Comments(0)

新型インフルエンザ大流行の兆しだ。飛行場での水際作戦を潜り抜け、兵庫、大阪では、人から人への感染が広がっている。見えない敵と戦うようなもので、何とも不気味である。
さっそくマスクを、と思ってネットを見たら、どこも在庫なし、ではないか。あわてて近所の薬局に行ったら、あるはずもないのは分かっていたが、案の定、ない。仕方なしに6月終わりに入荷というところに注文し、それまで感染が広がらないのをひたすら願うのみである。上の娘の連れ合いは学校の教師をしているし、下の娘は保育士なので、二人とも、どうしても必要ということであるが、待つしかない。(と、思っていたら、ブログの読者が早速これを読んで、二箱もくださった。ありがとうございました!)アースプラスマスク
見えない敵と戦うと言ったが、これは、実は今日に始まったことではない。キリスト者は、見えない敵、悪(悪魔)との戦いということを聖書から学んでいる。この感染力は人間を死に至らせるほど、非常に強い。改めて、忍び寄る悪(悪魔)との戦いにおいて、私たちはいかに危機管理能力がないか、無防備かということを思う。
インフルエンザにかかるのは、不可抗力というより、その人の「行動様式」に問題があると言われる。帰宅時や食前の手洗い、咳エチケットを守ることが、とにかく大前提だと言う。悪(悪魔)との戦いにおいても、聖書を読み、礼拝の生活をするという基本的「行動様式」を怠ると、たちまちにして感染し、自分が命の危険に陥るだけでなく、人から人に感染し、しかもそれが変質していくのである。

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by rev_ushioda | 2009-05-18 19:54 | Comments(0)

「次元を変えてみよう」

子ども向けのクイズで「これは何でしょう」というのがあって、6角形で真中に黒い丸が書いてあるのです。答えは、鉛筆です。鉛筆を縦にして見ると、6角形で真中に黒い丸、というように見えますね。また、正方形が書いてあります。これは何でしょう。少し角度をずらして見ると、真四角の箱、立体でした。
私たちは縦、横、高さのある世界、三次元の世界に生きています。立体の世界です。ここでは、すべてのものは、生き生きと感じられます。ところが、今のクイズのように縦と横だけの世界、二次元の世界で見るような見かたもあるのです。そうすると、今まで生き生きとしていた姿、形が、急につまらない、わけのわからないものに変わってしまう、ということが、おわかりでしょう。
ところで、私たちは時々、このような二次元的ものの見かた、考え方をしていないでしょうか。どう見ても、考えても、「八方ふさがり」だと言う。でも、上が空いているというのが、三次元的考え方なのです。上が空いていても、二次元的ものの見かた、考え方でいくと、八方がふさがってしまって、もうだめだとなります。平面的に考えてしまう考え方です。
私たちの人生は、豊かな可能性に富んだ、右にも左にも上にも下にも行くことができる、わくわくするドラマのはずです。それが、右か、左か、どっちかしかないと、どうして二次元的ものの見かた、考え方にしてしまうのでしょうか。次元を変えてみましょう。いえ、聖書を開けば、神さまにあっては様々な次元、方向に、私たちの可能性が開かれていることに気づかされます。私たちの人生は、私たちの人生を創造してくださった神さまの前で、実に色々な考え方ができるのです。豊かなのです。あきらめることはないのです。神さまの次元で考えれば、きょうは、あなたの人生の最後の日なのではありません。きょうは、あなたの残りの人生の、最初の日なのです。

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by rev_ushioda | 2009-05-15 10:19 | Comments(0)

「手紙」

今朝のテレビで紹介されていた「手紙」。「年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても/どうかそのままの私のことを理解して欲しい…」「あなたの人生の始まりに私がしかりと付き添ったように/私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」。
老いとか、認知症とかで家族の手をわずらわせざるを得なくなった者の視点で、家族への手紙として歌われている。
家族の立場からすれば、親の介護にむなしさを感じ、苛立ちを感じ、何で私がという怒りさえ感じ、現実に押しつぶされそうになってしまうとき、この歌は、大きな励ましとなる。
このように親からのメッセージを聞き分けられたら、介護というその「現状」が、まったく違って見えてくるに違いない。
http://www.youtube.com/watch?v=VIys43kR5S0
歌詞、譜面(MIDI音源付き)は以下
http://www.utagoekissa.com/tegamishinainarukodomotachihe.html

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by rev_ushioda | 2009-05-11 09:38 | Comments(0)

「ユースキャンプ」

中会のユースキャンプに、今回、半日だけであったが参加した。
私たちの教会からは参加者がなかった、というより該当者がいないのだが (´`; 今回は、夜のメッセージを依頼されたため、参加することになった。該当者がいなくても、牧師だから参加する、というのが正解なのだが、なかなか、そうもいかないという現実がある。いずれにせよ今回も、妻と共に参加した(前回、2年前の「三浦ふれあいの村」の時も、そうだった)
午後、雨が降ってきたが、そこは青年たちであり、どうということもなくプログラムは進んでいた。午後のプログラムは、コンサート。ギター、ドラムの伴奏で賛美が進められていく。ほとんどが、私の知らない曲。しかし、40人ほどの青年たちのほとんどは知っているようで、手拍子を入れたりして元気に歌っている。一見、どこの教会かと思う雰囲気であるが、紛れもなくカンバーランドの集会である。あれも、これも、というところに、よい意味でカンバーランドの良さがある。青年たちは、音楽的にも、神学的にも ^^; 主日礼拝とのギャップは、多分、上手に埋めているのだろう(これから埋めていく人もいる)と思った。
それにしても、会場となった「県立 愛川ふれあいの村」の広いこと。東京ドームの4つ分だとか。夜、帰るために雨の中を駐車場に向かったが、道を間違えたら最後、駐車場の近くに一旦出ながらそれが分からず「村」を出てしまい(下の図を参照)、一般道を歩いて、広大なグラウンドをほぼぐるり一周廻る羽目になった。雨の中、ひどい目に遭った。いや、一緒に帰る3人も一緒であったが、私たちの後をついて来て、ひどい目に遭わされたのは、その3人だった…
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by rev_ushioda | 2009-05-07 14:24 | Comments(3)

「橋頭堡」という言葉があります。橋頭堡というのは、軍隊などが、川とか海とかの対岸に前もって作る、上陸拠点を言います。後からそこに味方が上陸するのですが、初めは、それだけ見ていたら何だかよくわからないわけです。しかし、そこに後から押し寄せてくるものがある。そういう、上陸の拠点を、橋頭堡というのです。
泉区を通って相鉄線、地下鉄が湘南台に接続していますが、その延伸工事が進められていた時、畑の真中にコンクリートの塊、橋脚が作られていたのです。それだけ見ていたら、周囲の光景とまったくかみ合わず、何のことかわからないわけです。しかし、あとから橋ゲタが掛けられ、鉄道が敷かれるということが誰にもわかりました。泉区西部は、ずっと横浜のチベットと言われてきました。しかし、鉄道が敷かれ、この地域はもうチベットではなくなりました。その初めに、あの橋脚が設けられたのです。橋脚は、あとから来るものの初めという意味で、橋頭堡でした。
初めは、何だかよくわからない。周囲からは違和感を感じる。しかし、確実に後から来るものの一部であるという橋頭堡。教会も、そうなのです。後から来るものを表しているのです。後から来るものとは何でしょうか。それは神の国です。教会は、神の国の橋頭堡なのです。教会は、世の中の目から見れば余計なものかも知れません。困ったら行くかも知れないけれど、今は関係ないと言われる。あの、畑の中のコンクリートの橋脚のようなもので、自分の生活には余計なものだと思っている。しかし、教会は確実に後から来るもの、神の国の一部を表しているのです。この世のものはすたれます。滅びます。しかし神の国は神の平和、神の愛が永遠に実現するところであり、教会は、その平和な時代を告げる、橋頭堡なのです。
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by rev_ushioda | 2009-05-03 22:16 | Comments(0)