5年間続けた よこはまチャイルドライン の研修のお手伝いを、昨日で一旦、終りにした。教会の働きに専念する必要から自分で決めたことなので、法人代表にかなり説得されたが、ここは決めたとおりに通させてもらった。それにしてもこのような講座は、困惑や悲しみや苦しみを訴える子どもたちのためなので、本当はやめたくない。数年、離れさせてください(また戻ってきます)という気持ちは、本心である。
よこはまチャイルドラインのクオリティ維持のために、何とか続けてほしいと言われて、そのために少し貢献できたのかなと思い、この満足感は5年間のご褒美として受け止めさせてもらおう。

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by rev_ushioda | 2009-02-25 15:16 | Comments(0)

「日曜日の会議」

中会会議が行われた。時間がかかると思われたところはすっと過ぎ、意外なところで時間がかかり、結局、終わるのはいつもの時間、というのは、こういうのを何の「法則」と言うのだろうか。
申し訳ないと思うのは長老たちへの思いで、翌日早くからいつものように会社での仕事がある。ある長老が、「4時からの会議って、変じゃないですか? どうして土曜日にしないのでしょうね」と言われたとき、はっとした。確かに土曜日は、教会としては日曜日の準備で大事な日であるし、牧師は説教準備があるにしても、日曜日の会議は、もしかしたら牧師の立場で考えてしまっているのかも知れないかな、と。翌日の長老たちの負担を軽減するためには、どうしたらよいのだろうか。
ところで、今回の会議、説明のために立つことがいやに多かった気がするが、気のせいだろうか。花粉症がひどく、頭はぽわー、鼻水はずるずる、のどはガラガラ、むずむず・・・体調的にかなり不調だった。今朝、病院に行ってきたところだ。春一番が吹いたあとから、患者さんが急増したとか。どうやら、花粉症と共に、風邪もひいているようだ。 (>_<) 

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by rev_ushioda | 2009-02-23 10:34 | Comments(0)

「うんちも土産になる」

富士宮市に「奇石(めずらしい石)博物館」があります。
何の変哲もない、ただの石ですが、紫外線を当てると、その石は色とりどりの美しい光を放っていました。なるほど私たちも、ただの人、何の取り柄もないと思っている人にも紫外線ならぬ「神さまの視線、眼差し」が当てられると、このように輝き出すのだ! 私はそんなふうに思って、一人、感動してその輝く石を見ていました。
「これは何だと思いますか」と言って、係の人が取り出したものがあります。「これは、うんちです」。ナルホド、その人の手にはそれらしい格好をしたモノが乗っていました。ただし、それは何と恐竜の「うんちの化石」という説明でした。アメリカでは、先住民たちがその「うんちの化石」をペンダントにして、お土産として売っているそうです。うんちも、お土産になるのです! 汚いもの、不必要なものと見られるものも、このように発見され、拾われ、磨きをかけられ、値がつけられて、買う人は大切に持って帰る。不思議なことだと思いました。
聖書には「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して」くださったのだという言葉があります。「私たちが神を愛したのではない」。神を愛せないで自分中心に生きる、神さまからすれば、きっと、うんちのように醜かったであろう私たちでしたが、しかし神は御子イエス・キリストをお与えになったほど、それほど愛してくださった、と言うのです。神がしてくださったことを考えると、恐竜のうんちと自分がダブって見えてくるのです。そのままでは埋もれていた私たちも、私たちと向き合ってくださる方、神さまに発見されて、手にとられて、こうして値打ちが出てくるのです。私たちには、神さまが「その独り子をお与えになったほど」の、かけがえのない値打ちがあるのです。

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by rev_ushioda | 2009-02-21 18:16 | Comments(0)

「エルサレム賞」

イスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」というのがある。その授賞式がエルサレムであり、作家の村上春樹さん(60)に賞状などが贈られた。イスラエルから、文学であろうが何であろうが「賞」を受ける、ということはどういうことなんだという思いがあったが、たまたま、その全文を記載したブログがあり、読むことができた。

村椿氏のメッセージ

「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵のそばにいる」

このメッセージにはもちろんだが、ここ至る彼の心境に、私は、共感を覚えた。以下、翻訳のまま。
本当に多くの人々が、僕に「エルサレム賞を受け取りに行くな」と忠告してきました。或る者は、もし僕が受賞するなら僕の本に対してボイコットを扇動すると警告さえしました。
(略)受賞の通知を受け取ってから、僕は何度も何度も自問しました。「こんな時期にイスラエルにまで旅行して、文学賞を受け取ることは適切な行動なのだろうか?」、「僕はどちらか片方を支えることになり、圧倒的な軍事力を行使する国策を是認したと思われやしないか?」。
もちろん僕は、そんなふうに受け取られるのは御免です。僕はどのような戦争にも賛成しないし、どのような国家も支援しません。そしてむろん、僕の本がボイコットの憂き目にあうのを見たくはありません。
しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをしたくなる傾向があるのです。
あなた方は「それは小説家だからだよ」と言うかもしれません。そう、確かに小説家は特別変わった種族です。この連中は、自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じることができないのです。
それが今日、僕がここにいる理由です。僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました。

私たちが牧師としてメッセージを発していく時、大事な作業のひとつを見せてらった気がした。牧師は、いつもどっちに立つのかという狭間の中で、しかし「預言」神の言葉を語るものである。彼のような立場に立つことがしばしばある。いろいろな思いで、次の言葉を思い巡らす。「僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました」。 

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by rev_ushioda | 2009-02-20 10:54 | Comments(0)

「朗読劇 塩狩峠」

「劇団ぶどうの木」による朗読劇「塩狩峠」を観た。塩狩峠といえば、三浦綾子原作である。それを脚本化したもの。私などが言うまでもないことだが、改めて、三浦綾子という人は人間の罪をわかりやすく、伝道的に描き出した作家だったと思った。「劇団ぶどうの木」は、それを、朗読劇と言う形で見事に演じていた。すばらしかった。
「劇団ぶどうの木」とは、市内の本郷台キリスト教会ユースミニストリーの一環で、2006年に発足。2004年から毎年クリスマスの時期に公共の施設で演劇伝道を行ってきたということで、実績を積んでいる。プロではないので、まったく完璧とまではいかなくても、しかしそれにしては迫力、感動力、そして何より伝道力十分の見ごたえであった。牧師会を早退したが、結局、おさそいした方々が行かれず、牧師夫妻だけで観たのは、何とも惜しかった。

演出の西田正さんについて、FEBCで紹介されている。→FEBCブログ

作品について→「塩狩峠」

音声を聞くことができます →FEBC放送

そういえば、この鉄道事故から、今年はちょうど100年目だ。100年を記念した行事について→紹介したブログ

映画→YOU TUBE 

今年、この劇団を地元、泉区のテアトルフォンテに招く
朗読劇「塩狩峠」 公演予告 
 於 横浜市泉区いずみ中央 テアトルフォンテ
 日程 2009年8月29日(土)午後2時/夜7時
 主催 朗読劇「塩狩峠」を泉区で実現する実行委員会
…といっても、ほとんど私が進めているのだが^^
 後援 YMCA山手台センター、横浜西YMCA


写真は、塩狩峠にて、2001年(結婚25周年記念旅行)。
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by rev_ushioda | 2009-02-13 23:18 | Comments(5)

「自分を支えるもの」

皆さん、日光に行ったことがあるかと思いますが、日光に「江戸村」という江戸時代の町並みを再現した、楽しい観光スポットがあります。そこに「忍者屋敷」があって、中に入ると、そこはすべてが斜めになっている。表は普通の家なのに、中は柱も部屋も何から何まで全部が傾いている、という造りなのです。
入った瞬間、どうしたわけか頭の中がグラグラっとして、私は、もう立っていられなくなってしまったのです。そこで正面に見えた出口目掛けて、まっしぐらにそこを突き抜け、そのまま外に出て、ベンチで横になって、気分が戻るのを待ちました。さすが忍者屋敷だなあ、と思っていると、家族は平気な顔で一巡りして出て来たのには、驚いてしまいました。
私は、その経験から、“私たちは周りのものによっていかに動かされやすいか”ということを、考えるのです。娘が小さかった時、波に揺れるボートに乗せようとしたら泣いて逃げ出してしまったことがありましたが、そのように私たちの心というものは、周りの波風によってはもちろんですが、たとえそれが揺れていなかったとしても、いつも、周りによって支配されていているのです。心は、攻撃されても傷つきますが、たとえば、人は何もしてないのに(あの忍者屋敷のように)何もしない、ただ“個性が強い人”がそこにいるというだけで、不安になったり、恐れたり、傷ついたりすることがあるのです。起こるべくして起こる出来事によっても、人は恐れる。そうではないでしょうか。人間は、そんなに強くないのです。けれどもその反対に、もし「あなたを愛している」と日頃から言ってもらっているなら、その人は、どんな状況でも自分を支えることができるのです。聖書は、神は私たちを愛している、というメッセージで溢れています。あなたは愛されている。このメッセージによって、傷ついたあなたも、これからはきっと自分を支えることができます。

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by rev_ushioda | 2009-02-10 21:42 | Comments(0)

「家族旅行」

十何年ぶりになるのだろう、娘たちと一緒に旅行したのは。(孫が一人加わっているが)
今回、何かと不調であった足、腰の療養のために温泉に行こうと思い立ってその話をしたら、なぜか皆、都合がいいということで、急遽、実現した家族4人の旅行。と言っても、日曜日の夕方から出かけて、一泊だけの箱根への小旅行であった。
こうして旅行に出るのは、あの時、この時と… 数えるほどしかない。そのうちに上の娘は結婚し、というわけで、なぜか、私の気持ちはわくわくしていた。気づいたら、100%、孫中心の旅行になっていたが。
行き先データ:箱根、塔ノ沢「一の湯」。例によって、塔ノ沢は、私のお勧めスポット、そして「一の湯」は、安いので、常宿としている(そんなに行ってない!)。温泉と、2日目はガラスの森でゆっくり食事(カンツォーネのライブ付)を楽しんだ。夫婦二人だけの旅行、旧東海道ウオークが続いていたので、今回はまた、別の意味で楽しかった。
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by rev_ushioda | 2009-02-09 23:48 | Comments(5)