「婚約式」(説教要約)

何ヶ月かすれば、ふたりは結婚するでしょうが、結婚とは、今まで全く違って生きて来たふたりが、一つになって社会の中で責任を共に果たして行くことです。結婚とは、言うまでもなく、ふたりで一つになるということです。一人で、がむしゃらにできたことも、そうできないということも多くなってきます。逆に、一人でできなかったことが、ふたりだからできる(できることを期待される)ということも、結婚には起って来ます。ですから、ぺースが今までと全く違って来るということです。
そのための準備期間が、婚約期間となります。この婚約期間に、違うぺースを自分たちの中に取り入れる訓練を、誠実にしていただきたいと思います。何が違うのか。違うものをどのように受け止めて行くのか。この作業をおろそかにすると、生涯、取り返しのつかないことにもなりかねません。しっかりと自分たちの違いと、向き合って行きたいと思います。

この準備期間を考えるために、今日は一個所、聖書を開きました。ふたりにとって大事だと思われることを、この聖書の個所から2つ、申し上げておきたいと思います。創世記2:18―24

「父母を離れ」

婚約期間は、離れる訓練の時だということです。親から、家から精神的に離れることができるか、ということです。いわゆる「親離れ」と言われるものです。一つの新しい家庭を準備する時に、今までのように親に依存した状態から、ここからは、独り立ちできるかということです。これは物理的にではなく、精神的、情緒的な意味で言っています。たとえ「同居」という現実があったとしても、精神的にはきちんと独り立ちしているということです。それを聖書では、「父母を離れ」と書いてあります。
今まで親子の関係で持ってきたつながり、甘えは、結婚を境に大きな変化が出て来るわけです。
夫婦は、何より一番大切なものを共有する単位です。今まで親子の間にあった安心感、喜び、悲しみの時の慰め、これらはみな、結婚する以上、今後は夫婦の中でこそ育てられ、成長して行くことになります。それができないと、夫婦はいつまでもひとつになれません。何かあったら、いつも親に頼るようでは、社会のひとつの単位とは言えなくなります。何かあったとき、そこでこそふたりで向き合って行くのです。大人になるということは、ある意味で退路を断つという厳しさも併せ持っているということを知らなければなりません。ふたりは、今までのような甘えや、依存心を持って両親に期待すべきではありません。ふたりは、両親から精神的に、情緒的にも離れるのです。そうしてこそ、精神的に自分の足で立った時にこそ、逆に今までの家としっかりと向き合うことができるようになるでしょう。婚約の期間に、ふたりはしっかりと大人になる訓練をして、こうして結婚に備えていただきたい。

「結ばれ、ふたりは一体となる」

これは、結び合う訓練です。もともと別個の人格が、結婚によって一体となる、と言われているのです。そのために必要なのは、ふたりが「なぜこの人と一緒になるのか」という十分な理解ができていることが大切なことになります。好きだから一緒になるというのは、すばらしいように見えますが、しかし、それではだめなのです。なぜなら、感情はいつも変化するからです。好きだからというのは、好きでなくなった時、あるいは、お互いに嫌なところが見えてきた時、結婚の理由がなくなってしまいます。
なぜこの人と結婚するのか、という問いに、主体的に意思をもって答えられないなら、結婚はできません。好きという感情では、式はできても、結婚はできません。なぜこの人なのか、この人をなぜ生涯の伴侶とするのか、繰り返し繰り返し、この婚約期間に、しっかり自分に問うてください。聖書では、なくてならないふたりとして、自分たちではない第三者、創造者によって結び合わされたのだと、示唆されています。参考にしていただきたい事です。

離れる訓練、結び合う訓練について考えてみました。最後に、婚約は「結婚ではない」ことを注意しておきたいと思います。
つい最近、教会の外壁のペンキ塗りを自分たちで、しました。私は、その日に教会に来たらすぐ、ペンキが塗れるものと思っていました。ところが、その考えは甘かった。まず、養生をしなければならない。窓枠や、その他、ペンキがついてはいけない場所、いたるところにテーピングします。そして植木には、シートをかぶせます。これで半日。その後、ペンキを定着させるシーラーという液体を塗ります。そして初めて、ペンキが塗れるという訳ですが、それは2日目でした。そういう下準備をしないと、形としては塗れたように見えても、まったく長続きしないそうです。準備が大事なのです。よい準備は、良い結果を残します。婚約期間の過ごし方も同じでしょう。
準備ができるというのは、大人のすることです。婚約者としてふさわしく、この期間を過ごしていただきたいと思います。
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by rev_ushioda | 2008-05-19 23:37 | Comments(0)

「最上のわざ」

つい最近、他教会のS夫人から、泉教会に達筆の書(額)をいただいた。書は、お友達のことを思って手紙風に書いたそうである。その書自体もすばらしいが、この詩の内容がまた、すばらしいので、ここに記録しておこう。

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。

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上智大学学長も務めたヘルマン・ホイヴェルス神父(1890-1977)が、ドイツに帰国後、南ドイツの友人から贈られた詩。
ヘルマン・ホイヴェルス(林幹雄 編)、『人生の秋に』、春秋社、1969年。
土居健郎、森田明 編、『ホイヴェルス神父 日本人への贈り物』、春秋社、1996年。

ホイヴェルス神父は、1890年ドイツに生まれ、1909年にイエズス会に入会、1920年司祭に叙階、1923年来日。1937年から1941年まで上智大学の第2大学長。1967年に44年ぶりに故郷ドイツ訪問。この詩はこの時のもの。
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by rev_ushioda | 2008-05-16 09:41 | Comments(1)

今年の夏の教会キャンプ(一泊修養会)の利用説明会に行って来た。今年は、「県立 三浦ふれあいの村」海岸に面した施設である。7月利用者対象の説明会に来るようにということで行ってみたら、何々小学校云々という団体からの代表者が150人くらい・・・、えっ、こんなに混んでるのと思って、私たちが使用する日の宿泊棟の予約を見たら、ほか1団体だけであった。その団体は、「横浜Joyバプテスト教会」、よく知っている、教会だった。きっと、良い出会いとなるだろう。楽しみだ。
しかし、グラウンドとか、海は、結構混むのだろう・・・ 県立の施設だから使用料が極端に安い。食費を除けば、ただ同様だ。多少混んだとしても、有難く使わせてもらうことにしよう。子どもたちは海で思いっきり遊び、大人たちは大人たちでよい話ができることを期待したい。去年は富士山だったが、今年はまったく違った環境で、楽しみだ。

希望者は、誰でも参加できます。お申し込みを待っています! 
7月20日(日)ー21日(月)
参加費 大人3500円


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(逆光で撮ったので暗くなったが、和田長浜海岸海水浴場)
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by rev_ushioda | 2008-05-15 18:08 | Comments(0)

今、カンバーランド長老教会の総会(GA、6月7-12日)を日本で開催するために、一生懸命の準備をしている。1810年に私たちの教会が誕生して以来、初めて、「総会」がアメリカ合衆国以外で開催される。画期的というのは、こういうことを言うのだろう。総会本体の実務責任は私たちにはないが、300人もの海外の人を迎えるために日本にある13教会はホスト役を務めるわけで、何から何まで初めての経験となり、ものすごく大変なことである。
何で日本で開催しなければならないのか、という意見も根強くあったらしい。多くの人が多くの渡航費を払わなければならない、その犠牲を考えると、もっともな意見だと思う。
しかし、アジアでこのような集まりがあることは、非常に意味があるのだ。ホームステイを引き受ける家庭と食事の話をした。アメリカ人は食べるものの選択肢が極端に少ない。初めてのものに手も出さない。それはそれでいいのだろうけれど、自分の食べたいものだけ食べ、嫌なものは手も出さないというのは、結構、食だけでなく、ものの見方全体にも及ぶ、何か大事なメッセージがありはしないか。政治の事だって、結構そういう傾向なのだ。教会の中にまで、その傾向が入り込む。星条旗が総会会場に置かれていたなんてことが、つい何年か前まで、あった。だから、総会のアジア(日本)開催が大事なのだ。日本に立ってみて、何が見えるか。動くことが、そして人と出会うことが、大事なのだ。
当然、私たちも同じことが言える。立つべきところに立って、何が見えるか。見なければならないものを見なければならないのだ。

総会(GA)周辺行事

7日(土) 総会の開会礼拝。会場は高座教会
8日(日) 海外からのお客様6人が、泉教会の礼拝に出席。
Rev. & Mrs. Ron McMillan 牧師夫妻、Harry Chapman牧師、Sandra Boaz長老(女性)、Sylva Hall長老(女性)、Molly Williams長老(女性)以上6名。
前日(7日)から5軒の家でホームステイ受け入れ。
9日(月)、10日(火) 女性対象の集会
11日(水) 東京観光
12日(木) 全員対象のセレブレーションデー
この木曜日の一日は、日本の仲間が海外の代議員とその家族、友人たちを迎える行事である。良い出会いと交わりが期待できる。夜には、閉会礼拝。

私たち夫婦は、この1週間、新百合ヶ丘のホテルに詰める。

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by rev_ushioda | 2008-05-15 08:20 | Comments(1)

「ペンテコステ」

泉教会のジンクス。特別な時は、人が少ない。
さて、今年のペンテコステは? 例年、この日に記念写真を撮ることにしているが、二人先に帰られてはいるが、やはりというべきか。ところで、この面々の中に、去年まではおられなかった方々が映っている。教会というところは面白い出会いの連続であり、物語を作り続ける場だと思う。
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今日の説教は「 ペンテコステ、不思議な業としるしの初め」 (使徒言行録10:41-47) 以下、要約。
今は教会となったこの家と出会ったとき、宗教法人として借りました。しかも不特定の人が出入りすると聞けば、たいてい断られるのです。ましてや、数週間後の会議の決定待ち。普通の家族が借りたいと言っていた、まさにその時、3日早く私と出会ったというだけで、大家さんは待ってくれた。この世の非常識は、神の常識。ここから、物語が始まったのです。
教会は、不思議な業としるしを行っていたというのです。それは何かというと、一つになってすべての物を共有にし、分け合っていた。毎日ひたすら心を一つにして祈り、家ごとに主を記念し、喜びと真心をもって一緒に食事をした。それによって「民衆全体から好意を寄せられた」恐れが生じたというのも、尊敬と好感が寄せられたということです。入りたいけど入れない、そんな感じでしょうか。私たちは、そんなことは何も不思議な業ではない、常識ではないかと思う。しかし、それはこの世からすれば非常識ではなかったか。
「恐れが生じた」、そこから新しい物語が生まれていったというのです。ペンテコステとして今日、私たちが祝うのは、爆発的な人数増加ではない。そうではなく、世界中から来た人たち(5、9-11節)が日々仲間に加わり、共同の業にいそしむこと、それを祝うのです。ペンテコステは、同じもの一色に塗りつぶされていく世界の常識から、あらゆる違いがありつつ、それを超えて共同の業に生きる神の常識に動き始めた瞬間でありました。
カンバーランド長老教会の総会(GA)が開催されるのは、まさに今年のペンテコステに際して、象徴的なことです。いつもこの世の常識に支配されそうになる時(それは私たちにとって決して無縁ではない!)しかし、私たちは神の霊に動かされて、あらゆる違いを超えていく者になる。「非常識」な者になるのです。それが、教会だからです。私たちはこの世の常識との狭間で、しばしば、よく分からないことに直面する。しかし、そここそ大事なところ。躊躇せず、世界中から来た人たちが共同の業にいそしむ「不思議な業としるし」を選び取りたい。
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by rev_ushioda | 2008-05-11 18:20 | Comments(0)

「答えは、多忙でした」

いただいたメール:
最近ブログが更新されないから、ちょっと心配してます。
風邪ですか、それともペンキにあたった?
それとも総会の準備で超多忙?

お返事:
メールを有難うございました…
ご心配をおかけしてしまいましたね、答えは、「多忙」でした σ(^_^) 1日は、風邪でした(今回は軽かったのでよかったです) まあ、GA前ということで、メールボックスはその関係のメールでパンク状態。要求されている仕事への対応に追われる日々です。あと1ヶ月ですから、忍の一字です。そうでした…ブログがあったんだ…と、今、正気に戻りました。(^O^)

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by rev_ushioda | 2008-05-10 10:45 | Comments(1)