今回、ついに信濃国に入ったことが最大のトピックだ。西から来て馬籠手前で、下の写真のように美濃、信濃国境を通過した。
…ところが、それは12年前までの事。12年前の市町村合併によって県境が北に移されたため、現在の岐阜、長野県境は、まだ先になってしまった。
しかし、ここは旧街道だ。それまでの長い歴史は、今、ここが美濃と信濃の国境だと物語っている。そこを通過、私たちはついに信濃国は馬籠宿に到着した。(到着したが、30分後にバスが出るということで、馬籠の観光は次回にお預けと相成った。)
それにしても島崎藤村は『夜明け前』で、「あの山の向こうが中津川だよ。美濃はよい国だねえ」と言った「よい国」に、「市町村合併」によって今は属することになったのだ。馬籠に至る街道に点在する集落の、長年の希望がかなえられた思いが伝わってくるような気がした。


f0086426_16535295.jpg


今回は、孫を連れて前回の終点、深萱立場までは駅からかなり離れているため、そこまではタクシーで行って、そこからの出発となった。まずは「十三峠」という山中の道を行き、大井、中津川、落合、馬籠に至る4つの宿場をめぐるのが今回のコース。山間の道、山中、水田地帯、再び山中の道に入り馬籠に至るという、変化に富んだコースだ。それにしても御嶽から馬籠を歩いてみると、それより西の道とは打って変わり、「旧中山道」イチニチジュウヤマミチである。
距離は、時間としては一日目が3時間、8.7キロ。二日目が5時間、9.8キロ。三日目が4時間、8.4キロであった。お天気は晴れ。気温は30数度だったと思う。さすがに日影のない道路は暑いが、今回の「武器」は、写真の菅笠(三度笠)。これが抜群の威力を発揮した。
2日目、時間ばかりかかって距離は伸びてないのは、孫が疲れていたこと、暑かったこと、昼食の時間が含まれたことなどの理由だ。3日目は孫は元気だったが、1日目と同じ距離なのに時間がかかってるのは、かなりのきつい上りだから、である。

ちなみに、後日談をここに挿入すると、帰宅した日から1週間、ずっと曇りや雨。腕の日焼けを見ながら、汗だくになり、三日間でペットボトルを10本も飲んだほどの道行きは夢だったのか、と思うほどの落差を経験した。

1日目
深萱立場から大井宿(現在の恵那)8.7キロ。まずタクシーで前回の終点に向かった。
深萱立場より西の大湫宿(前回通過)から、大井宿まで、この山中の道を「十三峠」と言う。しかし山中の道は、実はさらにずっと西の御嶽宿から続いていて、御嶽から大井宿は、31.2キロの山中の道で、途中は現在、旅館、ホテルはない。細久手でかろうじて江戸時代から続く宿が一軒だけあり、そこに泊まらないわけにはいかなかったわけである。この区間は幕府が命じて新設した道。世は移り、明治になって街道の用を終えたあとは、街道は世間の動きから取り残されたので、かえってそれが功を奏し、宿場、一里塚など、ほぼそのまま残されている。そういうわけで、30キロも、山中に道を開いてしまう幕府の権力を思いながら歩くことになった。
深萱立場からは、しかし山中ではありながら山間の畑の中を行くことが多く、比較的今までと比べて楽であった。早くも色付いた畑を舞うトンボの群れの中を進んだ。

途中、休憩した場所に、再び、ガイドブックを忘れて取りに戻ったというハプニングがあった。(今来たばかりの道なのに、一人、山中を歩くと、クマが出ないかとか、急に不安になった。たとえ孫であても、旅は道連れとはよく言ったものだと思う)

2日目
大井宿(恵那駅前)から中津川宿まで9.8キロ。
とにかく暑く、田舎道で木陰も少なく、菅笠が役立つ日だった。そのためか孫の体力がもたずに、中津川宿(中津川駅)でリタイア。
大井から中津川は、全般に農村部の田舎道といった感じで、中津川に入ると一面、田畑の田園地帯になった。山間部を抜けてきたので、久しぶりに見る田園である。途中には休憩をとる店もなく、中津川に入ってようやく1軒の食堂を見つけた時はほっとした。
途中、甚平坂というのがあって、ここは浅田次郎の『一路』を読んで、山の上から見下ろすと、坂の下からも大名行列がの上ってくるという、鉢合わせの場面である。小説と重ねながら歩くと、初めての道も何やら懐かしい気がするから不思議だ。中津川に入れば、そこから島崎藤村の『夜明け前』が彷彿とすることになる。

3日目
中津川宿から馬籠宿まで8.4キロ。
中津川を出てしばらくすると、とんでもない急坂に出会った。とにかくすごいので、「きのう、無理してこないでよかったね、正解だった」などと孫を持ち上げて話したのであった。坂の上に立場があり、そこの田園風景といい、さらに、そこからは下り坂になるのだが、遥か向かいの山々を見渡す景色が、また何とも気持ちよかった。
落合宿をあっという間に過ぎると、そこからは馬籠に至る、上り坂が始まる。落合の石畳は苔むして、なかなかの風情だった。と、そんな具合に、昨日、体力を温存した分、思いのほか軽快に上ることができた。木陰で道いっぱいに新聞紙を拡げて休んでいたら、郵便配達のバイクが来て、あわてて道をあけたら、あちらが「申し訳ありません」だって。
さて、馬籠宿が見えた。島崎藤村の『夜明け前』には、こう記されている。「美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山道をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿を見つける。」 私たちもついに馬籠宿を見つけた! ただし、この有名な宿場に入るのは、次回の楽しみに残すことになって、30分後のバスに飛び乗り、往路4時間「よじ登って」来た私たちは、30分で中津川駅前の人となった。

次回、馬籠宿内を楽しみながら、馬籠峠を抜け(ここが現在の県境)、次は妻籠宿。いよいよ「木曽路」に入る。楽しみだ。旧道を歩く旅は、水平の線と、歴史という垂直の線とが交わる現場だ。非日常体験に癒されるだけでなく、水平の線から入って行って、その現場の垂直の線、歴史の息遣いを体感できるのがいい。スポットでそこに行っても、感じられないものがある。伊達に菅笠かぶっているわけではないのデス。読者の皆さんもどうですか、挑戦しませんか?


f0086426_12285943.jpg

f0086426_21400761.jpg



[PR]
by rev_ushioda | 2017-08-31 12:34 | Comments(0)