2017年 07月 01日 ( 1 )

「礼拝を大事に」

「イエスは…いつものとおり安息日に会堂に入り…」(ルカ4:16)。

いつものとおり、いつもの場所で。このことは大事なことなのだ、と気づくのです。教会は、いつものとおり、いつもの場所、日曜日の礼拝を大事にします。

私たちの生活にはいろいろなことが起こります。外からの試練、内からの試練、襲って来る不安、恐れ、失意、落胆。そういうものによって、自分を情けなく思っているかも知れません。ひょっとしたら、憎しみ、怒りがあるかも知れません。湧き上がる欲望、傲慢、人への裁きに支配されるかも知れません。支配されていることさえ、気づかないかも知れません。イエス・キリストだって、誘惑を受けましたし、苦しみ悶えて祈りましたし、怒ることも、涙を涙されることもありました。そのような中で、いつもの通り、礼拝の場に立たれたのです。不安、恐れ、失意、落胆、憎しみ、怒り、湧き上がる欲望、傲慢などの克服の秘訣は、いつものとおり日曜日にはいつもの場所、礼拝堂に入ることなのです。淡々と、祈りの道に立つことこそが、すべての誘惑からの勝利の秘訣なのだ、ということです。

ティーリケという人の「主の祈り」という本を読んで、驚いてしまいました。この本は、戦争中、日曜日に礼拝堂で話された説教集なのですが、いたる所に次のような挿入文があるのです。「この説教はサイレンと空襲によって中断された」「この説教はこれを行う直前に教会堂が空襲のために廃虚となり、場所を移して行なった」…破局のただ中で、人の心はすさみ、希望をなくし、どんどん心を閉ざしてしまうのが当たり前です。しかし人々は集まり、祈りの生活を作り続けた。礼拝をまもることで、すさみ、閉じていく心を、逆に彼らは押し広げていったのです。この説教集は、原題が「世界を包む祈り」となっています。爆弾で礼拝堂が吹き飛ぶ中でさえ、いつものとおり、いつもの祈りができるとき、心の視野は、世界を包むほどに押し広げられる、と言うのです。

「いつものとおり」祈りの生活を作るとき、祈りは、私たちの貧しい心を、世界を包むほどに開くことが出来るのです。

礼拝への道がまもられますよう、祝福を祈ります。


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by rev_ushioda | 2017-07-01 17:46 | Comments(0)