「ノーベル賞受賞者の言葉」

ノーベル物理学賞に沸いている。高エネルギー加速器研究機構(最初から、何のことやら分からない・・・)名誉教授の小林さんと京都産業大名誉教授の益川さんの会見を見た。
受賞理由となった「小林・益川理論」について、益川さんは、「小林さんは、僕が作ったモデルをみんな壊してくれた。そのたびに“チクショー”と苦しみ、考え抜いた」ということだ。なるほどな。私たちは自分の論を壊さない。壊されるのを恐れて、非難したり、回避したりしている。人間関係、しかり。課題、しかり。神学、しかり。“チクショー”と言うかは別として、壊されて感情をゆがめることなく、かえって、しっかりと事柄に向き合うことだと思った。
また、「ノーベル賞受賞は、過去の成果。現在の教育や研究の結果が出るのは20年、30年後」と。即結果を期待している私たちの考え方を反省する。主イエスは、「弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、・・・思いだした」(ヨハネによる福音書12:16)、「わたしのしていることは、今あなたにはわかるまいが、後で、分かるようになる」(同13:7)を読むとき、最初から分かった、分かったと言っていることがいかに怪しいか、大したものでないか、ということである。
いずれにしても、私たちの「分かった」というものが壊されていくプロセスで、真実が見えてくるということを証しているような言葉であった。
もう一つ、益川さんについて心にとまった記事を紹介しておきたい。

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。

作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の1人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。

原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。

05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。

1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その1人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。

受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。
 (「反戦語る気骨の平和主義者」より)

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by rev_ushioda | 2008-10-11 00:21 | Comments(0)