「無防備の神」

洞爺湖サミットが終了しましたが、その厳戒態勢には異常さを感じました。そう言えば、以前、新聞に「城構え」と書かれたコラムがありました。大使館などでテロによる爆破事件が起きると、アメリカを初め、各国の大使館は、勢い厳重な警戒体勢をとるわけです。それがまるで「城」、城塞(とりで)のようだと言うのです。たとえば丘の上にあって、そこに行くための道路を少なくするとか、爆弾を積んだトラックが突っ込んできても大丈夫なように入り口をコンクリートブロックで固め、近くのビルの屋上からは対空ミサイルが空をにらんでいる。門扉は、ぶ厚い鉄板、テレビの監視もある。来訪者は靴の底や、シャツの襟の裏まで調べられる、という具合です。昨今のようにテロが頻発する状況下では、もっともっと厳重になっているに違いありません。
しかし、この「城構え」ということは、私たちの生活の中でも深刻な問題になっているのではないでしょうか。マンションの1階に、その階段を利用する人のためのポストが並んで置いてありますが、そのポストの一つや二つに鍵がかかっているのは、よく見かけます。しかし、あるマンションに行ったら、何と、そこのポストには全部、鍵がかけられていました。その階段を使う人たちの間で何かあったのだろうと想像できました。私は、何か、とても寂しい気持ちでその場を離れました。そして思ったのです。私たちは、こうして「城構え」をしているのだということを。私たちは心を閉ざす。防衛する。「城構え」をするのです。
そのような私たちのただ中に、神の子キリストは、産着の布切れ1枚で、つまり、まったく無防備のまま、飼い葉桶に横たわったのです。そう、クリスマスの出来事でした。この神の出来事の前で、私たちはいったい、何を守ろうとしているのでしょう。何を恐れているのでしょう。どういう武器を持とうとしているのでしょうか。神がご自分を投げ出されたならば、私たちの心の窮屈な「城構え」など、もう作らなくていいのです。この神の前でなら、私たちは、もっと自由になれるのではないでしょうか。
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by rev_ushioda | 2008-07-13 17:59 | Comments(0)