「見えていた富士山が」

腰痛騒動でうっかりしていたが、今まで「江戸」からずっと旧東海道を歩いて来て、富士山は常に正面右側だった。ちなみに、左側に見える場所は2個所だけで、「左富士」の名勝地と言われるほどだ。ところが前回は原から蒲原まで歩いて、気づいたら、富士山は後ろにあった。これから先は、富士山の名勝地という場所があっても、それは後ろである。
富士山を目標にして歩いていたら、それは、あっけなく後ろに移ってしまった。何だ、富士山はそれほど大きな山ではなかったんだ・・・ もう一つ。目標を失って、初めて、自分の知らない地域、国に入り込んだという感覚。
そこで、私の頭の中は動く。新しく生きるというのは、自分が知っているものを見つめて安心している世界から、いったん不安の中に落とされて、初めて、新しい世界に入ることができるのだということ。意外と、安心している目標などというものは簡単に通り過ぎてしまうようなものでしかない。それで安心しているようでは、新しい世界に入ることはできない。主イエスに従うということ、神の国もまた、然りと。

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by rev_ushioda | 2008-04-11 07:59 | Comments(0)