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「東海道14~15日目 原~蒲原」

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今回、原から蒲原までのウオークであったが(2日間で23キロ)、初日は雨、しかし幸運にも2日目は快晴であった。写真は1日目、原からの道も、鉄道も、まっすぐで、踏切から原方向を見ると、向こうの方が煙っている。

さて、富士の裾野を歩いて実感したのは、治水のこと。富士山の裾野は、どこも治水に苦労しているということ、それで多くの個人、共同体が、治水事業に取り組んでいるということだった。何と東海道 吉原宿は、度重なる水害で、2度も宿場の場所を北上させたということであった。淡々とした道であったが、私はこの道を歩きながら、次の話に大いに感動した。
度重なる水害から村民を救済するため、原宿の増田平四郎(1807~1892)は、大排水路を完成させたのは1869(明治2年)の春。平四郎は、代官所への工事許可を願い出ること12回、勘定奉行への訴え6度に及んで、ようやく慶応元年(1867)に着工の運びとなった。それは計画の発案から27年目。事業は身延山久遠寺から多額の資金援助を得るなど、沼から海岸まで全長505m、幅7mの大規模な掘割を建設した。ところが、、、、何と、、、、その年の8月の 高波で跡片もなく壊された。平四郎の大計画は頓挫したが、彼の願いと夢は、後の人々に、受け継がれている。参考
「岳南排水路組合」という標識を見つけたが、今も、治水には苦労しているのだろう。この増田平四郎の挫折、落胆ぶりは想像するに余りある。しかし、「彼の願いと夢は後の人 々に受け継がれている」という一文に、私たちのミッションはどうなのかと、問われた思いがした。

「東海道14~15日目 原~蒲原」_f0086426_21271639.jpgこの日は、4月でこの地を離れるY先生宅に泊まらせていただくことにしていた。東海道を歩いて、出迎えられたのは、戸塚以来、これで2度目。連れて行ってもらった近くのお好み焼き屋さんの味は、おいしかった!Y先生夫妻とは、深夜まで話し込んだ。

さて、今回の東海道ウオークは、腰の痛みがあったが、せっかくの休暇。無理して出かけた。結局、腰はますます痛くなったので、目標に届かず、蒲原止まり。歩きながら、こんなに駅が待ち遠しかったことはなかった。帰宅早々、病院に。尿管結石の疑い・・・ということで、明日、もう一度行くことになった。
歩くのも、いつもは妻が後ろをついてくるのだが、今回は足が動かない私の超ゆっくりペースにつきあってもらった。あげくは手を引いてもらい、妻の肩に手をかけさせてもらい、・・・という具合。今回は一過性のものだろう、多分。でも、いつか、こうして助けてもらう日がくるのかなあ・・・と、急に弱気になった。

実は今回、吉原で、「江戸」を経って以来、初めて道に迷ってぐるぐる歩き回ってしまった。私の腰の痛み、疲れも限界。ということで、5キロほどのところはバスに乗ってしまった。だからといって、歩き直して完璧に埋めるつもりはない。これこそ、私の東海道論なのである。(というわけで冒頭書いた23キロのうち、歩行距離は23-5=18キロであった)

  わたしは今日まで生きてみました
  時にはだれかの力をかりて
  時にはだれかにしがみついて
  わたしは今日まで生きてみました
  そして今 わたしは思っています
  明日からも
  こうして生きて行くだろうと
              (吉田拓郎)

富士川を渡ったときの動画。手に持っていた紙が、左下にピラピラと p(^^)  蒲原まで行った。その手前の川が富士川。

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Commented by nobu at 2008-04-03 14:08 x
腰のほう大事になさって下さい。たくろう僕も大好きで、高校生の頃ギターかき鳴らして大声で歌っていや、さけんで

うなっていました。隣近所の方さぞうるさかったと思います。

6日は訳あって礼拝まもれませんので駐車場の件よろしくお願いします。

スライドショーのコメント出来ました。あとは完成までの絵の写真で良いと思います。来週都合の良い日に持って行きます。

毅一
by rev_ushioda | 2008-04-01 21:40 | Comments(1)

横浜で牧会する牧師のブログです。


by rev_ushioda