「東海道11日目 箱根湯元(三枚橋)~芦ノ湖(元箱根)」
2008年 01月 02日
9時30分、湯元から出発。歩き始めて、すぐに思った。この2ヶ月間、ずっとうっとおしい気分であったから、健康に不安を感じないというのは、本当にすばらしいことだと。
コート、襟巻き、毛糸の帽子、軍手、マスクと万全の備えで歩き始めたが (写真を見ると、何とも怪しげな格好である・疲れているなあ・途中で木の枝を見つけて杖にしたが、皆が使いまわしている感じの木だった)、しばらくすると体中がぽかぽかと暑くなってきた。
他の人のブログを見たら、次のように書いてあった。「繰り返し登る階段と石畳に中々足が上がらない。休む回数も多くなり。苦しみながらも見晴し茶屋や、甘酒橋を越えたのに、甘酒茶屋まで最後の 歩道橋の階段を上がりきった後、下り道で足がツッテしまった。こんなことは初めてだ。今まで東海道を歩いた自信が吹き飛んだ。そのままの姿勢で動けなくなり、…」。この人の写真を拝借しておく。
畑宿の手前辺りからは、この写真ような石畳の連続、これがまた歩きにくい。大名行列は、ここをどのように通ったのだろうかと、好奇心が湧いてくる。と、苔むした石に乗ってしまった、思わずツルッ、スッテーン! 他の人のブログに書いてあった。「なんじゃこりゃー!!!本当にここを駕篭かきもあがったんかい!?中の殿様はどんな状態だったんだ!?…とにかく足元の不安から身の危険を感じます」。畑宿を過ぎたあたりの橿木(かしのき)坂について、「東海道名所日記」には、険しきこと、道中一番の難所なり、おとこ 、かくぞよみける。橿の木の/さかを/こゆれば/くるしくて/どんぐり程の/涙こぼる」とある。
駅伝があるからだろう、横を走る車道は、裏道だというのに、いやに車の数が多い。箱根駅伝がナマで観れるかも知れない、考えながら歩く(坂道を登る)。いよいよ湖が近づいたあたりで、どーん、どーんと花火の音。駅伝の1位がゴールしたらしい。上空は数機のヘリコプター。遠くで声援の歓声が聞こえてきた、急ごう。しかし、ずっと続く石畳の上は、危なくて急ぐもできない。それでも最後の数人の走者を観ることができた。初めてのナマ駅伝だった。ささやかな感動であった。が、すぐ救急車が混雑する車列を縫って通り抜けて行った。今回の駅伝でのリタイアは、史上稀な3校。あのような道を歩いてきたあとでは、あの坂道を駆け上がったら倒れるのも無理はないと納得。
石畳の、急な登り坂が続くところで、すべって転んだのが1回。6組の人たちには追い抜かれた。しかし、もとよりそれは私の「東海道論」そのままである。これでよい。こうして、ついに日本橋から25里、100キロ到達。年初めにあたり、ここからスタートである。