「東海道を歩く思い」

東海道を歩いて京都まで行くんだと言ってきた1年だった。まだ行ったこともない、はるか彼方を地図で見て、少しずつ歩いて、今は箱根湯元。東京からここまで、よく歩いたものだと思う。電車に乗っていると、とても歩けないだろうと思ってしまう距離も、時間さえあれば歩けるのだ!
さて、しかし11月に風邪をひき、例年、冬場はおなかの調子も良くない。この分だと、このまま2月頃までずっと風邪を引きずっていくはず?なので、年内に箱根越えは絶望的になった。
現実は、こんなものだ。さあやろうと思っても、足元でずっこける。風邪だとか、しなければならないことが山積。夫婦二人の調子が合わなければ、そこでまた延期。しかし、私はずっと京都を見つめ続けている。生きているうちには行けるだろう。それでいい。先を見ていると、毎日の景色は、心なしか華やかだ。違った景色に見えてくる。
先を見て生きるというのは、私の牧師としての仕事に重なってくる。水平線に向かって投げる石が、しかしそんなところまで届くはずがなくそのあたりにポチャンと落ちる。それでも水平線に向かって石を投げ続ける。牧師は永遠に向かうカタパルト(石投げ)だ。そのように神の国の希望を語る。すると、いつしか隣の人も、その方向に向かって、石を投げ始める。一人が、どこを見ているかが大事なのだ。東海道は、それと重なる。私は、京都に向かって歩いている。神の国に向かって、顔を上げている。永遠に向かうカタパルトでありたい。
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by rev_ushioda | 2007-12-05 23:13 | Comments(0)