「風の舞台に想う」
2007年 10月 29日
「風の舞台」で私が想いめぐらすのは、聖書で「風」は「聖霊」と同じプニューマという単語だということ。聖霊、神の霊が働く「舞台」、すなわち人生があって、それは、根がしっかりと張っている、岩の上に建てた家(マタイ7:24)なのだ。そんなことを思った。
舞台と言えば、もう一つ。ちょっと、世の中のことを話すと、「今がその時だ」と言って、人は、時を設定し、舞台を作ろうとしている。たとえば、今、日本で問題になっているのは、自衛隊がどこまで出て行っていいか。インド洋での自衛隊の給油活動。憲法に絡んでいる問題である。政府は、これを継続させたい、と言っている。それで「新テロ対策特別措置法案」を出した。それで、自衛隊を海外に出す舞台を作ろうというわけである。前にはお金だけ出して、姿が見えなかった。今度は見える国際貢献をしよう、というわけだ。これが、なぜ議論になるか。憲法9条があるからだ。日本は軍事力を持たない。戦争をしない。なのに、多くの反対を押し切って自衛隊をインド洋に送った。これからも、送っていいのか、という議論。政府は、見える国際貢献だ、「今がその時だ」と言っている。そして、憲法を変える手続きを始めた(国民投票法案可決)。9条を変えたいのである。しかし、ここで国際貢献とは、よく見ればアメリカ貢献なのは明白。それが、舞台の意味だし、今が「その時」だと言うなら、それが、「時」の意味なのである。
そういう動きの中で(アメリカに貢献しようという時代の動きの中で)、私たちは、では何を見ているのかということである。「人の心には多くの計らいがある。(しかし)主の御旨のみが実現する」(箴言19:21) だから私たちは、アメリカが働く「時」ではなく、神が働かれる「時」をしっかりと見て、その「舞台」、神が働かれる舞台を作るのではなかったか。国際貢献と言えば聞こえがいい。しかし軍事力によって、アメリカ中心の世界を作ろうという、アメリカに貢献するのではない、本当に良く見て、岩の上に根を張った「舞台」、風、聖霊が働かれる「舞台」を、私たちは作らなければならないのである。
まず、自分の人生が、周りに動かされない、ただ神の「時」に生きる、そのような舞台になっているかどうかが大事なのだ。