「カウンセリング」

頼まれたら断れないので、下手なカウンセリングを引き受ける。そうこうするうち、このところ、同時に進行してきたカウンセリングが3件、「終了」した。課題を越えることができたのだ。いつも、こうして終了のときを迎えると、うれしい。
何か気の効いたアドバイスをしたわけではない。ただ、寄り添って、その人の立場になって話を聞いただけである。詮索しない。解釈しない。非難しない。誘導しない。こうして、聴く以外、何もしない結果、人は、その対話の中で自分を見つめ、自分に気づき、こじれた心から自分で出ていくことができるのだ。ふ・し・ぎ・だ・な・あ・・・と自分でも驚く。
カウンセリングをすることは、外には言っていない。私は牧師だから、牧師としての対応しかできない。頼まれればカウンセリングとしての関係を結ぶが、たとえそこで聖書を読まないでも、私は牧師として向き合う。そして、人は、立ち上がっていく。
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by rev_ushioda | 2007-09-15 00:24 | Comments(0)