「宗教」

昨年、泉区役所でボランティア団体の紹介という企画があり、心を聴く市民ネットワークも、ひとつのコーナーをもらった。
訪れる人の中に、こう質問する人がいた。
「心を聴く・・・これって、宗教かい?」
担当者が答える声が聞こえた。
「違いますよ」。
へえ・・・どうして「心を聴く」で、宗教なんて思うのだろう。そばで聞いてていて、私は不思議に思った。今でも、なぜその人がそう思ったか聞いてみたいと思っている。

さて、私たちの活動が、宗教ではないというのは当たっている。当たっていると思いながらも、この会話がずっと頭から離れないのは、なぜか。人間や、心に関わることが、宗教と切り離せるだろうか、という思いがあるからだ。

私は、心を聴く市民ネットワークの中で、教会の誘いはしない。そこは、しっかりと区別している。しかし、だからといって、人の心に関わることに宗教はない、と言ったなら、それは断然、間違いだと思っている。なぜ生きるのかという問いが、人間にあり続ける限り、生きること自体、確かに宗教的なことなのだ。

心を聴く市民ネットワークに牧師が関わっていることに、私は、相当な意味を感じている。
私は、結婚式も、幼児の祝福も、また重篤の人の見舞いから、葬式も司式する牧師である。また、あらゆる人の平和のために祈る。私のすべての言葉や態度は、宗教的なものなのだ。私は、病の中でも、あらゆる不条理の中でも、人はなぜ生きるのか、生きることができるのかというテーマを持っている。このテーマの中でこそ、受容とか、共感とかいう姿勢が意味を持ってくるのだと信じている。
NPO法人 心を聴く市民ネットワークは、宗教ではない。しかし、そこでしてきた、しているあらゆる会話が人間の生きる意味を問う宗教的なものなのだ。

こんなことを改めて言うまでもないが。
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by rev_ushioda | 2007-04-15 17:33 | Comments(0)