「自分だけの感動」

以前、私は国境に立つ、ということを書いた。私の家の前の道は、相模と武蔵の国を分ける国境線なのだ。それを知った時、それに気づいたとき、感動し、そして自分自身の牧師としてのアイデンティに目覚めたのだった。
ところでこの話には、話の続きがある。今までその話を何度もしてきたが、関心を持つ人は少ないのだ。そうか、感動というのは自分だけのものなのかと思った。人には分からない、しかし自分を動かす感動がある。人にわからなくてもいい。自分が動かされていればいい。
その感動は、実は、自分もあるとき突然気がついたのだった。国境の話は、たぶん何度も聞いてきたが、あるとき、急に気づいたのだ。今までは気づかなかったのに、ある時に気づいたのだ。そして、気づきは意味を引き出した。
そのように、心が動くときがある。無理やり動かそうとしても動くものではない。しかし、パッと視界が広がる時がある。それでいい。気づいたら、その気づきに伴って、もう誰にも動かされない自分がいるのだ。
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by rev_ushioda | 2016-12-08 19:52 | Comments(0)