「淡々と」

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
難しい話は分からないと言う。しかし、礼拝が大事なことだけは分かっている。周りがどんなに騒ごうとも、「この道に生きることは自分で決めたのだから、決めた事はやめてはならないでしょう」と言う。日曜日が来れば、「今日は日曜日、さあ礼拝に行きましょう」と、礼拝への道に立つ。大事なことは大事なんだと、文字通り理屈抜きで、問題があろうとなかろうと、今も、これからも、キリスト者を生きていく。

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
教会の暦がアドベントになれば、礼拝堂の4本のローソクに1本、1本、火がともるのを見つめてクリスマスを待ち、受難節になれば1円、5円、10円の節約献金をして主の受難をしのびつつイースターを待ち、ペンテコステには、礼拝堂に子どもたちがまくバラの花を見て、聖霊が私にもくだったと言って喜ぶ。

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
今日は雨/雪だから礼拝に行く人がきっと少ないだろう、寂しい人がいるといけないからと言って、いつもより少し早く家を出て、礼拝への祈りの道を作る。風邪でお休みされた方のためにお手紙書きましょうと、牧師に住所を尋ねる。初めて礼拝に来られた方のそばに歩み寄り、よくいらっしゃいましたと多くを語らずに控えめなひと声をかける。

素直な信仰を、淡々と生きている人がいる。
誰にも気づかれないところで、今日も良い日だと言って、次の礼拝に向けて祈りの道を作っている。

その人を、この世の悪、この世の艱難であっても、押しつぶすことは出来ない。その人は、すでに世に勝っているからだ。

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by rev_ushioda | 2016-11-27 22:37 | Comments(0)