「映画 小さき声のカノンを観て」

映画「小さき声のカノン」を観た。
監督は言っている。
「2011年3.11以後の世界を生きている私たちはかつてない放射能汚染を受けることとなりました。時の経過と共に大きな声に流される人々が多数を占めていく中でこのような母親たちの小さな声がかき消されていこうとしています。今、子どもたちを守ろうとする母親たちの声に耳を傾けていただきたい、とこの映画をつくることにしました。」

映画の中で女性が言っていた。「(親戚を頼って)逃げることはできるのです。でも、逃げることができないのです。」生活の場とは、そういうものだ。生活の場に生きようとする人の言葉が胸に突き刺さる。
また、そこで生きることを決断した人たちは、自分で除染をおこなわなければ、子どもたちの将来を守れないという、国の無能、無策。放射能の安全基準を引き上げて安全だと言うが、その数字は3.11以前は放射線管理区域内レベルとされてきたものだ。また、安全も確保できないのに、学校教育をスタートさせる。避難先の人たちは少数派になりたくないから、安全ではないと知りながら帰郷せざるを得ない。人々にこうした行動をとらせる国の欺瞞に、いまさらながら、腹が立つ。
今回、放射線に特に弱い子どもたちを、「保養させる」という、息の長い活動のあることを知った。志を持って助ける手を差し伸べる民間の力を知って、救われる思いがした。5年がたち、今、何ができるだろうか考えさせられる良い映画(ドキュメンタリー)だった。



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by rev_ushioda | 2016-03-08 19:00 | Comments(0)