「関東学院大学と私」
2016年 02月 02日
そういう中で、私を誘う友があり、出会った仲間数人と共に祈り会(聖書研究会)を始めることになりました。校章のオリーブにちなんで自分たちの活動を「かんらん聖書研究会」と名付けました。こうして学生運動で殺伐としたキャンパスの中庭で、数人の小さな祈りの集会が始まりました。時には、当時はまだあった木造校舎の教室を借りたこともありました。また、当時の神学部チャペルで伝道集会を開催したこともあります。チラシを配っていたら、どこかのセクトと間違われました。小さな集まりに終始しましたが、短大のYWCAとも交わりが生まれ、卒業時にYWCAの友が佐渡に帰郷する際、一緒に行って佐渡伝道を試みたことは、今は遠い記憶です。結局、「かんらん聖書研究会」には後継者を残すことが出来なかったと悔やんでいましたが、どういう次第か分かりませんが、何と、この活動はその後45年間、現在も続いており、現在は大学宗教センターに所属しているサークル活動となっているのです。
最近分かったのは、その同じ年、実は教職員の中にも、学校の実情を憂えて、教職員の聖書研究会が発足していたのです。そして、学院長の坂田祐(たすく)先生が亡くなったのも、その年だったということを、今回、宗教センターで伺いました。一つの祈りが二つの活動に引き継がれたのだと語る言葉は、喜びに溢れています。はからずも初代院長の祈りが、それぞれに何の脈絡はないものの、こうして今も二つの小さな枝に受け継がれて今日に至っていることは、不思議と言うほかありません。
私は1年次に洗礼を受けキリスト者になり、大学を卒業して2年後に神学校に進み、牧師になって今日に至っていますが、思えば関東学院大学では学生運動の嵐の中、友を得て、まだ誰にも認知されていない聖書の学び会を共にしたことは大学時代の熱い思い出です。
(1973年3月 工学部機械工学科卒業)
わぁ、先生の在学時にあのお名前がついたのですか!!
後輩として、見知っている方が付けられた名前だと知ると何だか本当に嬉しいです。
ある意味、先生と私とはいろいろご縁がある気がします。父が先生のかつての同級生に某クリニックでお世話になっていたりとか(笑)
ところで上の文章は、大学時代のことを書いてほしいと頼まれて書いたものです。今思い出すと、懐かしいことばかりです。