「97歳の母のこと」

先週の水曜日、救急車を呼んだ。医師から言われたのは、過呼吸。原因は不安ということで、安定剤投与の結果、1時間で落ち着きを取り戻し、深夜1時に帰宅。
その時、医師が言われた。「これも認知です。」 「自分でできると思っていることが、体のほうではできなくなっている。そのできるということと、できないことのギャップが不安を引き起こし、過呼吸になった。」
ナルホド、自分でできる、やりたいという思いは人一倍強い母である。今年前半は、庭の草むしりなど、こなしていた。6月には、立ったまま草が刈れる鋏を通販で買った。一度はその鋏で庭の草刈りをしたのである。もうできないのだから無理をすることはないと言っていたのだが、その後、外に出ることができなくなった。家の中でも杖をついてでないと歩けなくなった。最近では、杖もだめで、シルバー用ショッピングカートという、両手をそこにゆだねられる手押しカートで、ゆっくり移動している。トイレ、お風呂も介助が必要になった。それが当たり前と言えば当たり前なのに、できる、したいという意識がある。そういうギャップが不安となり、過呼吸になったというのだ。
年齢相応に自分の手から放していくものがある。しかし、人にゆだねることができないことも認知の状態ですよ、過呼吸になるのですよと聞き、何か信仰に通じる話だと思った。握りしめていたものを、徐々に開放していく。そして、できなくなったことをうらめしく思わず、自分でやろうとせず、人に指示もせず、すべて主にゆだねていく。それが成熟した信仰者だ。
その時が来ているのに、あれをやりたいとか、あなたはこうすべきだと指示、判断するとか、何とかしようとせず、そこで過呼吸を起こさず(苛立たず)、むしろ、自分自身の次の段階の方にこそ目を向ける作業が、私たちには必要になるのだ。
「あなたたちの息子、娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒言行録2章17節)
夢は、若者の特権ではなく、老人の特権である。言ってみれば、天の国を夢見て「はしゃぎまわる」。夢見る高齢者、これが聖霊の働きなのである。そして預言、福音宣教は、次の世代によって力強くなされ、教会を通して神の支配する領域(天の国)が拡大して行く。預言は次の世代に委ね、老人には老人の、夢を語る特権と使命があるのだ。私も含め、70代、80代あたりからこの特権と使命にシフトし、信仰において過呼吸になりませんようにと祈りつつ。

母の体力の落ち方は、この数か月で大きい。この1週間で、さらに顕著になった。先日も、そして今日も、教会の仲間たちが来てくれた。とてもうれしいと、言っていた。

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by rev_ushioda | 2015-09-08 20:21 | Comments(0)