「礼拝で十戒を使う理由」

私たちの教会で、『十戒』を礼拝で使うことにしました。日本中会が出版した『神の民の礼拝』によると以下の解説が書かれていますが、これは『キリスト教礼拝・礼拝学事典』(日本キリスト教団出版局)の理解と同じです。

「宗教改革者カルヴァンは赦しの確証に続けて十戒を朗唱し、それは改革派礼拝の特徴の一つとなりました。福音によって新しくされた人間は律法によって生活の指針が与えられる、という理解を反映しています。」

大事な言葉は、「福音によって新しくされた人間は…生活の指針」というところです。聖書によると、神はエジプトの奴隷から解放した民に、言われました。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」(出エジプト記20章2節)そしてこの一方的な驚くべき恵みに応答するように、新しくされた民の新しい生活のために『十戒』に生きて行きなさい、と言われたのです。
これは今、私たちに重なります。私たちは主イエス・キリストの福音によって罪の奴隷から一方的に解放され、新しくされたのです。私たちは、全く自由に生きることが出来ます。
しかしそこで、どう生きたらいいのか。奴隷の時には必要でなかった新しい指針が必要になるのです。パウロは言いました。「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)自由にされた新しい人間の、新しい生活の「指針」が必要なのです。

私たちの世界は、価値観において、激しく動いています。10年前に言われていたことは、もう、古くなっています。その価値観も、10年先には古くなるのです。キリスト者がそういう価値観で神を理解し、またこの世の価値観で多様化する人間関係、特に性的少数者の問題、また政治的には戦争法案などを判断していて良いのでしょうか。しかも聖書に照らして自分の考え方を作り上げるのではなく、周りの状況、人の考え方や言葉で動いているとしたら、もはや、キリスト者の放棄です。私たちは、少なくとも神の言葉に何が言われているか知った上で、現実の状況に対して判断しなければなりません。
だから、「福音によって新しくされた人間は…生活の指針」に立ち戻っていくのです。私たちは、礼拝の中で、赦しの確証に続けて「新しくされた人間」として、子どもたちと共に、十戒を朗唱することにします。

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by rev_ushioda | 2015-06-25 21:37 | Comments(0)