「私は、国境に立つ」

横浜市には、かつて(明治26年までの1000年間)武蔵国と相模国の2つの国の国境線が通っていた。私の家がある瀬谷区は、相模国であった。道を隔てた東側(旭区)は、武蔵の国であった。少し北から下ってみると、マリアンナ医科大学病院の前の道から三ツ境駅を通って、私の家の前を通って隼高校横に抜ける道が、まさに国境であった。私の家の前に1000年間、国境線が通っていたのだ!

『わが街探訪再発見 武相国境』というサイトには、こう書かれていた。
「国境は、国や村の境であると同時に、水を分ける境でもありました。大部分の生活が農業によって支えられていたこの時代、水は人々にとって「命」と同じくらい大切なものでした。当時はその川がどこの海に流れ込むかで、どこの水かが決まっていたので、東京湾へ注ぐ日野川・笹下川・大岡川などの流域が武蔵国、相模湾へ注ぐ芹谷川・馬洗川・平戸永谷川などの流域が相模国と、分水嶺が「武相国境」となったのです。」

なるほど、近所(旭区)に帷子川の水源があるが、横浜方面(東京湾)に流れ、一方、瀬谷区側には阿久和川や和泉川が流れているが、いくつかの川に合流しながら、こちらは境川(武蔵と相模の境、という意味)となって相模湾に流れ込む。私の家は、その中間、まさに分水嶺にあるのだった。そうだったのか。確かに私の家は丹沢や富士山を見渡せる尾根道にあるのは知っていたが、少し大きな地図を見ると、ここは、北は多摩のほうにまで至る「多摩丘陵」だとあった。私は国境に立つ。64年にして、自分の立つ場所を知った、目から鱗の新しい発見である。

そして、話はそれで終わらない。私は牧師として、「神の国は近づいた」と伝える者である。神の国の支配があなたにあるのだ、と伝える。私の前にいる人に、神の国の国境線を拡げる者なのだ。私は、国境の人なのだ。


下は、明治14年の古地図。よく見ると、国境の両脇に谷が迫るが、国境を越えてはいない。分水嶺に国境線が引かれたのがわかる。
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この写真は、家の2階から見た西側の景色。大山まで遮るものがない。分水嶺から見る相模の国である。
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次の写真は、その反対側、相模の国側から東をみたところ。分水嶺(国境の稜線)が壁のように立ちはだかり、そこに住宅が建っているのがよくわかる。
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以下のサイトがわかりやすい。私の家は、瀬谷区と旭区の境である。
http://www.geocities.jp/kk810558/busou1.htm

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by rev_ushioda | 2015-01-16 12:06 | Comments(0)