「選挙も信仰の行為」

きょうは、衆議院議員選挙の日です。一人一人が、祈りつつ、判断と選択をしていきたいと思います。
私たちは、信仰告白で次のように言い表しています。「人々は、与えられている機会を用いてこの世の政治に参加し、特に、選挙権を行使する義務がある。」(『カンバーランド長老教会信仰告白』6:28)
政治の目的は「被造物が正義と秩序の原理のもとに生きることができるようにする」(同6:27)ことですが、そのことを為す為政者を選ぶ義務を、私たちは大事にしなければならない、と考えているのです。神は、キリスト者ではない者をも用いて、この世の秩序を維持して(治められて)いるのです。世俗のことだと言って、この世のことに無関心になることは、神の意図を受け止めない、大きな間違いです。棄権することは、信仰のありかたではないので、そういうことのないようにしたいと思います。

それにしても、倦怠感がただよう時代に威勢のいいことを言う個性的な人が現れると、人はいきおい、そこに惹かれていくわけです。また、自分の家の前の道路が良くなれば、という発想で為政者を選ぶ人がいます。選ばれる側も、自分の願いを実現するために憲法の改正を「謀る」ようなことをする。
どうか私たちは短絡的、また、貧しい発想で、国政選挙にかかわることがありませんように。私たちが選挙に際してとりわけ大事にしたい、そして見極めたい基準は、信教の自由、平和、生存権です。共に聖書がこの世との関係で大事に語っていて、信仰に関わる事柄です。
第一に、「信教の自由」の原則を守ることに注意深く対応できる人かどうか、ということです。たとえば、個人の感じ方にまで入り込む余地を残す「国旗国歌法」「秘密法」等々を作る人は、受け入れがたいものです。
第二は、平和を実現する人かどうかです。憲法で言えば、9条を、自分がしようとすることの歯止めと考えているか、です。これに照らせば、集団的自衛権などはあり得ないことです。
第三は、生存権を守る人かどうか。これから言えば、原発推進は、あり得ないことです。
以上三点は、国政選挙で為政者を選ぶバロメータになります。信仰告白が言っている「正義と秩序の原理」を追い求めてやまない人を、きょう、私たちは選びたいのです。

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by rev_ushioda | 2014-12-16 22:06 | Comments(0)