「教会の形」

「アンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」(使徒言行録11章26節)

キリスト者(クリスチャン)とは、アンティオキアという町で初めて使われるようになった呼び方です。アンティオキアは、迫害で逃れた町でした。行きたくて行った先ではありません。状況の変化、と言えば恰好がつくのですが、迫害で逃れた先で、「呼ばれるようになった」。教会の計画ではなく、教会の外から、そのような「あだ名」で呼ばれるようになったのです。
「キリスト者(クリスチャン)」とは、「キリストに属するもの」という意味です。これだけを聞くと、非常に信仰的な言葉のように思われますが、これは「自民党」とか「民主党」という「何々党」という言葉とそれほど変わりません。さらに言えば、これは侮辱的な呼び方のようで、「キリスト馬鹿」と訳すのが一番良いかもしれません。状況の変化の中で、自分たちの計画が崩れる中で、しかし彼らは新しい生活の中でも、キリスト、キリストと言った。教会を作った。「キリスト馬鹿」と呼ばれる生活を作ったのです。

あさひ伝道所が展開している「フレンドシップあさひ」は、通所介護事業(デイサービス)と介護支援事業(ケアマネージメント)を展開していますが、この度、デイサービスの拡張として「機能訓練型デイサービス」を始めました。フィットネスクラブにあるようなマシンを何台も設置して、介護保険の適用を受けて運用する事業です。その開所式で、鈴木牧師は言われました。「皆さん、とても忙しい。この開所式がなければ、皆さんはもっと仕事も出来たでしょう。仕事をこなして、成功をおさめるでしょう。しかし、そこで疑問が残る。何のため?という疑問です。」この、「何のため」のところで私たちは神に仕えるのだ、と話を切り出されたのです。ここにも、この世の中の価値観に支配されない「キリスト馬鹿」がいる。この6年間で、教会が作った「フレンドシップあさひ」は、旭区において信頼される事業所となっています。
私たち一人ひとりは、「何のため?」「神とキリストのためだ」と、日々の歩みを作る者になりたい。
そして教会も、キリストのために、今日的な状況の中で様々な形をとるべきことを学ばなければならないのです。泉教会が「NPO法人 心を聴く市民ネットワーク」と併存していることもその一つです。ひょっとしたら、もっと斬新な教会の形が、今、泉教会に求められているのかも知れません。「キリスト馬鹿」であり続けるために。

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by rev_ushioda | 2014-10-24 21:55 | Comments(0)