「名目上のキリスト者」

少しショッキングな言葉ですが、この標題は、ある冊子の題名です(ローザンヌ宣教シリーズ№23)。そこに、「名目上のキリスト者」について、入船尊氏はこう書いています。
「洗礼を受けてキリスト者とはなったけれども、その後、それにふさわしい信仰の成長をすることが出来ず、信仰の本質を見失い、あるいは教会から離れている人たちのことである。」
なぜ、そのような人が出て来るのか。入船氏は、理由の第一に、キリスト者が旧約聖書を読まないからだ、と言っています。
旧約聖書には、創造者にして歴史の支配者なる神、歴史を通し生活を通して働かれる神が、生き生きと描き出されています。イスラエルの民は、信仰の危機に遭う時はいつも、その歴史、神が働かれた歴史を振り返ったのです。
しかし、キリスト者は旧約聖書を読まず、創造者にして歴史を支配なさる神を知らない。自分の生活にこそ生きた神の支配が行われている事を知らない。だから、その証が出来ない。いつまでも「入信」の証から出ず、証が「きのう―今日―明日」とつながらない。キリストによって明らかにされた神を、ただ情緒的、精神的にしか受け止めず、歴史、人生、日々の生活の中で見ようとしない。これでは、ついに名目上のキリスト者になる日は近いだろうと、その冊子は述べています。

さて、これを読んで、皆さんはどのように思うでしょうか。

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by rev_ushioda | 2014-10-19 07:22 | Comments(0)