「残念! しかし、賞を得るように」

残念!

「戦争しない憲法9条を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください。」このメッセージに私たちも応え、署名に加わりましたが、今回は惜しくも受賞を逃しました。本当に残念でした。仕切り直しです。
しかし、この運動は、平和賞にノミネートされた後も勢いは衰えず、国内外から41万人もの著名が集まったそうです。座間市に住む一人のキリスト者が始めた小さな祈りの道造りが、大きなうねりになりました。ニュースでも再三にわたって受賞の有力候補であると紹介され、首相すら、このことを話題にするほどになっていました。
発表の前日(9日)の朝日新聞には、39面ではありましたが、「9条にノーベル賞なるかー平和賞予測トップに/市民団体、慌てて受賞準備」と大きな活字が躍っていました。

憲法9条は、信仰の言葉を現代というこの世に向かって「翻訳」した言葉だと思います。すなわち、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

そうは言っても、実際は、時々の政権による勝手な解釈によって9条は骨抜きにされ、今では自衛隊は立派な武力を保持する軍隊ではないかとあきらめ、平和な社会なんて、それは政治の話だと思った人もいます。そのは、国会の議論を指をくわえて見守るしかなかったのです。しかし、それは私の家庭の問題、子どもの将来の問題、信仰の問題だと受け止めた一人の主婦は、私たちの中にあった憲法9条に目を向け、それを手にしました。モーセが日常手にしていた杖を手にして出エジプトの偉大な物語の端緒を切り開いたように、また、ダビデが川から小石を拾い上げ、巨人ゴリアテに立ち向かったように、です。そこに、憲法9条にノーベル賞を、という思いがけない発想の転換が起こりました。その結果、1年余りで41万人の書名を集めたのです。
祈りは、当然、信仰を産み出すことに向かいますが、しかしまた、祈りは産み出された信仰者が現実に生きる社会にも向かう、という面も持っているのです。この両面に目を向けた祈りの道を、私たちは歩んでいくのです。
「あなたがたも賞を得るように走りなさい。」(コリントの信徒への手紙一 9章24節)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-10-10 21:31 | Comments(0)