「信頼できる人」

教会で、信頼できる人とはどういう人のことを言うのかというと、それは祈る人です。祈って、自分と自分の計画を神に預ける人です。そして御言葉を聞く人。つまり、聖書を読む人、礼拝をまもる人。その人が、教会で信頼できる人なのです。
教会にはいろいろな人が来られるのですが、どんなに知名度があり、人徳があり、知恵があり、経済力があり、発言力があったとしても、祈らない人、御言葉を聞かない人の意見や考えは、絶対に通りません。通してはならないのです。3か月以上礼拝に出席しないなら「不活動」になる、つまり被選挙権がなくなるという筋の通し方をするのです。どんなに立派な意見を言われても、祈らないなら、それは世の中と何も変わらない団体になってしまいます。
しかし逆に、徳などない、知恵もない、経済力もない、話す力もなく、たどたどしい話しかできない人であっても、祈る人の言葉を教会は聞こうとします。そこが、世の中と違うところだからです。
私が以前いた教会に、役員をつとめた女性がいらっしゃいました。この方が亡くなってからご主人が話してくれたことによると、実はこの方は小学校3年までしか出ていませんでした。字が読めない。教会に行っても、聖書が読めない。それで聖書を読むためにと、ずいぶん努力して勉強を始めたのだそうです。しかし教会の役員になったときは、さすがにご主人、叱りつけたというのです。「字も読めないお前に何ができるか(断りなさい)」と。
その通りです。字が読めないなら役に立たない。これが世の中の常識かも知れません。しかし、教会の常識ではありませんでした。教会のかしら、主イエス・キリストは、まったく違う価値を計られます。彼女は、こうして教会で見事に用いられたのです。何よりも、字が書けないことを一番よく知っているのは彼女自身でした。にもかかわらず、彼女は「私でもお役に立つなら」と、祈りつつ、身を乗り出したのです。
教会は、決して何かできるかどうかという要領のよさ、そのようなこの世の基準に支配されないところです。祈りによって身を乗り出す人を信頼し、その人の言葉を聞こうとします。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2014-08-01 22:13 | Comments(0)