「神学生の研修教会」

神学校から、教会(神学生が研修している教会)と神学校との懇談会があるという知らせが届いたので、出席しました。
こういう機会を戴いて、改めて、神学生が研修する教会とはどういう教会かを考えました。普通に考えると、研修は、いわゆる成功している教会で受けるのだろうと思いますが、日本中会はそのようには考えていません。どの教会にも、つまり、伝道所にも神学生を送ります。そこで研修が出来ると考えているのです。たとえば、泉教会は種別で言えば「伝道教会」ですから、「教会」へと種別変更するためにはどうしたらいいのか、そのために小会はどう取り組んでいるのか、そういう努力は何のために行うのか、というようなテーマが与えられます。成功している大きな教会(便宜上ここではそう言っておきますが)から学ぶことができるものは、もちろん、たくさんあります。しかし、それだけが教会ではないのです。大きな教会では、組織的な関心や、次の世代への信仰継承が大事でしょうし、小さな教会は、組織よりも会計の自立とか、礼拝者を増やすとか、宣教現場の開拓に力がそそがれます。どの教会でも、研修テーマがあると考えているのです。
ですから、「研修教会」といいます。「奉仕教会」とは言わないのです。教会は、人手の足りないところを都合よく神学生にしてもらうのではありません。日本中会の「教職志願者及び伝道師規定」を見ると、神学生は教職委員会に報告を出さなければならないのは当然ですが、そのことを定める条項よりも前に、教会は教職委員会に報告を出さなければならない、という条項があるのです。神学生が報告をすることは大事ですが、それよりも教会はどういう研修をさせたか、報告しなければならないのです。神学生に対する姿勢がよく表れていると思います。
こうして神学生は、自分が研修する教会を足掛かりにして、中会というシステムを学びます。やがてその中会に身を置くことになるからです。
さらには、自分が研修する教会を足掛かりにして、ただ奉仕するのが牧師ではなく、牧師に召された意味を学んでいくのです。どれだけ仕事をしたかは、重要ではありません。その教会で、たとえば自分が出来る仕事が何もなかったとしても、それでも自分は牧師に召されているということを確認する場が、研修教会なのです。泉教会は小さな教会で、力もないかもしれません。しかし、私たちは私たちで、牧師を産み出す教会に召されている、と言うことが出来るのです。

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by rev_ushioda | 2014-07-17 21:57 | Comments(0)