「転倒の傷」

ある時、私は年がいもなく、子どもが乗って遊ぶキックボードに乗っていて転倒し、アスファルトの路面に頭を打ちつけて目の上を切り、数センチ縫うことになってしまいました。すぐ病院に行って手当をしたためか、傷の直りは思ったより早く、1週間くらいですっかり癒りました。けれども、気付けば両方の手や肘には何の傷もありませんでした。倒れる体を支えるはずの腕は、その時、まったく動いていなかったのです! 気持ちは二十歳でいたのに、何か厳しい現実を突き付けられたような感じがしました。「お前の体は、もう若くない」という宣告を受けたような感じは、どうにも情けないです。体よりも心に傷を負ったような感じです。
事故についてはいろいろ励ましてくれる人もいたのですが、私は、事故を起こしたというよりも、とっさに反応できない反応の鈍い、そういう年齢になったのかという自分に失望していたのです。
表には現れない、その人にしか分からない、いえ、場合によっては自分でも気付かないかも知れないような感情のところで、人は傷を持ち、癒やしを必要としているのかも知れません。その感情を抑えているから、どこかで無理が来るのです。カウンセリングにおいでになる皆さん、多くの場合は、傷がある気持ちを言葉にして言えなかったということです。感じていることを感じてよいのだと自分に許可を与えることができなかった… その時は、言えるような状況でもなかった。もしそうしていたら、ずいぶん違った結果になっていたのです。
旧約聖書のヨブという人は、理論や知恵を持ち出す友人たちの前で、その理論とか知恵の枠組みで考えることを拒否して、思い切り、神に向かって叫びます。そして、悲しみや怒りに奪われそうになる心を、人間を、取り戻していくのです。思い切り叫ぶことができる対象として、神、人間の造り主である方と向き合える人は、幸いです。

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by rev_ushioda | 2014-07-12 20:20 | Comments(0)