「期待外れから物語は始まる」

教会は、一人一人の求めに、どのように応えるのでしょうか。
主イエスのもとに多くの人が押し寄せました。病気に悩む人たち、苦しみや悲しみをかかえた人々、いろいろな訴えや、求めのある人が、どんなに多かったか、ということです。その時、「イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。」と、マルコによる福音書は書きます(3章9節)。
「押しつぶされ」るほどに、一人一人に応えて行かれたのですが、主イエスは弟子たちに小舟を用意させました。ある時点で、群衆との間に距離を置こうとされたのです。距離を置き、されることは一つしかありません。初めの説教の言葉に戻るのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」小舟を用意するというのは、舟の上から岸にいる人々に向かって、み言葉を語るためです。苦しみ、悲しみを背負って押し寄せてきた人々に対して、主イエスはその要求をただ満たし続けるのではなくて、彼らに、ついに「時は満ち、神の国は近づいた」という事実を伝えたのです。それが舟を用意した理由でした。群衆の要求に押しつぶされない!
そうなると、主イエスに触れてもらおうとして押し寄せて来た人々にとって、み言葉の説教は、ずいぶん期待外れだったでしょう。説教を聞いても、現実は変わらないし、病気が治るわけではなかったからです。「こんなことのためにわざわざ礼拝に来たのではない」と、私たちなら思うでしょう。
主イエスは、ついには期待通りにしてくれない。しかし、ここが大事なところです。主イエスは、最後の最後で、こうしてほしいと期待する人の、その期待からから、距離を置くのです。そして、舟から語る説教、ついに十字架からの言葉の中に(神の国の中に)、聞く人を連れて行くのです。
主イエスは私たちの期待を成就するのではなく、期待を外し、ひっくり返して、そこで初めて見える世界を見せるのです。そういうことが分からないで、私の願いを押し通し、私の願いに教会は応えてくれないと言い続けるのか、それとも、ついに神の物語に新しく生きるのか。私たちは立ち止まらなければならないのです。私たちの期待に応えてくれない所に留まれば、そこから始まる物語が、教会にはある。

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by rev_ushioda | 2014-06-23 20:52 | Comments(0)