「自分と向き合う」

以前、「先生、そんなに説教、がんばらないでください。」と言われ、その意外な言葉に驚いたことがあります。牧師である以上、説教に努力はしますが、「頑張っている」という評価は意外でした。お話を聞いていくうちに見えてきたのは、人が頑張っているのを見ると、自分に頑張れ、頑張れと言われているように感じてしまう、ということのようなのです。だから、人が自発的に、喜んで、あれこれ奉仕しているのを見ても、辛くなってしまうのだそうです。
なぜそう感じるのかは、うすうす、成育歴やその後の人生体験が重なっているのだろう、と分かりました。「転移感情」という言葉がありますが、過去に誰かから言われた言葉が、今向き合っている相手から聞こえてくるような気がすることを指します。辛い経験をした方は、今はそういう状況から離れているにもかかわらず、常にその時の体験に支配されていて、その体験が今向き合っている相手(もちろん、過去の相手とは違います)との中に再現されてしまうのです。その結果、そういうことはやめてほしい(あるいは、こうしてほしい)、と、言います。
そのような場合、今向き合っている現実を、自分に合うように変えて行くのがよいことでしょうか。それとも、そういうカラクリに気づき、そのように生きざるを得ない自分と向き合うことが、よいのでしょうか。心理学が「転移感情」というカラクリを見抜いたのは、人を自分の感情に会うように変えるのではなく、自分と向き合い、自分を変えていくしかない、という結論に至ったからなのです。
教会は、聖書を通して、また説教を通して、多かれ少なかれ様々な過去に支配されている、生きにくい自分と向き合う場でもあります。説教を聞く時、その言葉は、何かに支配されている自分に語り出すでしょう。そのとき、弱さや痛みを引き受けている自分と向き合うことは、できれば避けて通りたいことだと感じ、また、環境や周りを変えたい衝動にとらわれますが、良い羊飼いであるイエス・キリストに信頼して、自分と向き合い続けるのです。そうしていくうちに、見えてくるのは、初めの例で言えば、頑張れ、頑張れと言われているように思う、過去に支配されている自分からの解放なのです。

「しかし、神の言葉はつながれていません。」(テモテへの手紙 二 2章9節)

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by rev_ushioda | 2014-06-14 06:55 | Comments(0)