「沈黙の値打ち」

新聞記事の見出しに目が止まりました。「息子の心、受け入れた父」という見出し、副題が「名門高校を卒業した息子が、金属バットを振り回し始めた。父の闘いが始まった」とありました。よく聞く、家庭内暴力、家庭崩壊の話でした。ここでお父さんの「闘い」とは何かというと、カウンセラーから言われた、ありのままの息子(の気持ち)を受け入れることでした。それまでは息子に「こうなってほしい」「こうすべきだ」と、子どものためと思えばこそ、親の期待や価値観、道徳的な言葉を、疑いもなく押しつけてきた。ところが今は、カウンセラーの指導に賭けて、今まで言ってきた言葉を、一切、言わないと誓ったのです。言わないことのもどかしさ、苦しさがつのる中で、それでも言わないのは、お父さんにとっては、まさに自分との「闘い」だったわけです。こうして親が自分と闘い、親の期待や価値観、道徳的な言葉を押しつけなくなった時、やがて、子どもは自分の道を歩き出し始めた・・そういう記事でした。
価値観をおしつけられ、外面的には「いい子」を演じながら、今にも爆発しそうな人がどれだけいるでしょうか。しかし、価値観をおしつけている側は、それが子どものため、人のため、と言って、それが当然という考えなのです。あなたはどうでしょうか。
ある便利屋さんが一人のご婦人のところへ呼ばれて出かけると、「たった1時間話を聞いただけで、100万円くれました」と、「人のために人となる人」(サンマーク出版)という本に書かれています。自分の話ができない。気持ちを誰にも伝えられない。自分のことを言おうとすると、いつも決まった同じ価値観を押しつけられる。そういう人にとって、話を聞いてくれるということは100万円の値うちがあった、ということです。言い換えれば、私たちは自分の価値観で100万円もの値打ちを人から奪っている。取り返しのつかない損害を、人に与えているのかも知れません。泉教会は、100万円を値積もるほどの値打ちがある、人の気持ちを大事にしたいと考える教会です。

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by rev_ushioda | 2014-05-15 20:05 | Comments(0)