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「痛みは深い」

最近、― 3月27日、強盗殺人罪などで死刑が確定していた袴田巌さん(78歳)に対して、静岡地方裁判所が、死刑と拘置の執行を停止すること、裁判の再審を決定しました。逮捕から48年、半世紀にわたって獄中から無罪を訴え続けてきた結果でしたが、死刑確定から34年です。34年間、死刑は明日か、明日か…という毎日、おびえ続けてきた心中を察するに余りあります。
この事件に関連して、ある見出しに目が留まりました。「袴田事件で重い十字架を背負った男」というのです。その男というのは、熊本典道さん(76歳)という、当時の裁判官の一人です。当時、熊本さんは29歳、主任裁判官として袴田事件の公判に臨んでいましたが、無罪を確信したといいます。しかし一人が反対しても、判決はあくまで3人の裁判官による多数決。しかも、彼は判決文を書く担当だった。有罪の主張を譲らない他2人の裁判官に「あんたが書け!」と用紙を投げつけたこともあったそうです。結局、自ら、有罪判決文を書かざるを得なかったのですが、以後、「自分がしたことは殺人ではないか」自らを責め続けることになった。そして、死刑判決が確定した7ヶ月後に裁判官を辞めました。転身して弁護士になったのです。長女が高2になったとき、「お父さんは殺人未遂犯だ」と苦しい胸のうちを明かしました。そして、当時、酒に溺れ、過去にもがき苦しむだけの熊本さんの元から、やがて、家族も離れていったそうです。
袴田さんの事件の裏に、また、そういう人もいたのです。今回の再審決定を心から喜ぶ熊本さんの姿が、テレビで報じられていました。

聖書を読むと「イエスが多くの病人をいやされた(仕えた)ので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せた。」と書いてあります。この「いやす」という元の字は、仕える、という意味ですから、病気とか、そのほかの原因で悩む人たちが、行き所を失ってもがき苦しみ、聴いてくれる者がいると聞けば、助けを求めたのです。そういうことは、今も至る所にあるのです。さらに、「病気に悩む」という、「病気」という元の字は、「鞭で打つ」という言葉から作られています。どうして、病気が鞭で打つことなのかというと、人間は、病気があると、「この病気は、神の裁きなのだ」と、言われるのです。あなたが病気になったのは「神の懲らしめ」なのだと、(病気の症状に苦しんでいただけでも苦しいのに)人から言われる。すると、そう言われれば、人は何かしら心当たりがありますから、ああ、自分は神から裁きを受けている、鞭で打たれている、そう思うようになった人たちがいたのです。だから、「病苦」とも言うのです。病気そのものよりも、自分で自分を肯定できなくなり、自分に鞭を打ち始めますから、そちらのほうが苦しみになるのです。病気の苦しみ、「病苦」とは、よく言ったものだと思います。
そういうことに悩む人たち、もちろん病気の人もいたでしょうが、自分に負い目を感じて苦しむ人が、たくさん、キリストのもとに押し寄せたのです。「袴田事件で重い十字架を背負った男」という記事を紹介しましたが、「自分がしたことは殺人ではないか」と、自らを責め続けた人がいた。そのように、自分に鞭を当てる人、十字架を背負う人が、たくさんいたのです。今もそうです。そういう人たちが、聴いてくれる人、向き合ってくれる人がいると聞けば、押し寄せるのです。人間の痛みは深いと言わざるを得ません。

私たちはキリストがその後、したようなことは、とうてい、できません。
しかし、その見ている方向に向かって、立つくらいは、出来るかもしれません。人の深い悩みを聴く、という耳を持って。

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by rev_ushioda | 2014-04-08 18:46 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


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