「教職者任職(按手)」

前回、キリスト者として信仰のバトンを次世代につなぐという話をしましたが、一方、教職者(牧師)の職務のバトンをつなぐことも大事で、それを「教職者任職(按手)」と言います。
これは、しかし洗礼式のように頻繁に起こることはありません。実際、中会で教職者が生まれるのは、数年に一度のことでしょう。なかなか目にすることが出来ないその瞬間に立ち会うことは、自分の洗礼がどういうところから始まっているかを考える貴重な機会になるに違いありません。キリスト者は、一度はその場に出向いて、その光景を目に焼き付けられることを強くお勧めします。
ところで、頭に手を置くことを「按手」と言いますが、「教職者任職式」で按手が行われます。それで、その式を「按手礼」とも言って、讃美歌には「按手礼」という項目が立てられて、歌う讃美歌が納められています。
それでは、按手に際していったい誰の手が置かれるかというと、中会会議の代議員(牧師と長老)の手が置かれるわけです。中会の会議が、その人に、牧師のつとめ(職務)を授ける、バトンを渡す、という理解をしているのです。牧師になるのだから牧師が手を置く、つまり牧師が、牧師の力を新しい人に分けて行くのだろうという考え方ではない、ということに気づいていただけたらよいと思います。中会会議が、教職者(牧師)のつとめ(職務)を、その新しい人に託すのです。
中会会議の代議員で出席している人は、20人を越えます。按手を受ける人は、その日のことは決して忘れない。頭のてっぺんから、首の骨が折れるかと思うほどの圧力がかかるのですから。そのようにして、牧師のつとめ、バトンが手渡されていくのです。
そして、その牧師から、私たちキリスト者は洗礼を受けました。洗礼の時、水が注がれ、そのあと頭に手が置かれて祈りがされたことは、私たちも忘れることができません。それもまた、按手でした。では、洗礼の時の按手は何のためであったかを考えると、そこで「信徒のつとめ(信徒職)」が手渡された、ということに、思い至るのではないでしょうか。私たちは、洗礼の時の按手で、信徒のつとめ(職務)に任じられたのです。私たちは、それをどのように行ったらよいでしょうか。
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by rev_ushioda | 2014-03-14 10:44 | Comments(0)