「バトンをつないで」

私たちが教会に行くようになったのも、キリストを信じる者になったのも、自分の意志でした。だから、洗礼を受ける時、自分の意志で「誓約」もしました。それによって自分の人生を作ったのです。
しかし忘れてならないことは、同時に、2000年の教会の歴史の、その歴史の最先端にキリスト者、礼拝者として、この私が置かれたということです。そういう意味では信仰の歴史を繋ぐ者、教会の歴史を繋ぐ者として、私が「選ばれた」のです。繋ぐということは、次の人にバトンを渡すという意味です。具体的には、私が召される時、教会に次の人を残すというつとめ、主イエスから与えられた使命が、あるのです。
よく、還暦を過ぎたあたりでお話に出るのは、年老いて、人に迷惑をかけてまで(醜態をさらすまで)そんな長く生きたくない、ということです。私も、還暦を過ぎてみると、あとどのくらい生きたら召されてもよい、という話をよく耳にするようになりました。しかし、そういう話をするとき、キリスト者としての「信仰の歴史を繋ぐ」という尊い役目を負っている、ということを忘れているのです。信仰に生きるということは、その信仰のバトンを誰かに渡す、駅伝の走者のような者だったのです。バトンを渡さず、さっさと自分だけ引き上げてしまってはならないのです。
箱根駅伝では、時間に間に合わず「繰り上げスタート」というシステムがあります。前走者が到着しなくても次の走者を出発させるのです。信仰者が人生半ばで倒れて、無念にも直接にはバトンが繋がらない、ということもあり得るでしょう。そうであったとしても、次の走者が走り出す、つまり、ずっと後になって家族、友人が教会に行き始めることは、起こらないわけではないのです。しかし、願わくは、私たちの手で「その人」にしっかりとバトンを渡し、信仰の遺産を残して、こうして、走者の役目を終えたいと思うのです。中継所を目前にしている皆さん、しっかりとそのバトンを手渡してください。

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by rev_ushioda | 2014-03-12 16:03 | Comments(0)