「自由の上に眠るな」

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」(日本国憲法第12条)
「不断の努力によって」。これは、自由の上に眠りそうになる私たちへの警鐘なのです。自由だ、自由だと言いながら、私たちが自由を守る不断の努力、戦いを怠る時、当然、持っていると思っていたものも、いつの間にか失っていくことになりかねないのです。

かつて香港から教会の仲間が訪問したとき、大磯にある沢田美喜記念館に案内したことがあります。そこには、江戸時代のキリシタンの遺物が多数、展示されています。光が当たると壁に十字架のキリストが映し出される「魔鏡」、ふすまの取っ手の裏にレリーフとなった十字架、マリア観音など、そこにある遺物を前にすると、迫害の中、いかにしてキリスト教信仰を守ろうとしたか、その必死の思いが伝わって来ます。そこから帰ってきたとき、彼は祈祷会で証をしてくれました。自分は香港に戻る、と。当時、香港が中国に返還されるというので、これからどうなるか分からない危機感から、続々と国外に移住する時代でした。しかし彼は、中国に返還される香港で、どうなるか分からないけれど、自分はキリスト者として生きていく、と言ったのです。その時、身震いする思いで、不断の努力とは何かを教えられた気がしました。
私たちは、憲法が保障する自由があるからこそ、今、こうして何も心配なく礼拝をまもることができているのです。しかし、窒息した魚が生き返ったからといって、もし、再び酸素のない泥水の中に入れられたら、どうなるでしょうか。神を礼拝して神の国の喜びや力に生かされても、再び酸欠の世界に放り出されたら、どうなるでしょうか。自由を守る不断の戦いをしない限り、私たちはキリストの命を喜んで生きる場所を持つことは出来ないのです。

私たちは、自由の上にあぐらをかき、眠りこけていなかったかを考える先週の「建国記念の日」でした。

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by rev_ushioda | 2014-02-16 23:48 | Comments(0)