「葬儀 光栄ある教会のつとめ」

Y姉が召されたのは、お誕生日を4月にひかえた1月2日のことで、88歳でした。事情があり、生活保護を受けて、グループホームに入所していました。少し認知症があって、本人はほとんど過去を語らず、従って、私たちもこの方のことはほとんど知らず、そういう状況の中で、彼女はただ、ひたすら毎週日曜日の礼拝に出るのを楽しみにしていました。日曜日、おいでになると、必ず「今日、来られて良かった~」と、皆に言っておられました。毎週の送り迎えはN兄がして、礼拝では別の人が傍に座り、というようにお世話させて戴いていました。
12月22日、アドベント第4主日、クリスマスの祝会が行われた日が、礼拝に来られた最後となりました。11月に施設が実施した「みかん狩り」に外出した先で転倒して骨折、1週間ほど入院された後は、順調に礼拝に出られていたのですが、最後となったその日は、かなり調子が悪そうなことは誰の目にも明らかでした。転倒、骨折が原因というより、もともと何か不調があって、それで転倒したのかもしれないと思ったりしています。
お別れは、突然、迎えることになりました。「Yさんが亡くなりました。7日が火葬です。よろしければ参列ください。」「Yさんは教会の会員です。葬儀は、教会で責任をもってします。火葬前に、お祈りの時を持たせてください」・・こんなやり取りから始めた今回の葬儀でした。
思い出す一言があります。骨折されて入院していた病院に見舞った時、どういうわけか、その時、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかったのです。しかし、はっきりわかった言葉があります。「私はね、死ぬまでクリスチャンです。」突然、何を言われるのかと思いました。今思えば、遺言のような一言として私の耳に響いています。
ご家族がいないので、グループホームのほうで喪主をつとめてくださいました。家族、親族の喪主がいない、私にとって初めての経験ですが、去る1月7日に火葬、直前に火葬前礼拝を執行しました。
5分で、と言われて、確かに通常はそのくらいなのですが、みんな亡くなって初めて対面するのにそんな時間では無理と思いましたが、仕方ありません。グループホームの皆さん、よくしてくださって、お別れの品を入れたいというので讃美歌を歌いながら、それをしていただきました。そういうわけで、お顔を見ることも出来ないまま荼毘に付されました。
教会からの参列は10人、磯子教会から1名、グループホームから所長さん以下、ほとんどのスタッフが10数名、そして、弟ご夫妻で、結局、30人近い人が集まったことになります。寂しい最期になるはずのところ、よいお見送りができました。
Yさんは、晩年、この世的には、不運な人生であったというのかもしれない。しかし教会は、この方の信仰の友、家族となり、葬儀を、Yさんの一番大事にした信仰によって執行させて戴きました。何とも言えない光栄あるつとめを戴いたと思うのです。

火葬前礼拝 式次第

招   詞

聖書朗読  創世記28章13、15節
  主が傍らに立って言われた。「・・見よ、わたしはあなたと共にいる。
  あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。
  わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

Y姉と共にする私たちの信仰
  問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
  答  私が 私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、
      私の真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。

祈  祷

賛  美  465番「神ともにいまして」

祝  福

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by rev_ushioda | 2014-01-07 21:12 | Comments(0)