「クリスマス献金に思う」

「被災地」宮城県から、教会にクリスマス献金が送られてきました。ご自宅が津波で壊された方からです。
「クリスマスおめでとうございます。おかげ様にて家も建ちほっとして皆、あちこち調子をくずした一年でしたが、皆、この事をきっかけに自己管理に気を配るようになりました。新年は教会への一歩があゆめる様にしたいと思います。感謝献金を同封しましたので、神様の御用の為にお納め下さい。」

折り目のないお札がクリスマスカードと共に入っていました。

前に住んでいた地域にお住まいの日本基督教団の教会の会員の方は、今年も遠く泉教会にまでおいでになって、クリスマス献金を届けてくださいました。お宅の近くに伝道所(現さがみ野教会)が出来たということで訪ねてくださって以来ですから、今年で37年目になります。特に今年はお連れ合いが大病を患い、抗がん剤治療を受けておられるというのに、です。

私は思うのです。「主が手をとって起こせば、よろめく足さえ/おどりあゆむよろこび。これぞ神のみわざ。」(讃美歌446番)

主イエスがお生まれになった時、エルサレムではヘロデが権力を「私物化」し、ベツレヘムでは、普通の市民、市井の人々が、自分の部屋、時間、所有を「私物化」し、後から遅れて来たヨセフとマリアに、部屋を使うチャンスを与えなかったのです。聖書はそういう人間の姿を描き出していました。しかし神は、その同じ時に、羊飼いや、東方から来た学者たちの心を開いてくださり、献げる者の喜びの足取りを作ってくださったのです。
今も、一人一人の「私物化」した手を開いてくださる。それが被災地のあらゆる困難の中からのささげ物となり、あるいは病気との闘いの中からのささげ物となったのです。
そして、私たちの手も開かれた。物語は作り続けられています。クリスマス献金は、ヘロデの「私物化」からの解放が、ベツレヘムの「私物化」からの解放が、ついに私にも起こったという、あかしなのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
[PR]
by rev_ushioda | 2013-12-24 09:56 | Comments(0)