「ただ受け取ればいい」

さっそくですが、私が経験した一つのエピソードからお話しましょう。私には結構そそっかしいところがあって、ある時、出先から家に帰ろうとしたら、お金が足らない…のですね。何と、20円が足らないのです。それでも、降りる駅まで誰か迎えにきてくれればそこで精算できるだろうと思い、家に電話をかけました。娘が出たので、「こういう訳でね、悪いけど、駅に20円持って来てよ」。 ところがそのように話していると、すっと横から出た手に、20円が乗っているではありませんか。見ず知らずの男性が、20円を差し出して、受け取れと、言っている。こちらは電話しているし、大の大人が見ず知らずの人から20円をもらうなんて予期していませんでしたから、とっさのことで戸惑っていると、その人は20円を渡して行ってしまったのです。 後から考えてみると、聖書には実はこういうことが書かれているのかな、と思います。私たちが、(自覚しているかいないかは別にして)神の国の門を通れなくなっているその時、その私たちの前に、すっと差し出された手があったということなのです。そしてその手には、非常に高価な値、十字架の傷跡、つまり、私たちのためのキリストの命が、載っていたのです。そして、聖書は、すべての人がこの命を受けている、と言っています。 私たちは、受けたものによって、改めて事の重大さに気付くことがありますが、私たちのためには実に「キリストの命」が差し出されているのです。それだけ、それほど、私たちの人生は重たく量られている、ということなのです。 私たちのために、その手を十字架にまで差し出してくださったキリストに、次に、あなたも、その人生を向けてみませんか。

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by rev_ushioda | 2013-12-07 20:10 | Comments(0)